日時:平成30年12月26日(火) 18:00~19:30
アドバイザー:中谷常二先生
出席: 社会人15名、学生1名
課題図書:エーリッヒ・フロム 「自由からの逃走」 東京創元社 7章と総括
○ 社会的に 「感じの良いパースナリティー」を持つことを強制されるというのは現代に通じているのでは。
○ 高校の頃は発達過程だったのか仲間外れになりたくないから愛想笑いをするように気を使っていた気がする。
○ SNS等で仲間外れにされないように無理に話を合わせるというのも同じかも
○ 以前ドラッカーを読んで現代に通じると思ったが、この本も時代を感じさせないところはすごいと思う。時代が変わっても人間の本質は変わらないと感じた。
○ 現代社会の方がさらに同じ傾向がエスカレートしている。
○ フロムの見方はファシズム批判に偏りすぎているように感じる部分がある。情報を無批判に信じるところも個人差があるのではないか。
○ p276に具体的に書いているように、ニュースのあとのコマーシャルなどは何が大切かまでぼやかせてしまっていると感じることもある。
○ そこは分かって割り切れるなら問題ないのではないか。例えば葬式のあと、精進落としで飲んで騒ぐというように、切り分け、切り替えが大事だと思う。
○ いままで疑問を持たず生きてきたので、そうやってメディアやネットに自分の精神が操作されているということに気づかされた。
○ 中国などは国民すべての考え方を操作する方向に向いているのでは。
○ 知らないことの方が幸福感はあるのかもしれない。
○ 自分は操作されていないと思っているが、どこまでが自由意志でどこから操作されているかも判断はつきにくい。
○ 超えてはいけない一線を認識していれば操作なり影響を受けることも悪いこととは言えないのではないか。
○ すべての判断について真剣な自由意志で選ぶとすると大変であり、ある程度の操作を受け入れることはあっても良いのでは?
○ 気づかないところで操作されてそれがファシズムを支えることになったことを考えると流されるのは怖い面もある。
○ ドイツのファシズムでも後半は悪とに気づいたが、それまでにルールを作って自分を縛ってしまい、後戻りできなくなった。
2.自由と自発性
○ 社会主義が欺瞞的な言葉となったロシアに関する記述はその後のソ連邦の崩壊を予言したかのようだ。
○ 書かれた年代が1940年代初頭なのでまだ社会主義の失敗を知らないで書いている。
○ ファシズムの根本は会社にも存在しうる。会社のために徹底的に自己犠牲を求める、例えば社員が自殺しても良いというような会社だと完全にファシズム。
(全体をとおして)
○ 操作されているというと、誰かが操作しているということかと思うが、ファシズムで頭に立つ人はリーダーシップがあるという意味ではヒトラーもナポレオンも有名ユーチューバーも同じか。どの程度の規模の集団からファシズムということになるのか。
○ ファシズムはサドマゾ関係のように依存が本質。ナチも後半はおかしいと思った人が多かったと思うが、すでに止められなかった。
○ 台風で倒れた電柱を修理しに行く電力マンはなぜ風の中を出動しようとするのか。天皇陛下のために死ぬこととの違いはどこにあるか線引きは難しい。
○ アマチュアスポーツの不祥事なども目上の人に調子を合わせてしまうようなメンタリティーが原因となったのでは。
○ 自分の意見をつくるのに専門家に任せようとする態度はいけなかったと反省した。
○ 企業の環境問題への対応についても、団体によってはそれをしなければ正しい企業ではないように言われて一種宗教的というか押しつけを感じる。
○ 企業を卒業して非常勤になったので自由な時間が増えたが、何かしなければならないと思っていろいろ手を出してしまう。もっと自由にしたらといわれることもあるがどちらが良いのかは難しい。
○ 会社を出た人がもとの自社製品などへのモンスタークレーマーになるケースが多いということも聞く。自由になったことへの苛立ち感がそういう方向にドライブさせるのかもしれない。
○ 毎日嫌な仕事をしていると自由な方がいいと思う。自由から逃げて仕事に向かっているわけではないつもりだが。自由になれたらやりたいことがいろいろあるが先立つものがないというのもある。本音のところ、今の仕事が本当にやりたいことではないとは思う。
以上(文責 北村)