課題図書:
 

 

第5章~第8章 大曲さんによるレジュメ



第5章 名人
物事の急所をついた話

第229 段 妙観の刀 ※勝尾寺の本尊の十一面千手観音は 780 年に妙観が彫ったもの
よき細工は、少し鈍き刀を使うという。
第109 段 木登り名人
低い所まで下りてきた人に注意する木登り名人
第185 段 双なき馬乗り
馬の相を見る馬の名人
第92段 二本の矢
二本の矢を持つなという弓の名人
第110 段 負けじと打つべきなり
双六の勝ち方を教える双六の名人

P141 昔の物のいい形、しっかりした作り、丹念な仕事ぶりをよしとして、そういう物を取り上げる。
同じように物事の正しい選び方、呼び方、扱い方をよしとして、あのようにやかましく有職故実をとりあげたのであろう。
P142 達人の、人を見る 眼は、少しも誤る所あるべからず。
第 194 段 こういう定言ならば、今読んでもそのまま我々の心にピンとひびくのだが。結局、風俗、仕来り、
儀式などは時代と共に変わるが、変わらぬのは人間の生き方に関わることと 言えるかもしれない。


第6章 シンプル・ライフ
鎌倉幕府執権北条時頼に関する話

第84 段 松下禅尼の障子つくろい
実際の執権の母の暮らしはかくの如きのものだったのである。
第215段 味噌を肴に
日常生活を極度につつましく簡素に保っいたことを語る。
第216段 足利の染物
時頼が足利左馬入道の屋敷で饗応された時の主人夫婦してしたもてなしの簡素さ、染物の催主人夫婦してしたもてなしの簡素さ、染物の催促し、早速にそれを促し、早速にそれを取り出す様子
第140 段 死後に財産を残すこと
物の持ちように対する兼好の美学である。

P161 人間はひとたび贅沢の味を知ったらそれから抜け出せなくなる、このことを禅尼や時頼の 時代の 政治家はよく知っていたのだ。
贅沢とは富に依存することであり、自分の自由を 失うことである。
ひとたび人間は自由を失ったら、とめどもなく物に傾斜し、物に頼り、物を欲し、物の奴隷となる。
政治は必然的に苛政、重税にならざるをえなくなる。
これは個人においても同じことだ。
だからセネカはつねに「ゼロに戻る訓練をせよ」と言った。
月に幾日か日を決めて、その日は固 いパン一つ、固いベッド、粗末な衣で暮らし、人間はこれでも暮らせること、これでもよろこびがあることを知ることを学べ、と言った。


第7章 一事に専念せよ
現代人を励ます兼好のことば

第150 段 下手でもいい
何か芸能を身につけようとする人は、下手でも上手にまじって身につけた方がよい
第151 段 五十になってもダメならダメ
人は年をとったら、仕事でも芸事でも万事を止めて、身を
閑にしておくのこそ、見た目にもよ
いし、望ましい姿なのだ。
第187 段 なぜ専門家はすぐれているのか
つねに油断せず、慎んで、軽々に事を行わないから
第188 段 一事を励むべし
一事を成し遂げようと真に思ったら、それ以外のことが全部瓦解しても苦にすべきでない。
第13 段 古典をよむ
見ぬ見ぬ世の人を友とするぞ

P184 今だって、何かを成し遂げようとする前にその準備段階で時間がたってしまって、その大事を実現できない人は大勢いる。
その一番いい例が今日の学校教育で、高校、大学と学んで何になるのか。
大学を出たところで自分のしたいことさえ見つからない有様では、この法師のことを笑う資格はない。

P189 そのときその言葉を発した人は、現在自分の目の前にいる人である。
千年とか二千年とか、時間はそれに関わらない。ソクラテスもまたすぐわたしの前にいる人だ。
そういう人と直接相対することを可能にするのが、古典の読書なのだ。


第8章 心のふしぎ
人間の心のふしぎ

第157 段 心は必ず、ことに触れて来る
これこそ人の心の不思議を言いあてた古今の名言
第85 段 狂人の真似とて
「徒然草」全体の中でも、最も恐るべき箴言
第73 段 虚言について
世の中に語り伝えること「多くはみな虚言なり」
第235 段 虚空よく物を容る
心と無についての哲学的考察

P210 兼好は善悪どちらにも容易に 動いて しまう人間の心の不思議、こわさを 最も敏感に、よく知っていた。人心のおそろしさを知る達人だった。人の心の虚と実、容易にどちらにもころがるこわさを、実によく知っていた。
P213 心に何か心配事や、考え事があって詰まっていたら、 心はそれ以外の動きはできない。だが、心が完全に無の状態にあれば、そこにはいかなるものでも入ることができる。
だから禅の修行の第一に、座禅によって心を巨大な空にしておくことを学ぶのだ。