大星さんによるレジメ

 

 『戦争は女の顔をしていない』スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ

                 三浦みどり訳  岩波現代文庫
 

本書について
 雑誌記者だった30歳代のアレクシェーヴィチが1978年から取材を開始して、500人を超える女性から聞き取りをしたものをまとめた最初の作品。完成後2年間は出版を許されず、ペレストロイカ後の1984年に出版された。2015年ノーベル文学賞受賞。

 ”わたしたちが戦争について知っていることは全て「男の言葉」で語られていた・・・その戦争の物語を書きたい。女たちのものがたりを”(p.4-5)

 「人間は戦争よりずっと大きい」(p.1)では、検閲で削除されたエピソードや検閲官との会話、自分で削った部分などの記述(p.23)もあり、「ふと、生きていたいと熱烈に思った」(p.470)も初版時には無い部分であり、2004年までに漏れた部分を補う形で現在の版になったと思われる。

 ”二〇〇六年十月の「ベラルーシ人と市場」紙のインタビューで彼女は「今の時代、個人、個人の勇気が試されている。自分に対して、そして他人に対しても、本当のことを言う勇気が必要なのです」と語っている”(p.487)

 登場人物たち
 1941年6月22日にドイツ国防軍のソ連侵攻に始まり、1945年5月8日の終結に至る独ソ戦(ソ連では大祖国戦争)に従事した500名を超える女性兵士の証言によるもの。ソ連側は戦争による死者としては人類史上最多の2000~3000万人という死者を出したとされ、従軍した女性兵士は100万人を超えるといわれている。
 
①女性としての楽しみや差別

”私のような職業将校は、古来男性の仕事とされてきた軍事の何を女性ができるようになるか懐疑的だった。”(P.190)
”私は脚がきれいだったの。男の人なら・・・脚がなくなったって・・・立派にお婿さんになれます。でも女性が不具になったら・・・女性としては終わりです”(p.286)
“私は二つの人生を生きてきた気がします。男の人生と女の人生を・・・刺繍とか・・・女らしいことをしたくなるんですが、絶対許されませんでした”(p.289)
“ドイツのある村でお城に一泊した時のこと・・・洋服ダンスの中は美しい服で一杯・・・それぞれ気に入ったドレスを着たままたちまち寝入ったわ・・・朝起きてから・・・また自分の詰め襟の軍服を着てズボンを履いたの”(p.292)
”女心をわかってくれた・・・美容師を連れてくるから・・・そういうことはいけないんだが、みんなにきれいにしてほしいから・・・嬉しかった”(p.293)
”「やっぱり女は」と言われたくなかった・・・長いことばかにされていました”(p.302)
”艦隊に女性が乗ることは……禁じられていた・・・航行の不幸を招くとされていたわ”(p.306) 

②祈りや苦悩
“その頃は今のような精神内科とか、精神分析とかなかった・・・隣の家に相談にかけつけたり…おかあさんにすがったり……”(p.61)
”出征した時は唯物論者だったのよ。無神論者。学校で言われることを信じる優等生だったの。でも、戦地に行ったら……あたしは祈るようになった……・・・自己流のお祈り。・・・本物のお祈りなんか知らなかった。・・・戦争が終わってからあたしは聖書を読みました。今はいつでも聖書を読んでいます。”(p.119)
”何かリューバの形見になるものがほしかった。リューバは指輪をしていたの・・・それをはずしたの。みんなは縁起が悪いから取るなと言った。”(P.149)
“戦争から戻ってきて、私は思い病気になりました。あちこちの病院をまわり・・・薬よりも言葉で治してくれた・・・あなたは十六の時だったから・・・身体がひどくトラウマを受けてしまった・・・”(p.221)
”自分はとても勇ましい人間だと思っていましたが、終戦後・・・自律神経系全体が破壊されているとわかったのです・・・”(p.282)
“戦中、女のあれが全く止まってしまいました・・・戦後子供を産めなくなった女の人がたくさんいました”(p.297)
”過労から私たちの身体は女でなくなりました。あれが止まってしまったんです。生物の周期が狂ったのです。もう永遠に女にならないんだ、と思うのは恐ろしかった”(p.302)
”町の中を気の狂った女の人がさまよってました・・・五人の子供を殺されたんです・・・みんな、その女の人から逃げていました”(p.314)
”死んだら、魂はどうなるのは知らないけれど、両手は休めるんだろうね”(p.390)
“血の匂いには慣れることができませんでした。戦後は産科に助産師としてつとめましたが、長くは続きませんでした。血のアレルギー、身体が受け付けないんです”(p.464)
“電気椅子でも拷問された・・・それ以来、電気恐怖症なの・・・戦争のあとで何か精神内科の治療が必要だったのかもしれないわね・・・”(p.427)
“死に対する感覚に異変が起きてました・・・路面電車・・・に乗っていた・・・突然電車が止まって、みんなが悲鳴をあげ、女の人たちが泣いている。「人が死んだ、人が死んだ」・・・私にはこれが恐ろしいことだという感覚がなかった・・・死に取り囲まれてい
ることに慣れてしまった”(p467)

