Nゼミ第65回勉強会メモ

日時:2020年2月21日(金) 18:00~19:30

出席:社会人16名、学生2名
アドバイザー:中谷常二先生

課題図書:

 

 

第5章・第6章


概要
(⇒ はアドバイザーによるファシリテーション)
第5章 倫理的利己主義
◎ 心理的利己主義について 
 ・ 動機が大切、ということかと思うが、動機は見えないことが多い。
 ・ CSR 利益のためにやっているのかどうかが問われる?
 ・ 企業は利益を上げることが存在意義であり、純粋に慈善的動機のCSRはあり得ないのでは。
 ・ 欧米のノブレスオブリージを言っているのかと思うが、本書の例ではレベルの違うものが混在していてわかりにくい。
 ・ 同期が大切とは言うが、善いことかどうかはする側が決めることなのか? 寄付を受ける側がどうなのかということの方が大切では?
⇒ 論点は善=ほめるべきこと なのかどどうかということ。
 ・ 企業の場合、寄付したことをマスコミに公表したりする。褒めてほしいということが動機なのでは。
 ・ グレタ・トゥーンベリは企業のふるまいを偽善であるとして痛烈に批判している。
 ・ 日本人には隠徳という考え方がある。
⇒ 隠徳も心理的利己主義を主張する者は褒めない。
要するにやりたいことをやっているだけ、ということ。
 ・ 地域貢献(地域の掃除等)も企業は他人に見える時間帯にやる。隠徳とは反対だが、企業には必要なのかも。
⇒ カントは動機が大切だというが、皆さんはどう思うか?
⇒ 心理的利己主義はレッテル張り
◎ 倫理的利己主義
⇒ リバタリアニズムの根源にある思想。
(参考) アイン・ランド 「肩をすくめるアトラス (Atlas Shrugged)」
https://www.amazon.co.jp/%E8%82%A9%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%8F%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3-%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/dp/4828411496
アメリカではいまも年間15万部は売れているというロングセラー。一般読者が選んだ20世紀の小説ベスト100第1位(1998年、ランダムハウス・モダンライブラリ発表)。聖書についでアメリカ人が「人生でもっとも影響をうけた本」(1991年、米国国会図書館、ブック・オヴ・ザ・マンス・クラブ共同調査)。

 ・ アメリカの立ち位置によく合っていると思う。
 ・ まず自分が自立しなければならないという意味では正しいのではないかと思う。
⇒ 倫理的利己主義者と結婚したいか
⇒ 倫理的利己主義者は信用できない?
自分の利益にならなければ裏切ることも辞さない、となる。
 ・ 倫理的利己主義は時間軸で解釈が変わっているのでは?
自己利益のために相手を傷つけないという考え方が続いていたのであれば銃社会にはならなかったのでは。
 ・ 倫理的利己主義だと優位にあるものが勝ってしまうのでよくないということだと理解。そうであれば一定の枠内であれば倫理的利己主義的な考えが成り立つのかもしれない。
 ・ 評価することを前提に議論しているように思うが、評価はいつ、誰がするのか?
自分が良いと思ってやっているのであればいいのではないかと思ってしまう。
⇒ 社会規範に関する議論であり、社会のルールをどうつくるかの議論
 ・ レイチェルズは利己主義と利他主義の両極端しかないことに対し、その中間があるはずだというが、突然中道と言われても違和感がある。
⇒ レイチェルズの功利主義者(最大多数の最大幸福の追求)という立場がここで出ている。
 ・ 仕事の中で価格だけでなく、相手のためを思って様々のサービスしているつもりだが、買い手は価格だけを利益と判断し、切られることがあるのが残念。

第6章 社会契約説
⇒ 市民的不服従はなぜ許されるのか? 
生まれたときからルールはある。そのルールに不満なときは従わなくて良いのか?
 ・ 社会のルールは憲法等、どう変えるかも規定して定めているが、そこにあてはまらない(変更のプロセスに参加することも許されない)被抑圧者がいるときに革命が許されるのかといった議論ではないか。是正する手段すら与えられていない人の不服従
※    ガイドラン、マナーのレベルの話はどこまで従わないといけないのか難しいところ。
 ・ キャンプ場、来た時よりもキレイにして帰ろうということがあるが、やらない人もある。でもやることによってより気持ちよく使えるようになる。
⇒ 旅先でチップを渡す必要があるか、二度と行かないキャンプ場であれば自己利益
のためならやらなくてもいいが、なぜしなければならないのか、というのが規範論。
回りまわって自分のためになる、ということであれば倫理的利己主義
 ・ 特異な発明家や芸術家などは倫理的利己主義者が多くてそれだけに突き抜けているのかもしれない。その人と結婚したいかと言えば別だが。そういう多様性も必要なのかもしれない。
⇒ 多様性がなぜ良いのか?と改めてれると考え問われると考えてしまう。
多様性はデフォルトで良いことというイメージだが、本当に多様な人間が入り混じった会社があったとしたらうまくいくはずがないのでは?多様性=正しい、と思わされているのかもしれない。

 

以上(文責 北村)