Nゼミ第60回勉強会メモ

日時: 平成31年2月27日(木) 18:00~19:30
アドバイザー: 中谷常二先生
出席: 社会人 15名+北村(記録)

課題図書: 「沈黙」遠藤周作

 

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〇 キチジローは本当に「弱い」のか?
〇 クリスチャンにとっての天国とはどんなところだったのか?
〇 みな天国に行けるというだけでキリスト教を信仰していたのか?
 ・ ヒサゴローが熱中症で死んだときの反応・・もう苦しむ必要はない
 ・ あくまで遠藤周作という日本人の解釈。欧米人にはロドリゴはあり得ない。
 ・ 当時の日本人は今の自分を救ってくれる対象として信仰したのだと思う。
 ・ 満たされていたら同じように信仰しなかったのではないか。
〇 信仰の強い、弱いではなく、同じ信仰のようでも実態がずれているところが描かれているのでは。
 ・ 神道、仏教という信仰、文化の素地がある中にキリスト教が入ってきたことで変化したということでは。
 ・ カトリックは偶像崇拝があるが、プロテスタントなら聖跡を欲しがったりしないだろう。踏絵も関係なかったかもしれない。
 ・ 天皇陛下に対する感情は宗教ではない。特攻も立場で追いやられたか、家族を守るために行ったのではないか。
 ・ キリスト教ではイエスだけが奇跡をおこなったのであり、その後奇跡は起きていない。ロドリゴも現生の助けを求めるべきではなかった。
 ・ 宗教は心に救いを与える反面、非寛容な側面がある。もっと寛容であればさらに
〇 信念を持つ人生と持たない人生?
 ・ 人を助けるためなら踏絵を踏むというのも一つの信念では。
 ・ 悩む強さ、悩まない強さ。悩みを受けて立つことも一つの強さかもしれない。キチジロも単に弱いとは言えないかもしれない。
〇 ロドリゴは布教活動に来ていたが、最後は布教をやめ自分の心の中だけに信仰を持ち続けた。宗教にとって布教活動は非常に大きな意味を持つのではないか。
 ・ 布教はミッション=使命。キリスト教は布教が信仰の使命。一方で日本神道は布教することはない。
 ・ 本来は良いもの、幸福になれるものだから他人にも勧めるということだっただろう。企業が世の中をよくするために商品を進めようとするのと基本的には同じではないか。
〇 企業に対する忠誠もキリスト教のミッションと似ているのでは?
 ・ 何故人間は拡大を望むのか?稲盛氏によればビッグバン以来生物に染み付いた性なのではないか。
 ・ 企業の場合は規模の経済の中での競争力を高めるために拡大路線をとる。ニッチな市場など特殊な場合を除いてそうなっていくのでは。
 ・ 植物でさえ拡大していこうという習性をもつ。何千万年もこれが続いているので
 ・ 人間は本質的に人と共感しあいたいという習性があるのだと思う。ロドリゴは自分の信仰を修正しながら生きていったのではないか
 ・ 拡大していこうというのは一つのリスクヘッジ
〇 宗教と信念は同じか?
 ・ 仕事は信念と同じではないか。Calling、Vocation、Berufのように仕事=天職という意味合いで用いられる。
 ・ 過労死と殉教は似通っているのでは?
〇 最後にキチジロを雇っているところからはロドリゴが最後まで布教を捨てたわけではないのではないか。
 ・ 結局自分もキチジロと同じだったと悟ったということか。
〇 神に対する新しい解釈を示したという意味で世界的に支持されているのでは。
〇 キチジロが一番人間らしい者として描かれている。作者はキチジロに対して愛をもって描いていると感じた。
〇 「沈黙」の怖さを知った体験。癌の告知を受けたとき「沈黙」され、横で看護士が泣いた。50%以下と言われた時すごく怖かった。また、係長で現場に赴任した時、係員がみな沈黙してしまって無視された。どうやって心を開いてもらおうと悩んだ。
 ・ 現代生活で沈黙という時間を持つことがなくなってきている。
 ・ 意味なく黙っているということはあり得ない。人の沈黙は必ず何かを意味している。
〇 ロドリゴの神は沈黙していたのではなく、踏めと言っている。本当は自分で決めたわけではない。
〇 「憐憫は情欲と同じように一種の本能に過ぎなかった」は共感する。
 ・ 憐憫は相手を下に見た勘定という議論もある。
 ・ 断り切れないという気持ち。力になりたいと思う。それを下に見ていると言われればそうかもしれない。
〇 日本人はキリスト教を信仰しているというより人を信じていると感じた。キチジロもキリストというよりロドリゴに付いて行っている、
 ・ 日本人は多数派につく。多数派が変われば一日で変わる。農耕民族の習性かもしれない。
〇 宗教とは何か、この本を読んでさらに分からなくなった。
 ・ 西欧の無宗教の人は聖跡などに無頓着。日本人は無宗教と言っていても仏像を破壊したりしない。
 ・ 西欧の信者はキリストが起こした奇跡を本当に信じている。日本人としてはそこに入り込めなかった。
 ・ キリスト教を信じられるかどうかは本当の神の存在を信じられるかどうかだと思う。個人的には神は存在すると思っている。この世の中の現在ある姿は不思議なほど統制が取れていて、偶然の産物とはとても思えない。
 ・ 日欧では神に対する感じ方が違うと思う。西欧は唯一絶対神として宇宙よりさらに上から全体を統制しているという考え方。日本は八百万の神で世の中に沢山の神が宿っているという感覚。個人的には日本の感覚になじみを感じる。
〇 ロドリゴは最後まで転ばないと思っていた。転んだところは本当に残念だと感じた。
 ・ 実際に転んだ人は本当に沈黙を守り歴史の表に出てこなかった。それを遠藤周作が取り上げた。
〇 ロドリゴの自己存在価値感が変遷していく過程を、自分の存在価値とは何かを考える機会として読んだ。

以上(文責 北村)