きょーは何の日(;一_一)1972年、昭和は47年のお話です!(^^)!
田中角栄の「日本列島改造論」刊行された日なんだそうです。工業再配置や地域開発を訴えました。懐かしい(^_^)/
そこで改めて!田中角栄(笑)
平成5年12月16日、田中角栄が75歳で息を引き取りました・・・ご存知、田中角栄!尋常高等小学校卒から首相に上り詰めた田中角栄・・・・数年前に石原さんの本で再度、大注目されました角栄さん!あらためて!わたしなりに・・・田中角栄(笑)
金権政治とロッキード事件で刑事被告人・・・・首相時代に列島改造論をぶちあげ、日中国交回復を行った田中のキャッチフレーズは決断と実行でありました!田中角栄は人情の人でもあったようです。自民党の石破さん!昭和58年9月に結婚した。仲人を頼みに行くと田中は即座に言った。何を言うんだ。お前にはおやじがいないじゃないか。オレはお前の親代わりとして、お袋さんの横に立ってやりたいんだ・・・・2年前に亡くなっていた石破の父、二朗は鳥取県知事や参院議員を務め、田中氏の盟友だったとか・・・。田中氏は結婚式に父親として出席・・・・びょうぶの前で石破の母と客を一人一人出迎えたそうです。
ロッキード事件で懲役4年の実刑判決が出る20日前のこと・・・・田中氏への批判は増幅。石破氏は田中先生はお金だけで首相になった人ではない。思いやりや懐の深さがあったからこそ心酔する人がいっぱいいたと振り返ったとか・・・・
阪神・淡路大震災や東日本大震災や熊本の地震・・・そして4年もなるコロナ禍( ̄ー ̄)もし田中角栄なら?どうしていたか?各地で怒る地震やコロナ、日本全体がいらだちに包まれています。石破さんはこう言います。田中先生ならば直後に被災者が何を望んでいるかを素早く見抜き2割増し3割増しで実現しただろう。そして恐ろしく批判され・・・真の評価は後世に委ねられたのではないか???(苦笑)
田中氏が最も重視して頼みにしたのは数だった。多数派を握ることは政策実現はもとより、政局を自在に動かす力の源だと考えたそうです。くしくも・・・今の政権・・・数で押し切る姿勢が何やら怖い感じもします。しかし野党がアカンすぎる(苦笑)
角栄さんは!選挙での勝利に特にこだわりました。若手には地元選挙区を徹底的に回れと指示。自民党の額賀氏は58年の衆院選出馬の時に田中氏から・・・有権者の3分の2と握手してこいと厳命されたそうです!初当選直後には2回生になるのがキミらの仕事だとハッパをかけられた。
指導内容も細やかだったそうです。集会では「私なんか手を握ってもらえないと思っている隅っこのおばあちゃんとだけ握手しろ・・・・。訃報があれば初七日にも花を出せ・・・・・。葬儀は慌ただしくて親族は悲しさがわからない。みんながいなくなって・・・ああ~お父ちゃんが死んだんだと悲しさを実感する。花はその時に出すんだ・・・・
エピソードは尽きません!今となっては選挙違反の事ばかり(苦笑)・・・金権政治が良いとは思いませんが!強烈なリーダーシップがあった時代・・・有権者と議員が!もっと身近にあったころ・・・今は事務的で悲しいかな・・・こじんまりしたリーダーシップが取れない人ばかり・・・本当の政治家は見当たりません・・・・決断と実行が出来るような・・・・議員さん・・・まじめなだけでは!誰でも同じやね(笑)