塚元さんによるレジメ

 

1 信仰の強さ

「神は、我々の智慧では洞察することのできぬもっとも善き運命を人間たちにお与えになる筈です。出発はあと二週間後に迫っていますが、おそらく主はその全能の奇蹟によって、すべてを調和させてくださるでしょう。」26頁

「この船旅の間、皆にとってほとんど役に立つどころか迷惑な存在だった彼が我々と同じ立場の人間だということがありうるでしょうか。いや、そんなことはありえない。信仰は決して一人の人間をこのような弱虫で卑怯な者にする筈がない。」34頁

「日本人の百姓たちは私を通して何に飢えていたのか。牛馬のように働かされ牛馬のように死んでいかねばならぬ、この連中ははじめてその足枷を棄てるひとすじの路を我々の教えに見つけたのです。仏教の坊主(ボンズ)たちは彼等を牛のように扱う者たちの味方でした。長い間、彼等はこの生がただ諦めるためにあると思っていたのです。」64頁

 

2 司教(ロドリゴ)の弱さ

「「踏んでもいい踏んでもいい」 そう叫んだあと、私は自分が司祭として口に出してはならぬことを言ったことに気がつきました。ガルペが咎めるように私を見つめていました。 キチジロ―はまだ泪ぐんでいました。「なんのため、こげん責苦ばデウスさまは与えられるとか。パードレ、わしらはなんにも悪いことばしとらんとに」 私たちは黙っていました。」81、82頁

「たとえばその人たちの魂が天に帰る時、空に栄光の光がみち、天使が喇叭を吹くような赫かしい殉教を夢みすぎました。だが、今、あなたにこうして報告している日本信徒の殉教はそのような赫かしいものではなく、こんなにみじめで、こんなに辛いものだったのです。」91頁

「もし自分も司祭でなく一人の信徒だったら、このまま逃げ出したかもしれません。私をしてこの闇に進ませるのは司祭としての自尊心と義務とでした。」95頁

「もしそれを肯定すれば、私の今日までのすべては、すべて打ち消されるのです。」105頁

「もし司祭という誇りや義務の観念がなければ私もまたキチジロ―と同じように踏絵を踏んだかもしれぬ。」121頁

「私はどんなことがあっても転ばないであろう。」157頁

 

3 キチジローの弱さ

「モキチは強か。俺(おい)らが植える強か苗のごと強か。だが、弱か苗はどげん肥しばやっても育ちも悪う実を結ばん。俺のごと生れつき根性の弱か者は、パードレ、この苗のごたるとです。」120頁

「「パードレ、聞いてつかわさい。悪うござりました。仕様んなかことば致しました。番人衆。俺は切支丹じゃ。牢にぶちこんでくれんや」」179頁

「この俺は転び者だとも。だとて一昔前に生れあわせていたならば、善かあ切支丹としてハライソに参ったかも知れん。こげんに転び者よと信徒衆に蔑(みこな)されずすんだでありましょうに。禁制の時に生れあわされたばっかりに……恨めしか。俺は恨めしか。」181頁

「強い者も弱い者もないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」「安心していきなさい」怒ったキチジロ―は声をおさえて泣いていたが、やがて体を動かし去っていった。」295頁

 

 

4 信仰の弱さ

「「わかりまっせん。あっじょん、パライソに行けば、ほんて永劫、安楽があると石田さまは常々、申されとりました。あそこじゃ、年貢のきびしいとり立てもなかとね。饑餓も病の心配もなか。苦役もなか。もう働くだけ働かされて、わしら」……「ほんと、この世は苦患(くげん)ばかりじゃけねえ。パライソにはそげんものはなかとですかね、ぱーどれ」 天国(パライソ)とはお前の考えているような形で存在するのではないと司祭は言おうとして、口を噤んだ。この百姓たちは教理を習う子供のように、天国とはきびしい税金も苦役もない別世界だと夢みているらしかった。その夢を残酷に崩す権利は誰にもなかった。「そうだよ」眼をしばたたきながら、彼は心の中で呟いた。「あそこでは、私たちは何も奪われることはないだろう」」128、129頁

「「久五郎は果報もんじゃの」と信徒の一人が羨ましそうに呟いた。「もう何の苦患ものう、いつまでも、眠るっとじゃ」 すると他の男女たちはうつろな眼でその言葉を聞いていた。」176頁

「よう思案せえよ」別の役人が、こちらに背を向け牢屋にむかって言っている。「命ば粗末にしてどうなるぞ。くどういようじゃが、早うすませば早うここから出られるとじゃ。今更、心より踏めとは申さぬ。ただ形の上で足かけ申したとて信心に傷はつくまいに」186頁

「奉行様も、もしパードレ・ガルペが転ぶと一言、言えば三人の命は助けようと申されておる。既にあの者たちは、昨日、奉行所にて踏絵に足かけ申した」「(転んでいい。転んでいい) 彼は遠くこちらに背を向けて役人の言葉を聞いているガルペに向って心の中で叫んだ。」208頁

「「ああいうものは、幾度見ても嫌なものだて」通辞は牀机から立ちあがると急に憎しみをこめた眼でふりかえった。」211頁

「自分はあの連中への憐憫にひきづられて、どうしようもなかった。しかし憐憫は行為ではなかった。愛でもなかった。憐憫は情欲と同じように一種の本能に過ぎなかった。」212頁

 

「彼らが信じていたのは基督教の神ではない。日本人は今日まで」「神の概念はもたなかったし、これからももてないだろう」「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力も持っていない」「日本人は人間を美化したり拡張したものを神とよぶ。人間と同じ存在をもつものを神とよぶ。だがそれは教会の神ではない」236頁

「我々とて本意から転べとは言うてはおらぬ。ただ表向きな、表向き転んだと申してくれぬか。あとはよいように、するゆえ」242頁

「あの者たちの中にも信徒だった者はおろうが、今はお前、ああして罵ることによって、己れが切支丹でないことを周りのものに見せておる」248頁

 

「あれは、鼾ではない。穴吊りにかけられた信徒たちの呻いている声だ」259頁

「あの人たちはなぜ転ばぬのかと。役人は笑って教えてくれた。彼等はもう幾度も転ぶと申した。だがお前が転ばぬ限り、あの百姓たちを助けるわけにはいかぬと」264頁

「あの人たちは、地上の苦しみの代わりに永遠の悦びをえるでしょう」264頁

「基督は転んだだろう。愛のために。自分のすべてを犠牲にしても」265頁

 

以上