長い間、ブログの更新もしておらず、ご無沙汰してしまいました。

書くことは、毎日のように沢山あり、相変わらず、奇妙で信じられないような日常が続いています。

 

夜2時に寝て、朝6時半に起床する毎日です。他人から見れば、多分信じられないような一日を過ごしています。

 

やはり、年齢のせいか、足の軟骨も退化して、医師からは激しい運動は止められていますので、ウオーキング中心の生活です。

 

昨年、母校の担当者から依頼されて提案した「畳」に関わる企画が採用されて、11月15日に公開講座があります。宣伝物の写真には卒業制作で発表した「組み立て式2畳の茶室」が使われています。信じられないような現実です。

 

 

それまで、自宅に設置していたのですが、パートナーの不満が爆発していて別の物件に移動したばかりです。

 

愛猫の家も兼ねていたので、猫には申し訳なく、変わりのキャットウオークを作って利用してもらっています。

 

 

 

最近のニュースや報道をみて失望することが多いですが、前橋市長の「ラブホテル」事件について真相は解りませんが、報道姿勢には嫌なかんじを持ちました。

 

まず、「ラブホテル」という言い方は、回転ベットがあった昭和の時代の話で、現在は死語といってもいいと思います。

 

現在は、一般には「レジャーホテル」という言い方をしていて、団体での女子会や気分転換の癒しの空間として利用されることもあり、必ずしも男女やカップルが性的な交渉をする場所とは言えません。プライバシーが守られている点から特別な事情がある人が会議や打ち合わせに使用してもおかしくないと思いました。

 

むしろ、高級シティホテルよりも高価な設備や雰囲気を提供し、資料を見るだけでも住宅や建築に携わるものにとっては、勉強になります。通産省グッドデザイン賞を取った「光る畳」も渋谷のレジャーホテルに採用されているそうですが、一緒に行けるようなパートナーがいないので、見学する機会はありません。

 

 

 

 

大学の卒業旅行から1人分の座席が確保できず、特例でインドエアーの搭乗員が使用する簡易座席を利用して18歳の妹と帰国したのは、就職先のジャスコ(現イオン)の入社式の前日でした。

 

社会人最初の勤務地は京都で、当時の入社式も京都で行われていました。

印象的だったのは、入社式で社歌を歌う場面で、岡田社長はじめ役員が楽譜をみて歌っていたことでした。歌詞を覚えていないか自信がないんだなと思って笑ってしまいました。

 

また、社宅や寮の準備がなく、紹介してもらった不動産業者に行き自分で選びました。地方によって異なるのですが、当時の京都は敷金を10か月も預けるので、風呂無しの古い安アパートしか選択できませんでした。共同のお風呂はありました。最初は閉鎖的だった居住者とは打ち解けると親切で、後に大阪転勤になった時には、自分の車で送ってくれるほどの仲になりました。

 

当時東京では、ジャスコという会社は知られておらず、私も聞いたことも無かったのですが、田舎にあったユニーという量販店と同じ共同仕入れ会社のアイクの仲間だったことを知り、また会社案内が賞を獲得するほど、良く出来ていて魅力的だったので選びました。

 

大学の経済人類学のゼミの先生からは繋がりのある西武百貨店を勧められましたが、流通革命を標ぼうし勢いがあったダイエーなどの量販店の方に興味があり、また関東ではなく関西系の会社に興味を持ったからでした。

 

最初に配属されたのは、三菱商事、ジャスコ、近鉄百貨店が共同出資して作られたダイヤモンドファミリー京都西店でした。既に奈良に奈良ファミリーが先行してオープンして成功を収めていました。

 

当時では、珍しいモール型ショッピングセンターで、しかも量販店と百貨店の2核を有する先進的な業態でした。

 

昼ごはんは、立派な社員食堂と畳の部屋がある休憩室が完備していましたが、毎日テナントで使える500円の昼食券が配布されていて、好きなレストランで食べることが出来ました。夢のように楽しい毎日でした。

 

以下つづく

 

 

 

 

 

今年最初の投稿になります。

 

先月から信じられないような、難しい仕事に関わってしまい、また、3日に1日の割合で外泊することとなり、忙しい毎日を過ごしています。母の食事を準備するだけでも、大変です。なるべく飽きないようにメニューを考え、必ずデザートもつけています。

 

恒例にしている4月12日の戸田彩湖マラソンにもエントリーしました。昨日は、51回目の献血も済ませました。

 

今年の目標もたてて、来年にむけて活動しています。

 

ゆっくりですが、リフォームの仕事は楽しく進めています。

 

明日も早いので、眠ります。

 

おやすみなさい。

 

 

 

 

