第7章 自由とデモクラシー

1.個性の幻影
P266 個人の無意味と無力さという、どこででもファッシズム台頭の温床となるような現象に直面
    あらゆる外的な束縛から個人を解放することによって、近代デモクラシーは真の個人主義を完成したという通念と対立
    → 外的権威からの自由は、われわれが自分の個性を確立することができる内的な心理的条件があってはじめて、恒久的な成果となる。
P267 無力は権威主義的性格にみられる一種の逃避 孤独となった個人が自動人形となり、自我を失い、しかも同時に意識的には自分は自由であり、自分にのみ従属していると考えるような強迫的な画一性に導く

画一性の傾向を促進する例
P268 教育の結果、上から与えられた感情や思想や願望のために自発性が排除され、自然の精神的活動が打ちすてられることが、じつにしばしば起こっている。
   ・自分の進展を妨げようとする周囲の世界と摩擦を起こし、ある程度の敵意と反抗とをもつ。かれらは弱い敵対者としてその世界に屈服するのが通例である。この敵対的な反作用をとりのぞくことが、教育課程の本質的な目標の一つ。
   ・子どもは大人のように言葉によってはたやすくだまされることなく、他者のそのような否定的な性質を見抜く力を持っている
P269 子どもは教育の早い時期に、まったく「自分のもの」でない感情をもつように教えられる。とくに他人を好むこと、無批判的に親しそうにする事、またほほえむことを教えられる
   ひとはたんにジェスチャーをやっているにすぎないと気が付いていることもある。しかしたいていのばあい、かれはその意識を失っており、ひいてはにせの感情と自発的な親しさとを区別する能力を失っている。

P270 「感情的」とは、不健全で不均衡ということと同じになってしまった。映画や流行歌は、感情にうえた何百万という大衆を楽しませているような、安直でうわっつらな感傷性に陥っている。
P271 われわれの現代は単純に死を否定し、そのことによって、生の根本的な一つの面を否定している。死や苦悩の自覚が、生へのもっとも強力な刺激の一つとなり、人類の連帯性の基礎となり、また歓喜や熱情のはげしさや深さを持つためにかくことのできない経験となることを認めるかわりに個人はそれを抑圧することを強いられている。
P272 多くの精神病学者は、過度の悲しみや怒りや興奮を持たない「正常な」パーソナリティの像を描き出した。かれらは「正常な」個人の通例の型と一致しないパーソナリティの特性やタイプを呼ぶのに、「小児的」とか「神経症的」とかいう言葉を用いる。以前のより直接的な呼び方よりも危険

   教育のそもそもの発端から、独創的な思考は阻害され、既製品の思想がひとびとの頭にもたらされる。 ~ 一般の大人の子供にたいする態度に典型的にみられる不誠実(P268からの続き)

P273 事実についての知識の強調、あるいは情報の強調。 
   より多くの事実を知れば知るほど、真実の知識に到達するという迷信。

P274 思考一般は物質的生活の支配を求める要求から発達してきたように、真理の探究も個人や社会集団の関心や要求に根差している。 
P275 一般の成人に残されている独創的な思考能力を接巨奥的に混乱させる他の要素
    → 問題をぼかす ・・・ 専門家だけがしかもかれの限られた領域においてだけ理解できる
   → 本当に問題となっている事柄に対する、自分の思考能力の自信を失わせる。
P276 批判的な思考能力を麻痺させるもう一つの方法
    →世界について構成された像をすべて破壊すること ・・・ ひとびとの死を奉ずるニュースに、なんの恥ずかしげもなく石鹸や酒の広告が続く
    →われわれは自分の聞いていることに純粋に関係することができなくなり、世界に起こっている事柄に対するわれわれの態度は、平板な無関心な性質のものとなる。
P277 「自由」の名のもとに生活はあらゆる構成をうしなう
P278 近代人は自分の欲することを知っているというまぼろしのもとに生きているが、実際には欲すると予想されるものを欲しているにすぎないという真実
P279 現代においての良心の権威は、同調の道具としての、常識や世論という匿名の権威に交代した。古いあからさまな形の権威から自分を解放したので、新しい権威の餌食になっていることに気が付かない。自ら意志する個人であるという幻のもとに生きる自動人形となっている。
      幻想により個人はみずからの不安を意識しない代わりに個人の自我は弱体化し、無力感と極度の不安とを感じる。
P280 自我喪失の結果、順応の必要が増大した。
P282 興奮を約束し、個人の生活に意味と秩序とを確実にあたえると思われる政治的機構やシンボルが提供されるならば、どんなイデオロギーや指導者でも喜んで受け入れようとする危険である。人間機械の絶望が、ファッシズムの政治的目的を育てる豊かな土壌なのである。

