(田村 修一さんによるレジュメ)

 

- 全編を通して私が最も感じたのは、シラノの持つ「投影」と「灯影」の強い印象である。彼はロクサーヌへの想いに対してクリスチャンを媒介として自身を投影し、ロクサーヌの生涯に情熱的な詩作で灯火をともし続けた。

- シラノはいう。「晴らさぬ侮辱 ねぼけた良心 汚れた名誉心 決してそんなものは持ち歩いたことはない 心の手入れを怠らないのさ(P70)」と。不細工な鼻という消えないコンプレックスを持ちながらも、彼の持つ心意気を捨てることなく、それを隠すことはなかった。「俺はな この鼻がご自慢なのだ なぜと言って 大きな鼻は やさしくって 気がよくって 嗜みがあって…(P64)」劇中序盤では、皮肉的に聞こえる彼のコンプレックスに対する詩的表現も、彼の魂の強さから出た紛れのない想いであったことが分かる。

 「歌って 夢見て 笑って 歩いて 一人で 自由に なんでもよく見て 大声で叫び 帽子を斜めに頂いて 時には命がけの果し合い それに詩作 名誉栄達みんな忘れて思うはひたすら 月旅行 勝つも負けるも自分の腕1本 他人頼みの蔦になるのはまっぴら カシの木や菩提樹のように― 偉くなれまいが 俺は俺だ(P154)」シラノは、自身のコンプレックスに、ひたむきに向き合おうとしていたように感じる。表面的には力強い人間に見えて、非常に脆い人物であったのではないだろうか。彼は剣士としても一級ではあるが、反面、常に影があるような印象を受けるのである。

- 一方、孤児であったロクサーヌは愛と情熱に飢えており、恋に臆病であったシラノに二の足を踏ませるのである。ロクサーヌはクリスチャンへの表面的な面に恋慕の念を抱くが、シラノが紡ぐ詩作に次第に陶酔していく。恋という無形のものが言葉という手段を経て具体化し、人の心を動かすのである。シラノの愛を表現する言葉たちは、まさに高貴な精神的行為から生まれたものであり、彼の心意気を端的に表している。

- 雨の夜。クリスチャンとともに、ロクサーヌの屋敷を訪れたシラノは、情熱的な言葉でロクサーヌを魅了し、ついには「今夜はなんと美しい なんと楽しい夜だ いま私はすべてを言ってしまった 私のささやかな望みはかなえられた もう死んでもいい(P216)」とこぼす。どちらかと言えば詩的な感情ではなく、本心から出た感情の発露であったように思う。結果、クリスチャンへの愛を確信するロクサーヌであったが、屋敷を去るシラノから寂しさのようなものを感じる一方、どこか満足したような思いもあったのではないだろうか。

- シラノは後に戦争に赴くことになるが、ロクサーヌへの手紙を欠かさなかった。出兵の前にロクサーヌと約束した「クリスチャンに手紙を書かせる(P250)」という約束を自身で守り続けたことになるが、シラノの意思の強さには脱帽である。結果、ロクサーヌは戦場に乗り込んでくるが、まったく人の心を動かすにも程がある。身体的なコンプレックスがなく、もっと素直に生きられたら、シラノにも別の道があって、より一般的普遍的な幸せが訪れたのではないかと思うと、なんとも切ないものである。

- 戦場でのド・ギッシュとの関係性がより深く描かれるのも興味深い。クリスチャンとロクサーヌとの婚約を妨害したシラノに復讐をするため、青年隊を出兵させたド・ギッシュであったが、「なるほど それが復讐か」と言ったシラノに対し、ド・ギッシュはこう応える。「君に対して わたしが好意を抱いていたなら わざわざ君や君の仲間を選んだかどうか しかし 君の蛮勇は比べるものがない だから自分の恨みを晴らすのと 国王にお仕えするのは1つ事だ(P278)」戦いの終盤での二人の関係性や、戦後にシラノを認めた描写を踏まえると、ド・ギッシュがシラノを認めるキッカケになっている場面と言えるのではないか。ロクサーヌという女性を愛した二人に共通した感情が、シラノの詩的表現による心意気によって互いを理解する重要な要素になっている。

- 戦場から帰還したシラノは、クリスチャンを失ったロクサーヌとの関係が続いていく。彼の結末は、名もなき襲撃者に致命傷を負わされ、ついに死ぬのである。死ぬ間際に放つシラノの言葉に彼の魂の叫びが詰まっている。「無駄な努力 百も承知だ だがな 勝つ望みがあるときばかり 戦うのとはわけが違うぞ そうとも 負けると知って戦うのが 遥かに美しいのだ(P375)」全編を通じて知るシラノの人間性を考えると、精神論とも強がりとも思えない本心からの想いではないだろうか。「心意気だ(P377)」最期のときまで、シラノはシラノであり続けた。

- 本著の名作とされるのは、文末の「解題」の深い考察にも見て取ることができる。

- 「演劇的には、鼻の大きさを人間的な美徳に繋げて主張しつつも、それを揶揄する人間には、一刀のもとに切り捨てるという行動になり、劇的には、その醜さ故に、恋人が出来ず、詩人としての力量と現実の生活との間に極端な乖離・矛盾を生きねばならない。まさに「巨大で醜悪な鼻」のおかげで、作者は、「英雄喜劇」のヒーローの、実存的な両義性を手に入れることができたのである。(…中略…)みずからを「道化」として演出するためには、単に「巨大な鼻」だけでなく、人間関係の動機が要る。フランス17世紀古典主義演劇以来の伝統である「片思いの恋の言説」がそこに加わらねばなるまい。(P481)」

- この作品を端的に表す表現であり、我々の一生を形成するための単純明快な解ともとれる。人間の負の部分とそれを取り巻く物語が誰しも存在し、そこにはピエロ的な要素が含まれる。そこから生じる他者と差を比較し自身を客観視することで、個としての自分を再認識できる。そこから生まれる感情は多様であるが、蓋を開ければ、その実、とてもシンプルなものなのかもしれない。

以 上