日時:平成30年8月9日(木) 18:00~19:30 

アドバイザー:中谷常二先生 

出席:
(社会人) 7名(1名は懇親会から参加)  (学生) 1名 

課題図書:エーリッヒ・フロム 「自由からの逃走」 東京創元社 

 

 

3章-1、5章 

 

第3章 宗教改革時代の自由 

1中世的背景とルネッサンス 

○ 1分1分が大切という時間の観念ができたのは中世末期で意外に最近のこと。あくせくしないですんだ中世の方が幸福だった? 

○ 日本人と欧州の時間感覚の違い、許容範囲はかなり違うのではないか。 

 

○ 新幹線輸出において日本のシステムは日本人の勤勉さで運用しないとちゃんと動かないと見られているように思う。日本人並みのオペレーションは大変だから中国製にしておこう、とか・・・ 

 

○ 日本はなぜここまで厳しい時間感覚を持つようになったのか? 

○ 日本人の気質?尽きつめたいエンジニアの気質。 

○ 文句を言われたくないから正確に動かす・・・不寛容な社会 

○ 停電が一番短いのも日本 

○ 品質を上げることにかかるコストをコストと思わない? 最近やっと社会として問題視するようになってきた。 

 

○ 選ぶ自由があればみんな選ぶかというと、実際には選んでいないことは多い。 

○ 総合的に見れば、飢饉等もあり、平均寿命も短かった中世より、現代の方がいいということになるのでは? 

○ 日本人は同一性、画一性を重んじる教育を受けているので画一的な状態の方が幸福と感じる人間が多いのではないのか。 

 

第5章 逃避のメカニズム 

○ 発達障害・PCをきちんと使えない、ミリ単位の正確性でものごとができない人は正常でない、というのは本当なのかという疑問を覚えてしまう。 

○ 正常だという概念はとてもあいまい。 

 

○ 障害者雇用では障害者認を受けることで雇用場所を得られるが、認定のレベルでない「能力の劣った人」は働けないというギャップが存在する。 

 

○ ゾンビ信仰の発症は知的障害のある人を「先祖の生まれ変わり」と信じて社会に受け入れていたということ。 

○ 障害という名前がつくことによってその人に対するハードルが高くなってしまう感じはある。 

○ 障害や病名をつけることによって、適性に合った仕事を与える配慮をすることもできる。 

○ 障害・病気と個性は分けて考えるべき。病気であれば治療を考える。個性であればそれを活かした仕事を考えるということでは? 

 

○ 英語では障害者のことを”disabled” ではなく、”Different Ability”というようになってきている。言葉だけかもしれないが、障害ではなく個性として扱おうとする考え方の現われだと思う。 

 

○ 盲目の人の国に目の見える人が行ったら視覚以外の感覚が鋭い盲人からみると「感覚の鈍い人」と見られてしまう、という小説がある。 

 

1.権威主義 

○ 巨人ファンはマゾヒスト?いや、阪神ファンのほうがさらにマゾ。 

○ 日本はグループ、組織に所属することが良しとされ、皆がそう思い込んでいる社会。これが起業する人が少ない一因かもしれない。 

 

○ パワハラの関係も、サドとマゾの共棲関係になっているのでは? 

○ ある調査では上下関係の仲がいい組織の方が「隠蔽」が起こりやすいという結果がある。双方に依存、「共棲」の感情があるのかもしれない。 

 

○ 日大アメフト部ももとは上下の一体感が強かったのではないか。 

○ 「いじめ」で問題になるケースも、いじめられている本人を除けばみな仲が良かったりする。 

○ 経営理念等で一つの方向を向こう、ということと「多様性」とは相反する? 

○ もともと多様な人材が集まっている会社では、その多様な人々が同じ方向を向いて仕事をしようという意味で経営理念は機能していると思う。 

 

○ 企業の外からではその会社がどういう方向性の人材を(本当に)欲しているのか分かりにくい。 

○ 双方努力はしているのではないか。企業も自社がどんな人材を求めているかを分かってもらうためにOBリクルーターを学生につけて自分自身の経験や感じ方を伝えるよう努力をしている。 

 

○ 組織に属していたら、既にマゾヒズムということなのか?(肯定的?否定的?あたりまえ?) 

○ どんな組織でもサド&マゾの関係になる面はあるだろう。答えはないが、それを自覚することができるようになるという意味で面白い本。 

○ 企業や実在の組織だけでなく、SNSでつくられるコミュニティーなどに属することで従属感を得るようになる人が増えてくるのではないか。 

以上(文責 北村)