「人はいつからでも、どんな状況からでも幸せになれる!」
そう確信させていただいたお方が古市佳央さんです。
古市さんの10分間の講演動画、こちらでご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=1uilugnBJPo
本当に、ゆったりとしたわかりやすい語り口で、非常に聴きやすいです。
スーッと入ってきます。
古市さんに「講師トレーニングみたいなのってされたんですか?」って質問したら、
「いやぁ、してないですよ」とのこと。
すごい!
だからこそ、神講演、ですね!(*^◯^*)
古市さんの歌声はこちらで聞いていただけます。
『タイムマシーン』感動です!
https://www.youtube.com/watch?v=PxWhPOetgmY
声の深さも素敵ですし、本当に、古市さんの温かさが素敵です。
ぜひ、多くの方に古市さんと出会っていただきたい!
そう思って、5月10日(日)、古市さんと、岡田沙織さんのコラボ講演会を企画しました。
越谷中央市民会館にて。
参加費大人2000円
高校生以下無料
詳細は、こちら
https://www.facebook.com/events/219894992720288/
こくちーず
https://www.kokuchpro.com/event/fc4ed9aa596fe6dba38484f333dbc135/
古市さんの著書紹介動画はこちらからご覧いただけます!
https://www.youtube.com/watch?v=EPWmPw8Zs78
今日も、奇跡の1日のスタートです。
今ある命に感謝して、奇跡の1日を、味わって過ごしましょう!
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『這い上がり ある「顔」の喪失と再生の半生記』古市佳央
あるとき、僕は思った。
生き残ったことに、何か意味があるのではないかと。
もしかしたら、僕には何かやるべきことがあるのかもしれないと。
今の僕だからこそ、何かできるのではないか。
これからの僕の目標は「この体になってよかった」と心から言えること。
そして、言える日は必ず来る。
1971年9月19日、4人兄弟の末っ子として生まれた。
同じ痛みを持つものがそばにいるというのは、本当に心強いもの。
俺は一人じゃない。
そう思うことができるし、彼らが頑張っていれば励みにもなる。
死にたいと思っていた気持ちが薄れていったのも、8人部屋の仲間がいたから。
ずっと惨めな思いをしてきた俺に、8人部屋の仲間が生きる活力を与えてくれた。
病院内での暮らしを楽しくしようと意識したことは、俺のリハビリにすごく役立った。
誰かと楽しく話しができると、
「俺はまだまだいける、生きている価値を認めてもらえたんだ」
そんな気持ちになれた。
それが生きる自信につながった。
入院患者の中に、白血病を患っているTさんという女性がいた。
生きたくても生きられない。
好きな人を悲しませたくないから結婚はできない。
俺はまだ幸せだとそのとき思った。
数年後、彼女の葬式に呼ばれた。
彼女は結婚という夢を叶えて、死んでいったことを知った。
「もし、この時に佳央さんと出会っていたら、眼中になかったと思う」
「この時の佳央さんの目は死んでいる。今の透き通っている目とは全然違う。
今の佳央さんの方が好きだし、今の佳央さんじゃなければ、好きにはならなかった」
「お前の顔は、一度会ったら一生忘れられない顔だ。
人に覚えてもらえる顔なんだ。
それを武器にして人脈を作れば、絶対儲かる」
約3年ほど、実家のそばに40台くらい置ける駐車場を借り、個人で売買を行った。
月収は最低30万円、最高で100万円くらいだった。
3年も経つと、親戚や友人も信頼してくれるようになった。
ちゃんと生計を立てていることや、車を見て、「これなら大丈夫」と安心したのだろう。
任せてくれるようになった。
信用とはそういうもの。
口でいくら「信用してくれ」と言っても、信頼は勝ち取れない。
黙って態度で示すしかない。
言ったことは必ず実行する。
絶対に人は裏切らない。
これを守ってきたことが、俺が信頼を勝ち得た理由。
人と人との間で、信用を壊すのは簡単。
逆に信用を得るのは、1日ではまず無理。
積み重ねがものをいう。
朝は女性のようにメイクをしなくてはならないから、その時間も必要。
夜は誰かと一緒にいると、メイクを落とすことができなくて、それもつらい。
たとえ見た目が人と違っても、偏見の目で見ることなく、誰もが同じ土俵で生きていくためには、世の中の意識が変わるしかない。
そのためには、僕のような外見にトラブルを抱えた人間が、もっともっと外を歩き、多くの人に慣れてもらう必要がある。
もちろん、偉そうに言っている今だって、完全に立ち直ったとは言えない。