③戦場へ プロパガンダポスター全盛時代 指導者の神格化
”占領軍から解放されたベラルーシを進軍していくと、どの村でも男にぜんぜん合わないんです。女の人しかいませんでした。どこでも女しか残っていませんでした”(p.311)
→ソ連には徴兵できる男性がいなかった”ところがスターリンがやっと口を開いたら、国民に対してこういう言葉で呼びかけたの。
「兄弟姉妹たちよ!」これでみなコロッとそれまでのくやしさを忘れてしまった。・・・スターリンの演説のあとでおかあさんは言ったの、「祖国を守りましょう・・・」みんなが祖国を愛していたわ。私はすぐに徴兵司令所に駆けつけた”(p.66) 
”私の思いはただ一つ。前線へ、前線へ、でした。・・・あのポスターよ。「母なる祖国が呼んでいる!」「君は前線のために何をしたか?」少なくとも私にはとても大きな影響を与えたわ。いつも目についていた。歌だってあったでしょ?”(p.70)

(画像関係は著作権の関係上、割愛しました)

 スターリンは「レーニンの最も忠実な使徒」を自称し、その支配イデオロギーを「マルクス・レーニン主義」と命名し定式化した。また、レーニン死後、彼をレーニン廟やレーニン像などによって神格化することで自らの個人崇拝も推進した。

 スターリン時代の四聖人
カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルス、ウラジーミル・イリイチ・レーニン、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン

 馬列主義(マルクス・レーニン主義)と毛沢東思想、その後の指導者による歴史決議
毛沢東 1945年、若干の歴史問題に関する決議
鄧小平 1981年、建国以来の党の若干の歴史問題に関する決議
習近平 2012年、党の100年間の奮闘の重大な成果と歴史的経験に関する決議
 毛沢東時代の反省から鄧小平による第2の歴史決議に盛り込まれた「個人崇拝禁止」の言葉がなくなった。

→ソ連時代の教育や男女同権意識とは
 作品では就学前の幼稚園の存在もうかがえる。初等教育(1~4年生)、普通教育(5~9年生)、中等教育(10~11年生)があり、その後大学に相当する高等専門教育がある。
作品では就学前の幼稚園の存在もうかがえる。
”ソ連の従軍女性たちは十五歳から三十歳で出征していった”(p.484)
→コムソモール 15歳から35歳までの共産党(マルクス・レーニン主義)の青年組織。
その指導下にあったのが10歳から15歳を対象としたピオネール。
”一九四五年の三月八日に私たちは国際婦人デーを祝いました。小さなパーティーにチョコレート菓子を・・・”(P.264)
→1917年3月8日にロシア帝国で起こった二月革命(ユリウス暦では2月23日)が、国際婦人年の1975年3月8日以来国際女性デーとなる。女性の十全かつ平等な社会参加の環境整備。

”液体酸素の中から取り出された蛙が床に落とされて、壊れるのを目の当たりにしたことがあります”(p.274)

“私はいつも信じていました……スターリンを・・・共産主義を信じていた・・・そのためにこそ生き延びたんです。フルシチョフが第二十回党大会で「スターリンのいくつもの誤り」を報告した後、私は病気になって寝込んでしまいました”(p.399)
”私たちがこうなったのはああいう時代に育ったからよ・・・あんな時代はもう来ないわ・・・あのころ、我が国の思想は新しかったし、私たちも若かった。レーニンが死んでから間もなかったし……スターリンは生きていた・・・”(p.403)
ソ連の男女同権意識は現代のジェンダー平等、日本での雇用機会均等法、男女共同参画社会との繋がりはあるのか。マルクス主義フェミニズムとは。 