今年も残り僅かとなりました。人生は早いですね。生きる意味や重要なことは何か?と問われれば、やはり誰かを愛することなのでしょう。

私が「I LOVE YOU」の代表作で知られる「尾崎豊」という歌手を知ったのは1992年の4月、当時経営していた会社の若い従業員が、僕にカセットテープを持参して聞いて欲しいと渡されたのでした。

そして翌日、そのテープをカーステレオで初めて聞いたのですが、その瞬間に私にも強烈に伝わるものを感じて魅せられていました。しかし本当に衝撃だったのは、その日のニュースで尾崎の自殺を知ったからです。

 

従業員であった田口くんという若い青年は、とても頭が良く、100人以上いた顧客の名前を一日で覚えてしまい驚かされました。

お母さんは西麻布で「ブレ」という名の飲食店を経営されていました。そしてその後、ニューヨークに行って勉強したいと相談を受け、123枚の1ドル紙幣を餞別にして渡して送り出したのでした。

 

彼は、今どうしてるのでしょう。元気で幸せに暮らしていることを祈ります。

 

人生の中で、多くの人に出会ってきましたが、本当に縁があったと思える人は、限られてしまいます。

 

こちらからメッセージを発信しても、返答がなければ、それ以上深追いすることをしない方がいいですね。

 

人には、それぞれ固有の時間があり、私は少し変わっていたかもしれません。これまで相手をしてくれる人は殆どいませんでした。自分に合ったソウルメイト求めるとしたら、暗い都会の砂漠の中でダイヤモンドを探すようなものかもしれません。

 

今年は、故郷で「初恋」の人に会うことができました。働いている場所を教えてもらったので、一度裏手で待っていたら予定時間より早く帰宅されたようで失敗でしたが、二度目は見失わない正面の場所で待機していたので、見つけることが出来ました。

 

しかし、なんと白髪のご主人とお孫さんらしき人も一緒に車から出ていらっしゃったのでした。やはり50年もの月日は長すぎて、すっかり面影もない容姿も含めてショックでした。若い時の行動力のなさも後悔しました。ロストラブの日となりました。

 

かって愛した人とも、いつか別れの日が来ます。こちらかが愛していたとしても、相手から愛してもらえなければ、そもそも恋愛は成立しません。

 

私には、大学時代に知り合った親友がいましたが、自ら命を絶ったのか、殺されたのか真相が判らないような辛い亡くなり方をして、この世を去っていきました。そのショックは今も引きずっています。

 

夫が刑務所に入っているような外国籍の方と付き合って、その子供を溺愛してしまっていました。またパチンコ依存症に陥っていて借金を重ねていました。その真実を知ったのは、他界した後でした。何かヤバい雰囲気をうっすら感じて連絡していたのですが、その頃は、私を避けるようになっていたのでした。

 

真面目な家庭で育ち、大学時代もその真面目さに好感を持っていたのですが、卒業も近い年末に、あるアングラ劇団の芝居に私が誘って観劇したのが彼の運命を変えてしまったのでした。卒業後に何を間違えたのか、その劇団に入団してしまったからでした。

 

彼には、その後劇団で知り合った女性と交際していていて、幸せな日々をみていたので結婚するものと思っていました。しかし別の劇団関係者の進言で、別れてしまったと聞いて残念に思っていましたが、後にその関係者が彼を好きだったことが理由と判ってすっきりしました。しかしその女性とは交際することもなく年を重ねていったのでした。

 

人生には、いろんなドラマがあることを目の当たりにしてきましたが、すくなくとも私が関係するドラマの思い出の登場人物は、全て私にとっては愛おしいし、         「I LOVE YOU!」といいたいです。

 

そして、私に関係してくれた全ての人や動物に「ありがとう!」とも言いたいのです。いつまでも元気でいてくださいね!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パートナーが旅に出て100日以上経過して、明日戻ってくる予定です。

その間、母が倒れて入院したことをきっかけに、今後母と一緒に暮らしていく決断をしました。

 

衰えつつある母の姿を見ることは辛いことでもありますが、毎日、メニューを考えて食時の準備をする時間は楽しいし、また喜んで食べてくれる様子をみると、こちらも幸せになります。

 

いくら、母の気力や体力が凄かったといっても、やはり年齢には勝てません。でも、ラジオ体操をしたり、早口言葉の練習をする姿をみていると、まだまだ大丈夫だと思いました。現に、新聞をルーペを使ってでも、すみずみまで読んでいるし、私がパソコンで仕事をしていると、離れていても見ているようで、内容まで把握できているので、驚きました。

 

やはり、改めて1人暮らしは、駄目だと思いました。自分の好きなものばかり食べてしまうし、冷蔵庫の管理もいいかげんになってしまいます。古いものや賞味期限が大分前に過ぎたものでも、誤って食べてしまうことがあるからです。

