父は、晩年認知症を患いましたが、僕のことだけは他界する最後まで覚えていました。

 

考えてみると、18歳の時に上京して以来、父と一緒には暮らしてはいないし、風貌はかなり変わっていましたが、

やはり同じ遺伝子だから認識できるのでしょうか?

 

数十年前に、偶然にも飯田橋の交差点で出会った時も不思議な感じでした。富山にいるはずで長く会っていないのに、かなり離れていましたが父が歩いていることに気が付きました。

 

しかし、一緒に暮らしていた時も、旅行に一緒に行ったことは、覚えていますが、日々の生活では殆ど接点がなかったのでした。

 

人生を振り返ると、記憶だけが宝物のように思えます。ほとんどが辛い記憶でしたが、良い思い出も沢山ありました。

 

しかし、時間の経過とともに嫌な記憶も、良い記憶も、どんどん溶けていきます。

 

 

最近、初恋の人の消息を調べようと、友人にも協力してもらいましたが、SNSに登録されていたので、あっさり解りました。

 

立派な方と結婚され、息子さんも超エリートでした。会ってみたいと思っていましたが、やめました。

 

中学や高校の同窓会に50歳を過ぎてから何度か出席しましたが、あまり感動しないしピンときません。かなり時間が開きすぎたからでしょうか。

 

そして、僕も父のように、認知症にならないように日々努力しています。しかし最近、ちょっとしたことでも忘れる事は多くなりました。

 

様々な試験に挑戦したりして、新しいことを記憶する努力をしています。無駄な抵抗でもまだ大丈夫だと実感したいからです。

 

 

子供が、父の日のプレゼントとして、GPSで持ち物の追跡機能があるタグをくれたので、使いはじめました。

 

家の鍵、車の鍵、財布、など4か所の所在がすぐに解るので、早速重宝しています。

 

ただ携帯を持っていれば、自分のいる場所も、家族に知られてしまいますので、そこは気になります。

 

 

しかし新しい人生の舞台は、これからまた始まると思っているので、新しい素敵な記憶をどんどん作っていきたいと思っています。古い辛い記憶は忘れてもかまいません。この際に忘れたいような記憶の整理もしないとね。

 

高齢者は、一般的に背負っている記憶が多すぎるので、時には障害となりますが、過去に縛られていると、新しい出会いも難しいし、前向きに生きることが出来なくなります。断捨離と共に過去の記憶を整理し洗濯して、残りの人生を楽しみたいですね。