日時;2021年11月19日(金) 18:00~19:30

アドバイザー:中谷常二先生

参加者(敬称略) 現地12名、Web3名 レジメ担当 氏家さん

 

課題図書

國分功一郎「暇と退屈の倫理学」新潮文庫

1,3,4章

 

第1章

・ 最初パスカルが言ったという、人間が部屋でじっとしていられない、というのが本当なのか。

・ 本当であれば、コロナで自粛というのは相当なストレスであり、特に若い人にどういう形で表れているのか、じっとしていられないから戦争を起こすということも書かれているが、ロシアはそうなのか。

・ 日本は相当程度大人しくしているが、ストレスを押さえつけているのか、

・ 他の刺激、例えばSNSの過激発言などで代替しているのか。

・ 最近はじっとしているということに対する評価が変化しているのか。

・ 学校で多動な子が病的に扱われるなどを見てもじっとしていられるということが進化に適応した人間なのかもしれない。

 

〇 現代社会でとらえると、暇つぶしの手法が増えたので我々は暇を苦痛と感じなくなった。

たとえばスマホができたので待つことが苦痛でなくなった。うまい暇つぶしがあれば暇を苦痛と感じないので余計なことを考えないというのは面白い指摘。

 

・ 退屈を感じるというのは何かしたいけど何をしていいかわからない状態、というのは分かる気がする。退屈の反対は快楽でなく興奮。

・ 若者に限らず、課題を与えることで搾取する(やらされ感なくやらされる)という手法はある。
社是の朗読などを通じて帰属意識を高めて仕事のモチベーションを上げるという会社もあるが、これもある意味搾取の手法かもしれない。

・ 自分で興奮ではなく、楽しみ・快楽を求めることができる人になるというのはどういうことなのか。
子供にはそういうことを教えてやりたいと思った。

 

〇 現代人にはやらなくてはならないことが増えているのではないか。ヒマがなくなってきているのでは。

・ やらなくてはならないことはたくさんあって、ヒマと感じてはいけないのかもしれないが、あまりやりたくないことをさせられているときは退屈を感じる。

会議も自分があまり興味を持てない議題もやらなくてはならないのかもしれないが、やらされ感があり退屈を感じるのでは。

・ 一方、ウサギ狩りの事例は魚釣りと比較すると非常によくわかる。魚が欲しいのなら魚屋に行けばよい。

 

〇 パスカルの事例は暇をつぶすためにウサギ狩りをするとなっているが、暇をつぶすために魚釣りをしているわけではないのでは?

・ 確かに、暇をつぶすためではなく、魚釣りをしたいからしている。魚との知恵比べやかかった時の感動を得たいから。

・ 気晴らしということのなかに、たんなる暇つぶしだけではなく、魚釣りのような目的を持った行為も含んでいるのかもしれない。

  Ø  釣りは目的というよりプロセスを楽しむもの。何が釣れているか情報を集め、準備、仲間と行く、景色、仕掛け作り、釣りそのもの、釣った魚のる料理などすべてのプロセスが楽しみ。
魚を釣ることが目的ではない。まったく釣れなくてもそれはそれで楽しい。

 

〇 ある行為を気晴らしと呼ぶのもレッテル貼りのように思う。釣りのように目的を持った行為は単なる気晴らしとは違うのではないか。

・ 仕事をしている時間は退屈というが、仕事をしているということは時間を使っている。それを退屈と呼ぶのか。

・ 逆に休日ごろんとしている時、人からはヒマしていると言われるが、自分はヒマしているのではなくその時間を楽しんでいる。

  Ø  時間があってのんびりしていても暇でも退屈でもないときは確かにある。

・ 退屈なとき人は苦しみを求めるとあるが、映画マトリックスでは仮想空間に閉じ込められた人間に適度に苦痛を与えるのが良いのだというストーリーがあったのを思い出した。

・ 仕事をしている間は退屈というのと、時間があるというのは少し違うのではないか。暇と退屈を際限なく感じようと思うと最初から衣食足りていないと無理かもと思った。

 

〇 仕事とそうでない時間が分かれた現代人と、すべてが生きるための仕事に直結していた時代とでは感覚が違うのかもしれない。

・ パンデミックが起きて、昨日までと全く違う事態が発生したというのは、不謹慎かもしれないがある意味興奮を覚える出来事であり、退屈から救ってくれたことでもあると思った。

 

第3章

〇 本当の意味での有閑階級というのが現代にはいなくなっている。金持ちであっても現代は何かすることを持っている。

・ 現代は暇があって退屈という状況はどんどん減り、マトリックスの右上の象限、暇はないが退屈という状況が増えているように思う。

・ やりたくないことをしなければならない=退屈ではないか。考えようによっては電車を待つということも、何もしていないのではなく「電車を待っている」という行為をしていると理解すれば右上の象限に属するのかもしれない。

・ 仕事をしている時間が退屈、というのもヒマはないが退屈ということか?

  Ø  仕事もやりたい仕事であれば退屈ではないと思うが、あまり興味の持てない仕事や、意味がないと思うような仕事の場合は退屈と感じるのではないか。

 

・ 早期退職して自由に生きたい、という人は有閑階級に近い感覚だろうか。

・ お金を稼ぎまくって40代で引退するような人たちも現代の有閑階級?