 

自分の仕事も未熟であることに気が付きました。やりかけの仕事でいきづまっているものは、能力のある方にお任せすることにしました。さすがといえるものを感じます。

 

これからまた、私は新しい旅を始めることになります。





猫と一緒に、一人暮らしになって、2ヶ月になりました。たとえ仮面夫婦であったとしても、誰か人間と同じ屋根で生活する事の意味を感じます。


高齢になると、1人暮らしになる人数は増えるばかりですが、段々と経済力も身体的な能力も衰えてきて、行動する事も、おっくうになってしまいます。


2ヶ月を振り返って、食品庫の食材は、食べ尽くし、非常用のストックにも手を出しました。


冷蔵庫が空っぽになっても、補充する量が少ないからか、2、3日してまた買い物をする日が続いています。母や子供から連絡があった時は、外食に出かけましたが、殆ど自炊して、たまにお弁当も買いました。一人暮らしなら冷蔵庫は小さくていいですね。


久しぶりに、ペットクラブの仲間とお茶会を設けたのは、楽しかった事かな。やはり、日常生活に会話がなくなったので、ストレスが溜まっていたのでしょう。


最近は、愛猫のニコラにも、出かける時は、行って来ます!と声をかけ、帰ったら、ただいま!って言って抱きしめ、寂しかった?と聞いています。WW


国会解散?不信任案提出?、総裁選挙や、野党第1党の党首選挙にも、ウンザリしていましたが、国民は与党だけでなく、野党の執行部にも失望しています。いつまで、こんな茶番のドラマを見せられるのか?この国の国民であることも嫌になります。

それぞれの政党には、有能な人材もいますが、権力を握る人は、いつも最悪です。


もちろん、その中にも希望は、あります。これまでにない、素敵な未来を信じています。


2009年の9月22日からこのブログを書きはじめたので、16年目に入ります。

その他に会社のブログを、2015年8月8日から書いています。

記事は重複しますが、facebookやInstagram、X(サイーG)にも投稿しています。

 

もともと国語の読解力もなく、感想を書くのは苦労していました。読む方は得意だったのですが、作文は特に苦手でした。

 

しかしながら、上京して様々な刺激を受けるようになって、図書館に通い本を読むようになりました。

また、大学で所属したサークルで、本を作る仕事に携わったことから、徐々に文章を書く練習ができてきました。

 

そして、社会人になって、役所に提出する書類の添削を上司にしてもらったことから、自分の文章力の稚拙さに気が付きました。次に就職した会社では、社内に配布する新聞づくりを任されました。またその後独立してからは、親友や妹が手掛けていた雑誌の記事のライターをした経験から書くことの楽しさを知りました。しかし未だに上達はしていません。

 

ともかく、自分の生きた記録として書いていますので、他人のプライバシーに配慮しながら、自分の気持ちや思いを残しています。

たまに、自分で、昔書いた記事をみて、思い出せないことや、改めて驚かさることもあります。

 

本当は、昔から日記を書く習慣をつけるべきと思いました。パートナーは大学時代から完璧な家計簿をつけており、過去の家計簿の支出を見るだけで、日記代わりに記憶を辿るヒントが残っています。

 

年齢を重ねると、記憶や思い出だけが、宝物であることを知らされます。何も行動しなくても、時間は経過していきます。例えば、失恋することを恐れて告白しなければ、何も進展しません。後から後悔しても遅いのです。人生には様々なドラマが待っていますが、運命は自分が切り拓くのであり、主人公はやはり自分自身です。

 

最近は記憶力も衰えてきて、根気もなくなっていることを自覚しています。

しかしながら、マイペースで、ゆっくりでも前へ進んでいきたいし、誰かの役に立つ仕事がしたいと考えています。

そして、これまで苦労を重ねてきたので、これからは、自分自身も人生を楽しみたいものです。

 

 

 

 

 

 

amebloは20周年なんですね。私は利用して満15年になりました。会社員時代は、新興のブログの運営会社にお客様がいたので、20年前には、別のブログを書いていました。私は、アメブロは失業して職業訓練学校へ行くタイミングで、記録を残すために書きましたが、「走る人」という団体と出会い、オフ会に参加したことで、沢山の方と知り合うこともできました。また代表の車に乗せてもらって富山まで行き一緒に走ったこともありました。その他にも沢山の人と出会い、今もずっと刺激を受ける友達がいます。

 

