小澤さんによるレジメ  

 

 

 

 

「破船」 吉村 昭 

小職のお薦め:「高熱隧道」、「熊嵐」、「長英逃亡」など。史実を題材とした物語展開の面白さと、余計な感情移入を排除し、抑制され研ぎ澄まされた筆致。 

 

【Ⅰ.物語の主人公と舞台】 

〇主人公 伊作(9歳)、母、磯吉(弟)、かね、てる(2人の妹)と暮らす。 

父は、3年の年季奉公(口減らしと生活資金のダブル効果)に出ている。生活は、極貧。伊作は、1つ年上の「民」に淡い恋心を抱く。 

 

〇小説の舞台は、隣村とは峠で隔絶された貧しい漁村。17戸の小さな家々。海沿いの砂礫の多い土では、稗、粟、黍しか育たない。小舟による漁業(蛸、烏賊に加え、鰯、手づかみによる秋刀魚が最大のご馳走)と、岩礁での海苔、貝類を採取。 

 

【Ⅱ、小説に描かれた様々な風習】 

Ⅱ―1 「海」、「山」の位置づけ 

海は、生命を維持させてくれる貴重な漁場。また「お舟さま」(~海からの恵み~)の到来により、豊かな食物、金銭、衣類、嗜好品、什器などを与えてくれる。 

山は、薪の採取、樹皮(糸に加工され、布になる)の採取の場。流行り病に感染した人の追い場所であり、お舟さまからの糧の隠し場所となる。  

 

Ⅱ-2 海と死者の関係 

村には「霊帰り」の信仰がつたえられる。生命は神仏の授かりもので、人の霊は死と同時に海の彼方に去るが、時を得て村に霊帰りし、女の胎内に宿って嬰児としてよみがえる。墓石は、山において一様に海に向けて建てられる。毎年のお盆には、海の彼方から祖先の霊が家々にもどる。自死者は沖海に捨てられ、墓には入れない。 

 

Ⅱ-3 「お舟さま」 

灯りに誘われた船が、岩礁で破船すると、村人は総出で出陣。船の積荷は元より、船を解体して得られた材木に至るまで、一切合切を村に持ち込む。命乞いする乗組員は、村人の先祖の命令により、すべて殺害され、その骸は、「烏浜の洞穴」に遺棄される。 

「お舟さま」の到来は、不規則で2,3年続くこともあれば、10年以上も絶えたこともある。1度の「お船さま」は、向こう数年にわたり村の衣食住にわたり生活を支える。強奪できるのは、商船に限られ、藩船は、後に過酷なお咎め(縄を打たれて引き回し、逆さ磔、内臓が全て出るまでの槍突き、鋸引き)を受けるためご法度。また、商船であったとしても、強奪の事実が判明すれば、過酷なお咎めは必至。そのため、難破船捜索の情報が入ると、家々の財物は、証拠隠しのため裏山に隠される。 

小説においては、2度のお舟さまが描かれるが、1度目は、豊かな財をもたらしたものの、2度目は、疫病(もがさ=天然痘)をもたらす。 

 

Ⅱ-4 「お舟さま」の到来を願う儀式 

「孕み女」を船に乗せて、海に注連縄を投げ入れ。その後、村おさの家にて、船の転覆を祈り、食物を盛った箱膳を足でくつがえす。豪快に蹴飛ばすと縁起がいいとされる。海があれる冬場においては、「塩焼き」の儀式が行われ、共同作業により薪の火を絶やさず、海水を煮詰めて、塩を取る。塩は、隣村との交易物にもなる。夜にともされる薪の火は、助けを求める難破船を陸に引き寄せる灯台の役割を持つ。薪の火の守り人は、成人の証。 

 

Ⅱ-6 村の掟(意思決定) 

「村おさ」の指示が絶対で、統率されている。村おさの指示は、「お指図役の老人」が伝える。お舟さまからの恵みや塩の販売による隣村との交易物は、各戸に平等に分配。「社会契約の利益を受け取ることで、間接的に契約している」 

一方で漁業においては、漁の技術に秀でた住民は多くの魚を手にし、個人の所有となる。技術を教えることはするが、共同での作業、平等な配分は行われていない。 

 

「利他主義にも限度がある。」 

 

「指図役の老人」は経験豊かな博識者であるが、死者の「天然痘」による吹出物を、「梅毒」によるものと見誤る。更に、「吹出物のある骸の赤い着物に毒は無いか?」との問いに、「洗えば問題ない」と回答し、後の「もがさ(痘瘡)」による感染症を引き起こす。「指図役の老人」は責任を取って、烏ノ鼻近くの断崖から身を投げる。村おさの責任は不問? 