〇 本当の有閑階級は、生まれながらに金と暇があり働いたことのない人たち(貴族)で、現代の富裕層は稼ぐまでは死ぬほど働き、そのあと休んでいるので、最初から暇な層ほど社交と文化に生きているという訳ではない。

・ 宇宙旅行した前澤氏などは暇つぶしをしているのか?

  Ø  暇つぶしではなく積極的にやりたいからではないか?

・ 早期退職して釣りをすると釣りが仕事になってしまわないか?

  Ø  仕事をしているからこそたまの釣りが楽しいのでは?

・ 暇で退屈でなにもしていない時間が好きだったりする。釣りでもなにもせずボーっとしている時間があるかもしれないが、写真を撮るときも何も考えずボーっとしている時があり、その時間が好き。

  Ø  (発言しませんでしたが)釣りをしている時はボーっとしている時間はほぼありません。常に仕掛けを替えるか、上げてみるか、誘ってみるか等々工夫を続けていて結構忙しい。それを楽しんでいる気がします。

 

〇 現代人は何もしない時間を恐れるとも言われる。そこに目を向けると得ることのできる情報もあり、退屈もしないことに気づく。

・ ハイデッガーのところまで読むと、忙しく楽しくしている中にふと退屈を感じることがあるという記述がある。確かにそういう感じを憶えるときもあるように思う。

 

・ スマホはどんどん新しくなるが、iphoneではSEという旧モデルの部品を使った廉価版が売れている。モデルチェンジ旺盛の時代が一巡してこうなったのかと感慨を覚えた。

  Ø  家電に関してはしばらく前からジェネリック家電というジャンル(アイリスオーヤマなど)で機能を絞った廉価版に回帰する動きがみられている。

 

〇 157ページの不断のモデルチェンジが強いる労働形態という記述についてだが、モデルチェンジがあるからみんなに仕事がまわるであり、モデルチェンジが資本主義をさせているという側面もある。実際クオリティがあがるという側面もありモデルチェンジが無駄と言い切れるだろうか。

 

・ 半導体不足で新車の納期が遅れ、車種によっては4年待ちになっているらしい。4年というとモデルチェンジのサイクルにかかり、発注してからモデルチェンジの頃に納車になるというおかしなことが起こっている。今は過渡期であり、多機能で便利なものから単機能に特化したものに移行する時代なのかもしれない。半導体不足の原因も様々でよくわからない。この先どうなるのか不透明。

・ 余暇を与えるのが資本の論理という見方は一面的のように思う。余暇は誰のためか、は、はっきりと分けられるものではないと思う。

・ 仕事の効率を高めるために従業員の幸福度を高めモチベーションを高めるのは資本の論理でけしからんという議論もあるが、よく分からない。

  Ø  資本家のためか労働者のためかという議論は歴史的に左右に揺れてきたのではないか。

  Ø  マクレガーのX理論からY理論へという流れもそうだし、最近で言えば健康経営やモチベーション論だが、いまでも企業の論理から言えばその施策が企業業績にプラスになるという理屈付けがなければ経営としては受け入れられない面もある。

 

・ 今は多くの人が週休二日だが、今後休日が増えて週休3日や4日になると、本当に暇な時間が増える。これに対する心構えはあるか。

 

第4章・総括

・ 消費と浪費は原語では何だったのだろうか。「浪費」「消費」という訳がいまいちしっくりこない気がする。

・ 何かをして満ち足りることができることと、やってもやっても満ち足りることができないことというのはあるかもしれない。

・ 釣りや写真などはある程度で満ち足りるのだろうか?やってもやっても満ち足りないかもしれないが、だからと言ってそれを仕事にしようとは思っていないところに余裕を感じる。

・ 著者のいう消費の典型は「映え写真」かと思う。次から次へと店に行って写真を撮り、ほとんど食べないでまた別の店で写真を撮る。それを続けてしまう際限のない消費。どれだけ撮っても満足することがない。

  Ø  消費社会は満たされないという退屈を戦略的に作り出す、という記述がある。

 

・ 消費の一形態としてオンラインゲームで課金すればガチャを回してショートカットできるようなものもある。そういう形で消費してくれる客は売る側にとっては都合が良いが、社会的にはどうなのかと思う。

・ 暇つぶしはマイナスのイメージがあるが、時間をどう使うかという中で、個人的には空き時間があると不安になるのでいろいろ時間を埋めていた。
読書も実用書は読むが、小説は時間の無駄だと思ってしまう。ドラマも韓国ドラマだけは見るがこれは韓国語の勉強と思うようにしている。

・ これを読んで、暇という言葉を自分で使いにくくなった気がする。
他人にヒマやな、という時は自分に興味のないことをやっている相手に言っていたりする。

・ ヒマという言葉が関西弁ではニュアンスが違うのでは? 東京で「自分ヒマやな」と言ったら怒られそう。

・ (中国人からすると)日本語は難しい。暇と退屈とは同じか。釣りやお茶などの趣味をしている人は本人は楽しいが、他人から見るとヒマやなとなる。
・ 暇つぶしのために趣味で何かするとお金がかかってしまう。それは浪費か。

 

(文責 北村)