④作中に登場する植物(比喩を除く)と気候から見る主戦場
 モミの木立ち(p.196)モミの笠(p.255)、もみの木(p.341)、ライラック(p.90,p408)、ヒナギク(p.97,p.367)、スミレ(p.107)、待雪草(p.295)、ネコヤナギ(p.395)、タンポポ(p.408)、ツリガネソウ(p.409)、サクランボ畑(p.58,p.408)、実桜(p.294)、果樹園のサクラの花(p.353)、トウモロコシ畑(p.202)、スイカ(p.209)、小麦(p.226,p.273)、ライ麦(p.229,p.334,p.383)、カラス麦(p.273)、キノコ(p.301)、ドングリ(p.391)、野いちご(p.301)、イチゴ(p.426)、キャベツ(p.330)、トマト(p.330)、アカザ(p.209)、ジャガイモ(p.310,p.330,p.383,p.396,p.398,p.405,p.415)、ヤマゴボウ(p.330)、スカ
ンポ(p.386)、クローバー(p.386)、リンゴ(p.426)、アントーノフカ・リンゴ(p.437)”「ステップの前線」”(p.112)”「ステップ地方」”(p.273)”二人分のノルマを与えられてさ。支払いは何にもなし・・・ジャガイモだけで子供たちを育て上げたんだよ”(p.391)

”ウクライナ人たちコルホーズに追い立てられた時のことを話してる……弾圧された……と。
スターリンが飢餓をもたらしたのだ・・・ウクライナの土地はあんなに地味が肥えていて、棒きれを突き刺したって、芽を出すというのに。捕虜になったドイツ人たちはウクライナの土を荷造りして家に送った。それほど肥えた土地だった。黒土の層が一メートルはあった。”(p.468) 黒土はチェルノーゼムと呼ばれる。チェルノは黒を表しており、チェルノブイリは黒い草、黒海もЧерное море(Chernoye more)


附録 コミック版 小梅けいと『戦争は女の顔をしていない』(2020)株式会社KADOKAWA
   と、岩波文庫版の対照表。コミック版該当部分に(岩波文庫本p.00)で記載。


1巻
第一話  従軍洗濯部隊政治部隊長代理ワレンチーナ・クジミニチナ・ブラチコワ-ボルシチェフ
 スカヤ中尉(p.260-)の話

第二話  軍医エフロシーニヤ・グリゴリエヴナ・ブレウス大尉 (p.334-)の話

第三話  (p.43)狙撃兵クラヴヂヤ・グリゴリエヴナ・クローヒナ上級軍曹(p.52-)とマリヤ・イ
 ワーノヴナ・モローゾワ(イワーヌシュキナ)兵長(p.45-)の話

第四話  衛生指導員マリヤ・ペトローヴナ・スミルノワ(p.121-)と看護婦アンナ・イワーノヴ
 ナ・ベリャイ(p.116-)の話

第五話  高射砲兵クララ・セミョーノヴナ・チーホノヴィチ軍曹(p.299-)と通信兵マリヤ・セ
     ミョーノヴナ・ カリベルダ軍曹(p.302-)、斥候リュボーフィ・イワーノヴナ・オスモ
 ロフスカヤ二等兵(p.294-)の話

第六話  一等飛行士アントニーナ・グリゴリエヴナ・ボンダレワ中尉(p.110-)と航空隊クラヴ
 ジヤ・イワーノヴナ・テレホワ大尉(p.110-)の話

第七話  書記エレーナ・ヴィレンスカヤ軍曹(p.256-)と機関士マリヤ・アレクサンドロヴナ・
 アレストワ(p.433-)、射撃手ローラ・アフメートワ二等兵(p.124)の話

2巻
第八話  人間は戦争よりずっと大きい(p.1-)

第九話  狙撃兵マリヤ・イワーノヴナ・モローゾワ(イワーヌシュキナ)兵長(p.45-)の話

第十話  モスクワに向かう汽車の中にて(p.129-)

第十一話 母のところに戻ったのは私一人だけ(p.138-)

第十二話 お母ちゃんお父ちゃんのこと(p.389-)