Ⅱ-7 山追い 

流行り病の「もがさ」には、山追いがつきもの。毒に染まった者たちは、村にとどまってはならず、山中に入らねばならぬ。山菜や鳥獣を食料にすることはできるが、その量は乏しく、山追いは、そのまま死に結び付く。 主人公の伊作の母、弟の磯吉は、伊作を1人残し、山に出立する。罹患した、村おさが率先して山追いに向かう。 

村に到来した2度目のお舟さまは、感染症の証として赤い着物を帰せられ、あるいは魔除けの赤い猿の面を着けられ、他の村から放出されていた感染者であった。 

 

Ⅱ-8 父の帰村 

(山追いにて、母・弟と、心を寄せていた民と離別した伊作は) 

 咽喉に嗚咽が突き上げて来た。・・・得体のしれぬ叫び声が、口から噴き出た。 

 

 

【Ⅲ、「現実をみつめる道徳哲学」からの若干の考察】 

 

「現実を見つめる道徳哲学」(P159) 

  1. 倫理的利己主義 「自己利益を基も促進することを為すべき」 

 

  1. 社会契約説 「理性的で利己的な人たちが、相互利益のために合意する規則の順守こそ正しい行為」 

道徳とは、「社会生活の利益を得るためにしたがわなければならない決まり」 

 自然状態から、社会状態へ移行すると、人間は注目すべき変化を遂げる。 

 

  1. 功利主義 「最大幸福を促進すべきことをすべき」 

 

  1. カント義務論 「普遍的法則として容認可能な規則の順守こそが義務。どんな状況でも万人が従うことを意志できるような規則の順守」 

 

  1. 徳倫理 「有徳~習慣的行動に現れた賞賛すべき性格の特徴~な行為は正しい」 

 

(論点-1)自らの生存のために、難破した船の財物を奪い、生活の糧とすることは是認できるか? 

類似事例:店の経営と従業員の生活を守るため、コロナ対策である20時以降の営業自粛に応じない。 

 

お舟様は、「塩焼きの火に誘われてやってきたのだ。その頃は、身売りする者などいなかった。」、「お舟様の訪れさえあれば妻を売らずに済み、夫婦の関係も冷えることはなかったはずだ。」(P38) 

 

(論点-2)強奪の事実が判明すれば、自身への過酷なお咎めが必至であるため、祖先の命により、船員を殺す行為をどう評価すべきか? 

類似事例:任侠界の仁義なき抗争 

 

伊作の母の言葉:「情けなどかけてはならぬのだ。かれらを一人でも生かしておけば、災いが村に降りかかる。打ち殺すことはご先祖様がお決めになったことで、それが今でもつづけられている。村のしきたりは、まもらねばならぬ。」(P119) 

 

<功利主義> お舟さまに積載された生活品の獲得により、村民の幸福度は向上するため、幸福追求に必要な行為は許されると解釈できるか? 一方で、財物を奪われる商人、殺害される船員、強奪が露見した場合の村民への過酷なお咎め等の不幸量を考慮にいれると、幸福の総量>不幸の総量と言えるか。 

また「規則功利主義」の立場にたつと、他人の財物を奪ってはならない、人を殺してはならない規則が、一般幸福を増大させるため、これに反する村民の行為は是認されない? 

 

<カント義務論> 財物を盗んではいけない、人を殺してはならないという格率に反しており、正義ではない。 

 

<社会契約説> 難破した船の取り扱い、船員の殺害は、全て相互利益をもたらすためのご先祖様の決定であり、「先祖を含めた村民による契約」によるもの。その証として、財物は平等に分配される。村に利益をもたらさない感染者が村追いされるのも、掟に基づく。村民たちが、(村の)生存をかけた相互利益のために合意する規則として是認されるか?  

 

<倫理的利己主義> 自らの生存のために、自己利益を追求する。但し、お舟さまの強奪においては、共同作業と平等配分が行われ、個人利益を単位とはしていない。集団利益を単位とする「利己主義」と解釈できるのか? もしくは、自分の取り分を最大にするため、利己的に村の利益を最優先するとの思想か。一方で、殺人というおぞましい行為により、自らの利益を得ることを是認できるか。 

 

<徳理論> 「むら長」の決定は、有徳者による指示と言えるか。「勇敢」、「気前」、「正直」、「忠実」の4要素からみるに、疑問ありか?  

 

 

(論点―3) 重篤な感染症患者が、他者への感染を防止するため、「山追い」もしくは「船での海への隔離追放」を余儀なくされることは是認されるか。 

類似事例:コロナ感染者・濃厚接触者の2週間隔離、医療ひっ迫時の患者選別基準 

 

「村おさ様は、村に人が死に絶えてはご先祖様に申し訳が立たぬ。すすんで山に追われる身になろう、と申された。」(P224) 「隣村に行くことは、毒を他村に持ち込むことになる。他の人に迷惑をかけてはならぬ」(P226) 

 

「ご先祖さまに申し訳が立たぬ。」→村が存続できねば、霊帰りができなくなるという信仰に基づくものか。また、隣村の人に迷惑をかけてはならぬという発想は、カント義務論的発想か。隔離により、「感染拡大による不幸」を最小化する発想は、功利主義と言えるか。 

 

「社会契約説によれば、利益をもたらせない個体は、互恵的規則の観点から、社会的弱者として排除される。」