【第6章】 ナチズムの心理 (小澤さん作成のレジメ)

 

【ナチズム支持の主体と背景要因】

(P231) ナチズムは心理的問題ではあるが、心理的要因それ自身は社会経済的要因によって形成されたものと理解されなければならない。またナチズムは経済的政治的な問題ではあるが、それがすべての人びとを捉えたことは、心理的地盤において理解されなければならない。

(P232) 一部の人びとは新しいイデオロギーに深く惹きつけられ、その主張者たちに狂信的に結びついた。しかし他の一部の人びとは、なんら強力な抵抗をなすこともなくナチ政権に屈服した。このグループの人びとは、主として労働者階級や自由主義的なブルジョアジーからなっており、ナチズムに対し絶えず敵意を抱いていたが、そのすぐれた組織にもかかわらず、当然期待してよいはずの内的抵抗を示さなかった。

(P232) ナチ政権に対する簡単な服従は、心理的には主として「内的な疲労」と「あきらめの状態」によると思われる。この状態は現代における個人の特徴であり、民主的な国々においてさえも例外ではない。

(P233) 大多数の人びとがナチ政府に対して忠誠を捧げるにいたったもう一つの誘因がある。
ひとたびヒットラーが権力を握った以上、かれに戦いを挑むことはドイツの共同体からみずからを閉めだすことを意味した。

(P233) より大きな集団と合一していないという感情ほど、一般の人間にとって堪えがたいものはない。もしかれが孤独であることと、ドイツに属している感情をもつことと、どちらか選ばなければならないとすれば、多くの人びとは後者を選ぶであろう。

(P233) どのような政党もひとたび国家の権力を掌握すると、「孤独の恐怖」と「道徳的原理の弱さ」が手伝って、大部分の民衆の忠誠を獲得することができるのである。

(P234) ナチのイデオロギーは「下層中産階級」によって熱烈に歓迎された。かれらの社会的性格にはいくつかの特徴的な特性があった。すなわち、「強者への愛」、「弱者に対する嫌悪」、「小心」、「敵意」、「けちくさいこと」、「禁欲主義」、というようなことである。
 

(P234) かれらの人生観は狭く、未知の人間を猜疑嫌悪し、知人に対しては詮索好きで嫉妬深く、しかもその嫉妬を「道徳的公憤」として合理化していた。かれらの全生活は、心理的にも経済的にも「欠乏の原則」に基づいていた。

(P236) ドイツ革命以前、下層中産階級の経済的地位は傾きつつあったものの、それはまだ絶望的ではなく、地位を安定させる多くの因子があった。しかし戦争後に状態は大きく変化した。

(P237) 経済的衰退、敗戦と君主制の崩壊(かれらは君主政治によりかかり一体となることによって安全感と自己満足的な誇りを獲得していた)、インフレ、そして中産階級にとって安定の最後の要塞である「家族」もまた粉砕された。

(P238) 君主制や国家のような権威の衰退は、個人的な権威である両親の役割にも影響を及ぼした。若い世代にとって、両親から尊敬するようにと教えられた権威が弱体を暴露したとき、両親もまた威信と権威を失った。

(P238) 下層中産階級の「古い世代」はますます怨みと憤りを感じるようになったが、それは消極的なものだった。それに反して「若い世代」は、行動に突き進んでいった。

(P239) 増大する社会的不満は外部へ反射することになり、それは国家社会主義の重要な源泉となった。国家の敗北とヴェルサイユ条約は現実の不満(社会的不満)がすりかえられるシンボルとなった。ヴェルサイユ条約に対する憤りは下層中産階級のうちに根ざしていた。
そして「国家的公憤」は、社会的劣等感を国家的劣等感に投影する、一つの合理化であった。
 

 

【ヒットラーの性格について】
(P239) この投影はヒットラーの個人的発展において明らかとなる。
かれは下層中産階級の典型的な代表者であって、機会も未来もなに一つない、とるにたらない人間であった。

(P243) ヒットラーのパースナリティと、かれの教説、およびナチの組織は、「権威主義的性格構造」の極端な形態を表現しており、まさにこの事実によって、かれと同じ性格構造をもった民衆に強く訴えたのである。

(P244) <ヒットラーのサディズム的側面>
権力を求めるサディズム的渇望は、「我が闘争」のうちにさまざまな表現で見出される。
かれは大衆を典型的なサディズム的方法で「軽蔑」し、「愛する」のである。

