日時:平成30年4月24日(火) 18:00~19:30
場所:明治安田生命大阪梅田ビル
アドバイザー:中谷譲二先生
出席:社会人12名、学生1名
課題図書:「世代間の衡平」亀本洋(論究ジュリスト22 現代の法課題と法哲学の接点より)

 

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○貯蓄率の問題
貧しい時代は貯蓄率は低くてもよいが、豊かになるにつれて上昇し、格差原理の要求を十分に実現できるほど豊かな段階に達したらゼロでも良い。
日本はすでに貯蓄率ゼロでも良い時代に入っているのかもしれない。
その割には日本は貯蓄率が高すぎるのでは。
アメリカも貯蓄率は低くても投資熱は高いので同じでは?
今日本では企業が投資せず溜め込んでいることは良くないとして投資に回すように促している。
基本的に日本の企業は確実に配当するために安定経営志向が強いと思う。
昔のご隠居はあまりお金を使わない生活をしていたが、今は年配でも旅行など費用がかかる。そのため年金では不足するのでは。
デフレ世代に生まれると飲み放題でも2,500円くらいだったが、今は値上がりしており、年金で楽しい生活をするのは難しいのでは?
日本人は色々なものを買いたいという消費マインドになってしまっていることが原因では?
北欧は税金も高いが、貯蓄しなくても社会保証が充実しているので困らない。一方で物価が高いこともあり、食生活など日本から見ると質素なもののようだ。
消費税が上がる=物価が上がるのは消費意欲を減退させる。すると貯蓄=投資に回るという効果が期待できるのでは?
日本は消費マインドになっているので消費税、物価が上がっても消費は減らないのでは?

○ 正義を巡る諸概念
環境問題については正義の問題ではないと書かれているが、疑問。
法とは、未来のことを規定するのではなく、過去に起きたことの結果で判断するということなのか。
立法と司法で役割が違う。司法は過去の問題について法に基づいて判断する。未来の予想に基づいて法を作るのが立法の役目。
将来の世代に資源を残すことを法は想定するか?
将来の世代がどういう意見を持つか分からないから、と、そこで思考停止しているのは法学者だから? 倫理学者は将来世代を想像して考える。
業法では日本はホワイトリスト、米国ではブラックリスト思考
現在生きている若者と老人の間の衡平であれば考えやすいが、将来の環境に与える影響といった問題は想像力が働きにくい。
加藤久武などは将来世代も含めて、想像可能であり、正義の問題として考えるべきだと説く。
年金問題は金利が下がっただけで、払った分程度は帰って来るはず。環境問題は将来世代にツケを払わせるかもしれないという意味で衡平の問題になりそうだ。
ウナギの資源が枯渇仕掛けているのに何故みんなウナギを食べるのだろうか? 将来の世代がウナギを食べられないのは不公平?
代替できる食料があれば究極的には不公平とは言えないのでは?
資源を残すための法制化としては、マグロの漁獲量制限などがあり、今後もっと厳しく適用すべきだという議論もある。
そもそもウナギやマグロを知らない将来世代はなくても困らないのでは?現時点で考えても昔はあったが今はなくなってしまったもの、絶滅した種なども沢山あるのでは。
20歳の学生としてはちょうど年金を払い始める年であり、本当に支払った年金が帰ってくるのか、老後の生活については不安に思ってしまう。
 

以上(文責 北村)