何とも言えない複雑な思いになりました。横田滋さんの訃報・・・今日はご命日らしいです。
「めぐみに会いたい」・・・訴え続けた父の願いは届かないままでした・・・拉致事件・・・1977年、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(拉致当時13歳)の父、滋さんは87歳で亡くなりました。妻の早紀江さん(87)と二人三脚で80歳を過ぎるまで全国を駆け回ってきた滋さん。拉致問題解決を訴える家族らの中心的な存在だった滋さんの死に、悲しみが広がってから三年。何にも動いていない( ̄ー ̄) 横田滋さんが45歳になった77年11月14日の誕生日のことだった。「お父さん、これからはおしゃれにも気を付けてね」。勤務先の日本銀行新潟支店から帰宅すると、めぐみさんがプレゼントの「くし」を用意して待ってくれていたそうです。「大人になったんだな。周囲にも気を配る年頃になったんだな」。思春期の女の子らしい気遣いに、顔をほころばせた父。  しかし・・・、翌15日、幸せな日々が一転した。  バドミントン部の練習を終えためぐみさんが、帰らない――。滋さん、早紀江さんたちは自宅近くの海岸を捜し回った。行方不明者を捜すテレビ番組にも出演。情報を求め続けてきた。  それから約20年。脱北者の証言でめぐみさんが拉致され、北朝鮮で生きているという情報が滋さんにもたらされた。「これで、めぐみは帰ってこられる」。97年3月、他の拉致被害者の7家族と「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」を結成し、代表に就いた。  「横田めぐみの父」と書かれたたすきをかけて街頭に立ったが、ビラをたたき落とされたこともあった。「拉致なんて本当にあるのか?」。冷たい言葉を浴びせられたこともあったが、地道な活動は少しずつ理解を広げ、2002年9月、当時の小泉首相が訪朝。初の日朝首脳会談で金正日総書記は拉致を認めて謝罪したが、めぐみさんら8人は「死亡」と伝えられた。  残酷な現実を突きつけられ、滋さんは記者会見で言葉を詰まらせると思わず涙をこぼした。この時、早紀江さんがとっさにマイクを握ると「いつ死んだかさえわからないものを、信じることはできません」と訴えた。こうした夫妻の姿は共感を呼び、拉致問題への関心は一気に高まった。  02年10月には5人の帰国が実現したが、その後は拉致問題に進展はなかった。それでも、滋さんは各地での講演や政府関係者との面会などで精力的に動いた。  優しい性格を表すようなソフトな語り口で知られた。05年11月からは、滋さんがあさがおの会メンバーと趣味で撮りためた家族の写真の展示を始めた。「めぐみがお嫁に行く時にでも持たせたい」。そう願う滋さんが撮影しためぐみさんの写真は一人娘への愛情にあふれ、見る人の心を打った。  体力の衰えを理由に家族会の代表を退いたのは、07年11月。その後も各地で講演は続けた。しかし足腰が弱り、16年3月、京都での講演を最後に遠方に出かけることはなくなった。18年4月以降、入院生活を送っていたそうです。

幸せであった家に突然起きた拉致事件・・・大事な娘を拉致されて、それもすぐ近くの国に・・・安倍さんは政治生命を賭けて取り組むと一次内閣の頃から言っておられました。非常に難しいとは思います。滋さんの訃報・・・何よりも安倍さんは重く受け止めておられるとは思います。北朝鮮によって信じられないような事が行われて・・・拉致された方や・・・家族の人生を奪う・・・許せる事ではありません。娘と再び会える事はなかった・・・他の方にもとにかく時間がありません。せめて会わせてあげたい。