日時:平成31年2月7日(木) 18:00~19:30
アドバイザー:中谷常二先生
出席:社会人9名、学生3名

課題図書: エドモンド・ロスタン 「シラノ・ド・ベルジュラック」 光文社古典新訳文庫

 

 

〇 恋愛は言葉でするもの?今は携帯が適切な表現を表してくれる。
 ・現代的に考えるとシラノはAIのかわりに最も相手に響く表現をクリスチャンのために作り出したという考え方もできる。
〇 クリスチャンはそこまで深くロクサーヌを愛していたのかどうか?
軽い恋愛相手くらいの感覚だったのではないのか?
 ・逆にシラノはクリスチャンを利用して自分の気持ちを伝えたのか?
 ・そんなに違いがあるとは感じなかった。
 ・イケメンだと言葉はいらない?黙っていても相手が寄ってくる男なら言葉の前に手が出るのでは?
〇 ロクサーヌはクリスチャンを一種アイドルのようにみていたのでは。
〇 日本男子は饒舌を嫌い、黙っていても内面を重んじる。その感覚からするとシラノは軽薄でしゃべりすぎという理解もあるかもしれない。
 ・シラノの口数を軽薄とはとらえなかった。しゃべることで自分の本質を相手に分かってもらおうとする心意気と感じた。
〇 死の間際にシラノがクリスチャンの代弁をしていたことが分かるような言い方をしてしまったところで「何故!」と思ってしまった。
〇 現実のシラノは同性愛者だったという話もある、これを踏まえて同性愛的にクリスチャンを愛しているという見方をすればロクサーヌは恋敵。それを踏まえるとクリスチャンとロクサーヌの恋を成就させたくなかったとも考えられる。
〇 最後に思いが成就したと取るかどうかの解釈によって最後のセリフに込める思いが変わってくるだろう。
〇 15年間通い続けたシラノの愛に気づかないロクサーヌは鈍すぎるのでは?
 ・作者が男なので気づかないというストーリーになっているが、普通なら気づくと思う。気づいたけれどシラノの顔を恋人としては受け入れられないとすれば、友達としての付き合いもできなくなってしまうことを恐れたのかもしれない。
 ・一方、通い続けたのにはっきり言わないシラノにも責任がある。
 ・クリスチャンとの約束を大切したのではないか。
 ・そう考えるとよくある話(寅さんみたいな)
 ・古典なのでそういう話の原型なのかも。
〇 額に接吻、で恋が成就とみることもできる?
〇 いまの人間は愛を語る言葉を使う教養がなくなっている?
 ・言葉でなくてもLINEのスタンプを真剣に選んで心を通じさせようとするのも一つの方法
 ・絵文字や「やばい」「ウザい」も上手く使って気持ちを通じさせようとすることには意味があると思うが、それだけでは表現として足りないのでは
 ・リベラル・アーツ的な本を読まなくても生活もできれば就職もできる。大人になったら読むようになるかというとならないと思う。ゲームはしても本は読まない。
 ・実用書以外の本を読まない人も多いが、小説を読むことに意義を感じる人が減っているように思う。そもそも小説を読むということは単なる趣味・遊びの範疇なのか、もっと人生にとって深い意味のあることなのか?
 ・絵文字やスタンプを使うのは受け取り手への依存が大きいのでは。
 ・逆に、画像等は言葉を補いより正確に気持ちを伝えるツールとして使われている面もある。
 ・小説は読み手による受け止め、印象の差が大きいのでは。
 ・一方で映画の方がインパクトが強く、受け手が想像力を働かせる余地が少ないとも感じる。
 ・言葉を使う能力が落ちているのか、習慣が変わってきているのかという違いかもしれない。
 ・現代は能力が落ちているというより効率を求めているとも考えられる。
〇 無料コンテンツにしか興味がない人が増えている。必要な料金を払わない人が増えることで創作する人のモチベーションが下がるのは問題だと思う

以上(文責 北村)