2.自由と自発性

P285 自発性を目の当たりにできる例: 
1.芸術家、哲学者や科学者     2.小さな子供たち
P287 自発的な活動は、人間が自我の統一を犠牲することなしに、孤独の恐怖を克服する一つの道
     ひとは自我の自発的な実現において、彼自身を新しく外界に結び付ける
     愛はこのような自発性を構成する最も大切なもの。その愛とは、自我を相手のうちに解消するものでもなく、相手を所有するものでもなく、相手を自発的に肯定し、個人的自我の確保の上に立って、個人を他社と結びつけるような愛である。
     仕事も自発性を構成するもの。創造的行為において、人間が自然と一つとなるような、創造としての仕事である。
P288 自我は活動的であるほど強い。 所有そのものにはなんら純粋な強さはない。
    活動そのもの、すなわち過程がたいせつで、結果が大切でないことを意味する。
P290 自我の独自性はけっして平等の原理と矛盾しない。人間は生まれつき平等であるという命題の意味は、人間はすべて同じ根本的な人間性を与えられ、人間存在の根本的運命を分有し、すべて同じように、自由と幸福とを求める譲渡すべからざる要求を持っている。さらに、人間の関係は連帯性の関係であって、支配―服従の関係ではないことを意味する。平等の概念はすべての人間が類似していることを意味していない。経済生活においては、人間の差別はない。現実の人間としてあり、その独自性を培うことが個性の本質。
P293 真の理想とは、自我の成長、自由、幸福を促進するすべての目標であり、仮想の理想とは、主観的には魅惑的な経験でありながら、実際には生に有害であるような、強迫的な非合理的な目標と定義する。
P294 ファッシズムにあっては、犠牲は人間が自我を確保するために払わなければならない最高の値ではなく、それ自身一つの目的である。
P296 アナーキーということが、個人がどのような権威も認めないということを意味するのであれば、その答えは合理的権威と非合理的権威との差別について語ったことに見いだされるはずである。合理的権威は-真の理想のように-個人の成長と発展という目標を持っている。それゆえそれは、原則として個人やかれの現実の目標と対立することはなく、かれの病的な目標と衝突する。
P297 近代は純粋な個人主義の発展を約束する物質的基盤にかけていたが、資本主義はその前提を創りだした。直面している問題は人間-組織された社会の成員としての-が社会的経済的な力の主人となって、その奴隷であることをやめるように、それらの力を組織化することである。
P298 新しいデモクラシーの原理、すなわちどのような人間も飢えにひんしてはならないこと、社会がそのすべての成員に責任を持たなければならないこと、またどのような人間も失業や飢餓の恐怖によって服従へと脅かされたり、人間の誇りを失ったりしてはならないという原理を危険にさらしてはならない。
P299 純粋な活動の機会が個人に回復されること、社会の目的と彼自身の目的とが、観念的にではなく現実的に一致すること、またかれが、それが人間の理想からして意味と目的を持っているからこそ、その仕事に責任を感じ、積極的に努力と理性とを注ぐことである。
P301 集合と分散との結合というこの問題を解決することが、社会の主要な仕事の一つである。
P302 人間がこんにち苦しんでいるのは、貧困よりも、むしろかれが大きな機械の歯車、自動人形になってしまったという事実、かれの生活が空虚になりその意味を失ってしまったという事実である。
    デモクラシーは、人間精神がなしうる、一つの最強の信念、生命と真理とまた個人的自我の積極的な自発的な実現として、自由に対する信念を、ひとびとにしみこませることができるときにのみ、ニヒリズムの力に打ち勝つことができるであろう。

付 録 性格と社会過程

P306 社会的性格は、個人の持っている特性のうちから、あるものを抜き出したもので、一つの集団の大部分の成員が持っている性格構造の本質的な中核であり、その集団に共同の基本的経験と生活様式の結果発達したものである。
P307 性格というのは、人間のエネルギーが一定の社会の特殊な存在様式に対し、人間の欲求がダイナミックに適応した結果、形成されるもの。しかし性格は、逆に個人の思考や感情や行動を決定する。思想は、思考作用のうちに含まれている純粋に論理的な要素のほかに、思考する人間のパーソナリティの構造によって、大きく決定されてくる。
P308 仕事や成功というものを、人生の主要な目的とする考えは、近代人の孤独と疑いという地盤にたって、はじめて近代人に強く訴えるものとなった。
P310 思想が強力なものとなりうるのは、それがある一定の社会的性格に著しくみられる、ある特殊な人間的欲求に応える限りにおいてである。単に思考や感情ばかりでなく、行為もまた人間の性格構造によって決定される。
P313 性格が社会的欲求にダイナミックに適応していくことによって、人間のエネルギーは、摩擦をひきおこさずに、一定の型に形成され、特殊な経済的欲求に応じて行動するように仕向けられていく。
P315 教育の社会的機能は、個人にこれから社会で果たすはずになっている役割を、はたしうるような資質を与えること。教育方法は、社会的欲求を個人的性質に変形させる手段
P316 家族は社会の心理的代行者
P319 人間のパーソナリティに近づく根本的な方法は、世界や他人や自然やまた自己自身にたいする人間の関係を理解すること。
P326 人間は外界の変化に対して、自分自身を変化させることによって対処し、そしてこれらの心理的要因が、今度は逆に、経済的社会的な過程の形成を助長する。
    社会的な性格は、社会構造に対して人間性がダイナミックに適応していく結果生まれる。これらの新しい欲求が新しい思想を生み、人々にそれらの思想を受け入れやすいようにする。これらの新しい思想が、今度は新しい社会的性格を固定化し強化し、人間の考動を決定する。性格とは社会的条件に対する消極的な抵抗の結果ではなく、人間性に生得的な生物学的要素に基づく、あるいは歴史的進化の結果内在的となった要素に基づく、ダイナミックな適応の結果なのである。


以上。レジメ担当:大谷さん