こんにちは、

今、日清の冷凍食品の台湾まぜそばを食べようとして

お汁が目に入ってピリッとしたあきこです。

 

3月は遠方出張、支援者向け研修などで

忙しくしておりましたが

来週で今年度のお仕事がひと段落です♪

 

 

 

さて、最近立て続けに

「私は、僕は、いらない子なんじゃないか」

「私は、僕は、大事にされていない」

そういった古傷、過去の痛みを持っていると

人生というゲームをややこしくする事例を目の当たりにしているので

久しぶりのメルマガをお贈りします。

 

もしかしたらご本人もこれを読むかもしれない、ということも念頭に置き

優しさと慈愛を込めて、文章化できたらいいなと思います。

 

もちろん詳細は避けます。

 

 

 

 

 

1つめは、プライベートな仲間内。

 

あるトラブルがあり、ものすごく助けになってくれた人がいました。

ただ仲間内の1人が「○○さんにも連絡した」と口にしたことで

その人は傷ついてしまいました。

自分の前でそれを口にして欲しくなかったのです。

 

無意識の上で

 

「私はいらない子なんじゃないか」

「あっちの方が大事な存在なんじゃないか」

「私は大事にされていない」

 

そんな古傷、過去の痛みがあると

「そりゃそうだよね」で終われません。

 

今目の前で起きていることによって古傷がうずき、心が痛んでしまいます。

 

自分のしたことに何か悪い点がなかったか、自己否定的になったり

相手の言葉の意図を読み取ろうと試み、想像したことを真実として扱い

勝手に反省したり、勝手に遠慮したり身を引いたりしてしまいます。

 

幼い頃、家族の中でどう立ち回れば

自分は生存していけるのか、そこにいることが許されるのか

子どもとして一生懸命考えた「生存戦略」「生き残り戦略」は

大人になってからも生き方の癖になったままであることが多いものです。

 

「自分は傷ついたよー!」

「自分はいらないことをしたんじゃないか」

「これからはもっと遠慮します」

「わかってもらえないから心を閉ざします」

 

今目の前の現実で

子ども時代から抱えている孤独感、疎外感、寂しさ、悲しみ、妬みなどが刺激され

周りを巻き込んで生き方の癖を繰り返し

人生をめんどくさくしてしまいます。

 

「○○さんにも連絡した」「そりゃそうだよな」で終わっていたら

「今回助けになってくれて本当にありがとう!!!」と

周りに感謝されてこの出来事は終わり、みんなハッピーです。

 

 

 

 

 

2つめは、ある会議。

 

ある立場のメンバーは、その会議から抜けた方が

他のメンバーが本音のディスカッションがしやすくなる。

そういう改善のための方向転換、仕切り直しがありました。

 

「そりゃそうだよね!みんなのために私抜けるわ!」で済むことではありますが

 

「私はいらない子なんじゃないか」

「私、ここにいていいよね?大切な存在だよね?」

 

古傷、過去の痛みがあると、そうはいかなくなります。


「ここにいていいって思ってもらえるように、私は頑張ってきたのに」

「どうして理解してくれないの、私のことを認めてくれないの」

「あなたはここにいていい、必要な人と言ってほしい」

 

その思いをぶつけたい相手は、本当は今目の前にいる会議の関係者ではありません。

その人の幼い頃の、お母さんへの思いです。

 

その古傷が癒やされないでいて

「ここにいていい」という許可をもらえるように、存在を主張できるように

子どもの頃に身につけた「生存戦略」で戦い続け

周りの人を巻き込んで人生をややこしくしてしまいます。

 

「会議から抜けてくれない?」

「オッケー!ちょっと寂しいけど会議をより良くしていけるといいね!後は任せるよ!」

で終わっていたら、さらなる信頼関係を積み上げられます。

 

 

 

 

 

3つめは、ある組織。

 

多くの企業で、60歳になると役職が解かれ、給与も下がります。

気に入った職場であれば、それを受け入れて65歳まで雇ってもらえるのなら

それはとても幸せなことであり、ありがたいことであるはずですが

 

「私はいらない子なんじゃないか」

「私は大事にされていない」

 

古傷、過去の痛みが刺激されると、悲しみが溢れ出してしまいます。

 

「こんなに頑張ってきたのに!」

「どうして私の働きを認めてくれないの?」

「そんな理不尽な仕打ちを受けるのなら辞めます」

 

その人のチャイルドが拗(す)ねて辞めることを選択し

その後転職で苦労され、「戻りたい」と思わず漏らしておられました。

 

「役職なくなるけどいい?」

「オッケー!60歳超えてからも雇ってくれて嬉しい!ありがとう!」

で終わっていたら・・とも思いますが

 

ただ「私はここにいていい」と思えていないまま

「私は大事にされていない」という大前提を持ち続けるのであれば

職務に不満を持ち続けていただろうことも想像できます。

 

 

 

 

 

 

ある仲間内。ある会議。ある組織。

 

「私は、僕は、いらない子なんじゃないか」

「私は、僕は、大事にされていない」

 

幼い頃に思い込んだそれは

大いなる勘違いであることも多いのですが

その潜在的なセルフイメージが人生を難しくしています。

 

目の前で起こる出来事と自分の存在価値を結びつけて考えてしまいます。

 

古傷がうずいて、勝手に傷ついてしまいます。

 

「私が要ろうと要らなかろうと、私の存在価値は変わらない。」

「私は、居るだけで大切な人。」

 

当たり前のことを当たり前に思えていたら。

 

無駄に傷つかないので、周りを巻き込んで人間関係をややこしくすることがありません。

 

人生でやって来る、波にその都度溺れずに、寄せる波に乗っかっていけます。

 

 

 

 

 

セルフイメージは、いつからでも選び直すことができるものです。

 

見ないように、認めないように、蓋をしてきた、弱くてカッコ悪くて醜く思える本音を

迎えに行って、認めて、受け容れて、ヨシヨシしてあげることで

 

解放でも、消化でも、昇華でも、成仏でもいい

 

痛みや傷つきのセルフケアをすることで

 

人生を生きていくことがイージーモードになっていきます。

 

 

 

 

 

「完璧な親なんていない!」のテキストの一文が、頭に浮かびました。

 

*。*。*。*。*。*。*。*。*。*。

 

親が子どもへの愛を示し

あなたが必要なのよと

伝えてやれば

子どもはほかの人を愛するようになります。

 

*。*。*。*。*。*。*。*。*。*。

 

8〜9歳頃まで、顕在意識と潜在意識の間にある膜が曖昧と言われます。

 

 

「あなたはここにいていい」

 

「あなたはいるだけで大切な人」

 

  

子ども達の潜在意識に届きますように。

 

 

 

 

 

そして

 

傷は、忌み嫌うものではありません。

 

痛みを知る人は、他者の痛みも想像できるということです。

 

 

傷や痛みは、迎えに行って、愛してあげれば、癒やされて、優しさという光に変わります。

 

傷や痛みは、愛すべきものです。

 

あなたがあなたの人生を愛してあげることができます。

 

 

 

 

 

あなたの傷や痛みに、慈愛を送ります。

 

あなたの人生がもっと楽に生きやすく、幸せだなと感じられますように。

 

 

 

 

 

あなたはもちろん

 

「そこにいていい」にきまっています。

 

 

 

 

 

あなたは生まれた時から

 

すでに、ずっと、

 

存在価値はあるままで

 

大切な人です。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も読んでくれてありがとう。

 

今日も大切なあなたが

Happyでありますように(*v v)

 

 

竸 朗子(きそいあきこ)

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