紹介動画はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=SUZjPaw9vHk&list=UUjXyWVBgT7nKty6BqNAb37Q&index=19
ミニマリストが流行っている昨今。
妻の影響もあり、たまたまのご縁もあり、読んでみました。
写真付きでわかりやすく、結果、僕自身、部屋が片付きました!
モノが云々するよりも、生き方の問題。
モノとの関係で自分の価値を高める・自分の価値を感じる生き方よりも、
今を過ごすこと。
今を豊かに生きることを大切にした結果、モノのない暮らしに至った方々が多いんだなぁと感じました。
モノが溢れる現代社会だからこそ、
モノをできる限り減らして、自分とのつながりを増やして生きていく。
そこに一つの答えがあるのかもしれませんね!?
今日も、今ここを大切に、豊かな1日を、楽しみましょう!
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『「何もない部屋」で暮らしたい ミニマルに暮らす10人の生活デザイン』ミニマルライフ研究会
人生を楽しむためには、本当に必要なモノだけあればいい。
ゆるりまいさん著書
『わたしのウチには、なんにもない。』シリーズ
『なんにもない部屋のもの選び』
もし、今の生活に悩んでいる人がいて、何をしたらいいかわからない人がいたら、ぜひ言いたいです。
「ミニマリストを目指してみませんか?」と。
おはぎさん
シンプルな生活を送ることで、やりたいことが実現できる。
悩んだ末にたどり着いた言葉「暮らしは宝箱」
モノがないことで、暮らしの集中力が高まる。
ロングライフデザイン
モノはない方が、人生は充実しますよ。
家にいるときだけでも、自分の好きなことに100%の時間を使いたい。
自分を楽しませることにしか時間を使わない。
そんな生活ができるのは、どれだけ裕福なのかも、どれだけ貧乏なのかも関係ない。
私はそう思う。
肘さん
モノは、どうせ死ぬときには持っていけない。
持っていても仕方ない部分もある。
私は自信を持って「好きなことをしている」と言える。
それが言えるか、言えないか。
その意識の差が一番大切。
もし、ミニマリストになりたい人がいるのなら、モノを捨てる前に、意識を変えることから始めたらいいと私は思う。
必要と不必要を見極める境目は、「1年以上使っていないモノ」。
「1年以上使っていないモノ」があるなら、思い切って捨てちゃえばいい。
これは意図的にすることもできる。
捨てようか迷っているモノを押入れの中にしまっちゃう。
それで、1年間使わずに普通に生活できたら、自分には必要なかったんだと思える。
これを繰り返していったら、モノがほとんど残らない。
本当に必要なモノなんて、限られた数でしかない。
それに気付けるかは自分次第。
充実した生活をしたいのであれば、モノに時間を取られるのは本当にバカらしいと思う。
消費がアホらしい。
だから、自分が欲しいと思ったモノでも、すぐには買わない。
それが本当に必要なモノなのか。
それを考えてからじゃないと、買い物もしないようにしている。
何もない状態で、素手で戦う。
自分以外の何かで自分を高めている人を見ると、かわいそうだなぁと思ってしまう。
高級車であったり、高層マンションだったり、親なら子どもの学歴なんかもそうだけど、それが自分の価値になるかは別だと思う。
ミニマリストの中ではそれを「記号」と言っているのですが、社会カーストと繋がるような記号を持っているだけ。
その記号性だけをみているのが今の世の中。
どうしてカーストを上ろうとするのか。
別に下でも楽しく暮らしていたら、いいと思う。
私はそんな記号なんかに縛られる生活は嫌だ。
もっと自由で、もっと楽しい人生を歩んでいきたい。
趣味の道具で棚がいっぱいになっていたが、「1年間触れなかったものは処分しよう」と決めたら、ほとんどがそうだった。
スッキリしたクローゼットをみて、「これが、ブログの人たちが見ていた世界なんだ!」と、ちょっとした啓示だった。
「1年ルール」を取り入れたら、きっと、使っていないモノだらけでびっくりすると思う。
躊躇した時は、「今必要か」だけを考える。