何かうまくいかない時は、やけどのせいにしてしまうし、やけくそになりそうな時も、たくさんある。
でも、今、僕は確かにここに生きている。
そのことに意味があるような気がしてならない。
お母さん・古市美智子さんの話(178ページ)
「生きていたからこそわかったんだね、本当に良かったね」と言ってあげたい。
同じ入院患者であった友人・佐藤誠司さんの話
一つの救いは、そんな僕にも優しくしてくれる看護婦さんがいたこと。
僕が車好きなことを知ると、「絶対に私が車には乗れるようにしてあげるから」と、泣きながら言ってくれた。
「僕も頑張らないと」と、ほんの少し、前向きになれた瞬間だった。
でも、僕が本当に立ち直れたのは、古市くんのおかげ。
古市くんは、僕が想像していたよりはるかに逞しかった。
古市くんは、まず自分でやってみようとする。
一度、彼に「なぜそんなに頑張るんだ?」と聞いたことがある。
彼はこう答えた。
「だって俺は、自分で事故を起こしちゃったんですよ。
自分が頑張らないと、親に全部負担がかかってしまう。
だから一生懸命にやらないと」
この言葉を聞いて、自分が情けなくなった。
人のミスで火傷を負った僕は、被害者意識が強く、「どうして俺がここまで苦しまなくてはならないのか」と、いつも不平不満ばかり。
人に甘えて、自分では何も努力をしていなかった。
古市くんと出会って、初めて、積極的に生きる気持ちが芽生えた。
「自分」を持っているからこそ、人にも優しくなれる。
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『君の力になりたい』古市佳央
1988年4月2日。
その日は、俺の第二の人生の始発駅だった。
このことに気づくまでには、相当の時間とたくさんの人との出会いが必要だった。
後悔からチャレンジへ。
絶望から希望へ。
チクショウからありがとうへ。
無意味な人生から意味ある人生へ。
今、ようやく俺は、充実した人生を送っているように思う。
事故で経験したつらい思いや地獄の生活。
それを乗り越えたからこそ、最高の感動を知ることができた。
今の自分を好きになれたことが、最大の理由だ。
「俺の顔を返してくれ。
元の顔に戻してくれ」
「こんなことがあっていいのか?
こんな不幸なことってあっていいのか?
何で俺が?」
「一生病院暮らしか?」
どん底まで落ち込んだ。
それでも、患者さんや看護婦さんとのふれあいで、徐々に明るさを取り戻していった。
人が生きているということは、多くの人を元気づけ、意味のあることなのだということを、教えてもらえたような気がした。
ネットワークビジネスの仕事をしたことがきっかけで、掴んだものも大きい。
まったく初対面の人と話をすると言うことは、今までになかったことで、ましてや人に顔や手を見られる仕事など、考えただけでもゾッとしていたのに、それをがむしゃらにやっている自分がいた。
また、それを受け入れてくれる人もいた。
しかし、成し遂げられなかったことにかわりはなく、またプータローの生活が始まった。
そして、この頃から真剣に将来のことや仕事のことを考えるようになっていったのも事実。
人からの信用をつけることに専念した。
裏切らない。
約束は守る。
精一杯のお客のニーズに応える努力をした。
頑張っているうちに、少しずつだが信用も付いてきたような気がする。
事故を起こしてからの約7年間で、33回の手術を経て退院した。
2001年11月13日に、埼玉県志木市の宗岡小学校から、講演をしてほしいという依頼があった。
講演が終わると子どもたちからいろいろな質問が出た。
その中に、
「タイムマシーンがあったら、事故の前に戻りたいですか?」
という質問があった。
この質問に、言葉を詰まらせ、少し考えてから、
「昔の腐った人間には戻りたくないですね。
今の気持ちのまま、昔に戻れるなら戻りたいです」
その時まで、考えてもいなかったことを考えることになった。
多分、1年以上前なら、同じ質問に、
「戻りたいです!」
と大きな声で言っていたと思う。
しかし、講演後の質問では、そうは思わなくなっていた。
事故前の、心が汚い自分には戻りたくない。
事故を起こしてからこれまでに、本当にいろいろな人に出会ってきた。
人と人との出会いの積み重ねで、最後の大きなハードルを越えることができた。
今まで乗り越えられない大きな壁だった昔の自分を、やっと越えることができた。
そして、ようやく、今の自分も好きになることができた。
やけどをしてでいなくなったことが、たくさんある。
しかし、やけどをしたことによって、得られたものもたくさんある。
これに気づいただけでも、やけどをしてよかったと思う。
これが、俺の生きている意味であり、使命でもあると思う。
これからも俺のことを必要としてくれる人の力になりたい。
そして、自分自身も成長させていきたいと強く思っている。