(P244) 「演説者の優れた力によって聴衆の意志を破壊することがプロパガンダの本質的要素である」とヒットラーは述べている。かれは平気で、聴衆の<肉体的疲労>が暗示にかかるもっとも歓迎すべき条件であると認め、支配的な力にたやすく屈服する<夕方>が、政治的な大衆の集会にもっともっとも適しているという。

(P245) ヒットラーは、服従への切望を生みだす条件をよく認識していた。
「新しい運動に参加するとき、個人は孤立的な感じがして恐怖にとらわれ勝ちであるが、大衆集会で同士の集まりをみて、人を勇気づけるものを受け取るのである。このような理由だけからでも大衆集会は必要である」

(P246) 権力の強調は、教育目的についてのヒットラーの公式のうちにも存在する。
「生徒の全教育と発達は、他人に対し絶対的に優越しているという確信をあたえるように導かれるべきである」
ほかの箇所でかれは、
「少年は反抗することなしに不正に堪えるように教育されなければならない」と主張している。
この矛盾は、「権力を求める欲望」と「服従を求める欲望」のサド・マゾヒズム的両面性に典型的なものである。

(P248) (権力欲の合理化)
ヒットラーは、かれの権力欲を合理化し正当化しようとつとめる。
すなわち、
- かれの他国民支配は,他国民自身の福祉のためであり、世界の文化の繁栄のためである、
- 権力欲は永遠の自然法に根ざしており、かれはこの法則を認識し、ただそれに従っているだけである、
- かれ自身は、「神、運命、歴史、自然」という、より高い力の命令のもとに行動している、
- かれの支配計画は、他民族の支配の企図に対する単なる防衛であり、かれはただ平和と自由のみを望んでいる、というような正当化である。

(P253) (サド・マゾヒズム的性格の典型)
「強者に対する愛」「無力者に対する憎悪」は、ヒットラーやかれの追随者の政治的行動を説明する。

(P254) かれは確立された強い権力とはけっして戦わず、かれが本質的に無力であると考えたグループとだけ常に戦った。かれのお気に入りの対象は「自分たちを防衛することのできない人びと」であった。

(P254) イギリスに対するヒットラーの態度は、この心理的コンプレックスによって決定されたと推測できる。イギリスが強力であると感じられる間は、かれはイギリスを愛し、賛美した。
ミュンヘン会談の前後、イギリスの地位の脆弱さが認められたとき、かれの愛は嫌悪と破壊欲に変わった。「宥和」はヒットラーのようなパースナリティにとっては、友情ではなく、「嫌悪」を引き起こす政策である。

<ヒットラーのマゾヒズム的側面>
(P254) 権威主義的性格には、無力な存在を支配する力を得たいという欲望とならんで、圧倒的に強い力に服従し、自己を絶滅したいという欲望が存在する。

(P254) 大衆は繰り返し繰り返し、個人はとるにたらず問題にならないと聞かされる。

(P255) 教育においては、「自己を主張しないように個人を教育することが教育の目的」だった。

(P256) ヒットラーは、かれの自己否定と犠牲の哲学が、どのような幸福も許されないような経済状態にある人たちにとって、お誂えむきにできていることをはっきりと理解している。

(P256) マゾヒズム的憧憬はヒットラー自身にも見出される。
かれにとって服従すべき優越した力は、「神、運命、必然、歴史、自然」である。
 

【結び】

 (P258) ここまで、ヒットラーの書物の中に、権威主義的性格の根本的な二つの傾向、すなわち- 人間を支配する力を求めようとする切望、と - 圧倒的に強い外部の力に服従しようとする憧れ、について示してきた。

(P259) 「人間の個性化」と「第一次的絆の破壊」という事実は逆転させることができない。
こうして人間は周囲の世界から解放された個人となる。人間はこの消極的自由にたえることができず、「新しい絆」に逃避しようとする。しかし「新しい絆」は世界との真の結合を構成しない。かれは自我の完全性を放棄することによって、新しい安定性の代価を払う。

(P260) しかし人間は、かれを一個の「原子」にしてしまった世界に生きているだけでなく、一人の個人となる可能性を与える世界にも生きている。

(P260) 「権威主義的性格」の機能は、「神経症的徴候」の機能と比較できる。
神経症はたえがたい心理的条件の結果であるが、その症状は生活を可能にする解決も提供する。しかしそのような徴候は、パースナリティの幸福や成長を導く解決ではない。

(P260) 「共棲への逃避」は、しばらくの間は苦痛を緩和することができるが、苦痛を除去することはできない。

(P260) 人類の歴史は「個性化の成長」の歴史であり、また「自由の増大」していく歴史である。
権威主義的組織は、自由の追求を生み出す根本的条件をとり除くことはできないし、自由の追求を根絶させることもできない。