「この先使うかも?」なんて考えたら、全てが必要に思えてくる。
その見極めは、ある程度訓練で、手放せば手放すほど、決断が早くなっていく。
むしろ、「迷ったら手放す」。
今まで買い集めてきたもの。
だけど、必要ではないモノ。
そういったモノを次々に手放したら、手元に残ったものの少なさに自分でも驚いた。
「本当に大切にしたいものは、こんなに少なかったんだ」って。
きっと、モノが多くて汚い部屋には貧乏神が宿り、モノがなくなっていつも綺麗に掃除をすることで逃げていくんだ。
精神的な変化は、様々なストレスから解放されたこと。
まず、物欲が消えた。
モノを手放すほど、必要なものとそうでないモノが明確になっていく。
雑誌やCMの情報に惑わされることもなくなり、「いかに身軽にいきていくか」だけを考えるようになる。
片付けに追われるストレスもなくなり、1日に流れる時間がゆったりとする。
一番大きかったのが、モノ自体から受けるストレスから解放されたこと。
モノってそこにあるだけでメッセージを送ってくる。
使っていない調理道具、冷蔵庫の奥にある調味料、読んでいない難しい本。
すべての使っていないモノたちから問いかけられ、罪悪感は募るばかり。
その声に中途半端に応えては結局また放り出して、自己嫌悪になってしまったり・・・。
モノを手放すことで、それをなくし、自分が本当にしたいことと向き合えるようになる。
仮に後で買い直すことになっても、そのために使うお金より、
持っていることで受け続けるストレスの方がずっと大きいし、実際、買い直したモノって一つもない。
「思い出」も大きな荷物のひとつ。
もちろん、思い出は大切。
でも、モノを手放しても記憶には残る。
モノを手放すことで、心の負担もまた軽くなる。
小豆さん
引っ越しは掃除のいいきっかけになる。
自分はどれだけの荷物を持っているのかを把握できるし、
次の住居に持っていきたいのはコレ、いらないものはコレって感じで、いろいろと捨てやすい。
小さく暮らすことは身軽になること、未来の自分を自由にしてあげること。
今あるモノを減らすことから考え始めると、片付けは苦痛。
「入ってくるモノ」を最大限吟味すること。
具体的には、自分にできる範囲で、「一番いいものを買う」こと。
多少値段が高くても、本当に欲しければ躊躇しない。
減らすために買う。
逆説的だが、これが実に効果的。
ずっと憧れだったものを手に入れれば、「もうこれひとつでいいや」と思える。
本当に欲しいものに目をつむり、手近なものを買うばかりでは、物欲は収まらない。
家の中に自分が本当に好きなものが増えてくると、逆に不要なものがはっきりする。
そして、それでも捨てられないものが、本当に大切なものなのだと思う。
大切なものは人それぞれ。
「自分にとって大切なものは手放さなくていい」。
それは、ライフオーガナイズの考え方でもある。
「不要」であっても「好き」ならとっておく。
「好き」は人それぞれだから、その人の意思を尊重する。
一人ひとりの個性を大切に、家族全員が快適な部屋づくりをしたい。
家はもともと、収納と居住スペースのバランスを考えて設計されている。
本来人がくつろぐための場所にモノが溢れて、人の生活が圧迫されるなんて本末転倒。
決めたスペースから溢れるモノは潔く処分する。
「必要なものをすべて所有しなくてはならない」と考えず、積極的に外にあるモノを利用する。
本も図書館を利用すれば、場所もお金もかからない。
ビジネスの世界では、機械化もアウトソーシングも当たり前。
なのに、家事については、「自分でしないなんて」という後ろめたさがまだあるような気がする。
でも、1日は24時間しかない。
限りある時間を最も大切なことに割り当てていくしかない。
私たち夫婦にとっては、家にいる間は息子と遊ぶ時間が何より大切なので、家事の時間は極力減らしてやりくりしている。
「ミニマル」といっても、私はがらんどうの体育館のような部屋に住みたいわけではない。
我が家は、世界中で一番安らげる場所であって欲しい。
だから、観葉植物や写真も飾るし、家具はウォールナットの木目で揃えて、くつろげる空間づくりをする。
無駄なものはなく、機能的だけれど、リラックス感のあるインテリアで仕事の疲れをリセットしてくれる場所。
あえて言えば、ホテルのような空間が理想。