いじめは「被害者がいじめを受けたと思ったらいじめは存在する」と定義されます。これは、子どもが「いじめられた」と訴えたらそれはいじめとみなし、学校は対応しなくてはならないというものです。

実は、これは現場の先生たちを混乱させています。

こどもが「悪口を言われた」「はぶかれた」「ラインで無視された」と言ったとき、先生たちは「そんなことはだれにでもある」「〇〇さんよりはましだ」「こんな落ち着いたクラスなのに」ととらえがちです。

確かに、こういうことは毎日、ほとんどの子どもたちに起こります。

しかし、多い学校と少ない学校があることも事実です。

また人によって同じ体験でも受け取り方は全く違います。

先生たちは、毎日、だれにでも起こるので子どもの痛みに鈍感になり麻痺しているように思います。悪口を言われたとき、冷水を浴びせられたようなショックを大人でも受けないでしょうか。その心の痛みを、その子の立場にたって聞いてあげる人が必要なのです。

 

学校でよくやるのは、いじめをした子と、いじめられた子を会わせ、謝らせるというものです。もちろん、これで問題解決することもありますが、しないこともあります。先生が傷ついた子の傷つきが分かっていないのに、傷つけた子に謝らせると、先生と傷つけた子が共に心の中で「こんなことで、こんなに大げさにするなんて。まあ、謝っておけばいいだろう」と考えて結託してしまうことになるからです。

傷ついた子は、これに敏感に反応し、さらに傷つきます。そして「謝ったのに、まだ言っているのか」と心が狭いかのように言われてしまい、ますます孤立します。

いじめがこじれる背景にはこういうことがあります。

こうなると、傷ついた子はもうだれのことも悪く言うことも、自分の被害を訴えることもできず、ただひたすら孤立していき、人間不信になっていきます。深い孤独に放置されます。

こうなった人たちには、カウンセラーの声もなかなか届きづらく、その絶望感に圧倒されることがあります。

いじめはその人の一生に影響を及ぼすトラウマになることを知っておきたいものです。