私をフォローしてくれる人は、数すくないのですが、自分自身を見つめるために、書いてきたので、基本は自分のためなんです。

最近は別のSNSを使うことが多く、殆ど記事を書いていなかったのですが、一番思い出深い記録なので、一生続けるつもりです。

今後とも宜しくお願いします。いつも感謝しかありません。フォローして下さる方とは直接お会いしてお友達になりたいのです。

 

 

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パートナーが年末まで旅行に出かけて、30年振りの一人暮らしが始まりました。

まだ二日目だというのに、緊張がゆるんでしまったのか、好きなだけ食べたり、飲んだりしてぼーっとしています。

やはり、誰かと一緒に暮らすことが適度な緊張感を与えるものなのでしょう。

 

彼女が帰る前に、自分の部屋の荷物を搬出して明け渡す予定です。不満の多かった茶室は、現在リフォーム中の物件へ移設します。

既に日本の人口の40%近くが一人暮らしになりつつあります。

しかし、一人暮らしは刺激がなく、リスクも多いので高齢者のシェアハウスやグループホームをお勧めしたいと思っています。

そのために、私自身も一人暮らしをしながら、複数のルームメイトと暮らす生活を試そうと考えています。

 

うちの下の子は、就職しても自宅の生活に甘えて、いつまでも自立しようとしないので、追い出して友達とシェアハウス生活を3年続けていますが、毎日の生活が楽しくてしょうがないようです。週末にもなれば、沢山の友達が遊びに来てパーティをしたりしています。

そんな生活を高齢者でも実現したいと考えています。

 

仕事をリタイアして、一人暮らしをしていると、やはり孤独になります。話し相手は必要ですね。チャットでは実感がわきません。

 

ペットがいて良かったとも思います。なごみます。また私は母の世話もしているので、生きるモチベーションにはなっています。

母もこれまで一人暮らしで頑張ってきましたが、そろそろ限界も感じます。母との同居も選択肢に入ってきました。

 

今後、どのような運命と出会いが待っているのか、解りませんが、七転び八起の精神で、これまでと変わらずマイペースで真面目に生きていこうと考えています。

 

このブログを、たまたま読んで下さる方がいらっしゃったら、連絡頂けると嬉しいです。LINEを送っても既読にならなかったり行方不明の人が増えてしまいました。どんな厳しい状況におかれても、必ず好転する時が来ます。一緒に食事でもしませんか。

 

 

 

 

 

 

 

父は、晩年認知症を患いましたが、僕のことだけは他界する最後まで覚えていました。

 

考えてみると、18歳の時に上京して以来、父と一緒には暮らしてはいないし、風貌はかなり変わっていましたが、

やはり同じ遺伝子だから認識できるのでしょうか?

 

数十年前に、偶然にも飯田橋の交差点で出会った時も不思議な感じでした。富山にいるはずで長く会っていないのに、かなり離れていましたが父が歩いていることに気が付きました。

 

しかし、一緒に暮らしていた時も、旅行に一緒に行ったことは、覚えていますが、日々の生活では殆ど接点がなかったのでした。

 

人生を振り返ると、記憶だけが宝物のように思えます。ほとんどが辛い記憶でしたが、良い思い出も沢山ありました。

 

しかし、時間の経過とともに嫌な記憶も、良い記憶も、どんどん溶けていきます。

 

 

最近、初恋の人の消息を調べようと、友人にも協力してもらいましたが、SNSに登録されていたので、あっさり解りました。

 

立派な方と結婚され、息子さんも超エリートでした。会ってみたいと思っていましたが、やめました。

 

中学や高校の同窓会に50歳を過ぎてから何度か出席しましたが、あまり感動しないしピンときません。かなり時間が開きすぎたからでしょうか。

 

そして、僕も父のように、認知症にならないように日々努力しています。しかし最近、ちょっとしたことでも忘れる事は多くなりました。

 

様々な試験に挑戦したりして、新しいことを記憶する努力をしています。無駄な抵抗でもまだ大丈夫だと実感したいからです。

 

 

子供が、父の日のプレゼントとして、GPSで持ち物の追跡機能があるタグをくれたので、使いはじめました。

 

家の鍵、車の鍵、財布、など4か所の所在がすぐに解るので、早速重宝しています。

 

ただ携帯を持っていれば、自分のいる場所も、家族に知られてしまいますので、そこは気になります。

 

 

しかし新しい人生の舞台は、これからまた始まると思っているので、新しい素敵な記憶をどんどん作っていきたいと思っています。古い辛い記憶は忘れてもかまいません。この際に忘れたいような記憶の整理もしないとね。

 

高齢者は、一般的に背負っている記憶が多すぎるので、時には障害となりますが、過去に縛られていると、新しい出会いも難しいし、前向きに生きることが出来なくなります。断捨離と共に過去の記憶を整理し洗濯して、残りの人生を楽しみたいですね。