今朝の春日部市倫理法人会のモーニングセミナー 、入江 元太 さんの感動講話でした!
スイッチオンです!
以前、知覧に行った時に、藤井中尉のお話がどうしても理解できませでした。
その意味が、何となくわかったというか、
「本気で、想いを持ってやったことは、未来永劫語り継がれる」
ということを知り、
もっともっと自分自身も、「想いを語り続けていこう!」
「心からの想いから行動し続けていこう!」と強く思いました。
どういうことか。
解説したいのは2点です。
長くなります。
(1)藤井中尉は、29歳にして特攻で亡くなりました。
当時、24歳の奥様と、3歳、1歳の娘さんがいて、陸軍飛行学校で教官として特攻隊員の訓練にあたっていた藤井中尉は、
「お前たちを行かせはしない。俺も必ず行く」と常々言われていたそうです。
藤井中尉は、左手が悪く、操縦桿を握れない。
しかも、学校では、特攻兵の心を教えるという、非常に重要な立場を任されている。
陸軍としても、そう簡単に死なれてはいけない存在だったため、2度の志願も念願叶わずにいました。
そんな藤井中尉の想いを、奥様の福子さんは聞かされていたのだと思います。
1944年12月15日の朝。
1歳の女の子を背負い、3歳の娘とは手と手を紐で縛って、荒川に身を投じました。
「私たちがいては、あなたも思う存分の活躍ができないでしょうから、私たちは一足お先に待っています」
という遺書を残して。
そんな身近な家族の死に様に涙をこらえながら、藤井中尉は、
血判の志願状を書き、特攻に志願し、1945年5月28日、沖縄で散っていきました。
この話を初めて知ったとき(当時24歳!?)、全く意味がわかりませんでした。
「何でこんな戦争をしなきゃいけないの!?」
「何の意味があって、こんな風にしてまで生きて、死んでいくの!?」と思わされました。
その答えが、一つ、仮説かもしれませんが見えた気がしました。
(2)入江元太 さんは、特攻の生みの親、大西中将のお言葉を引き合いに出されていました。
「すでに日本の敗戦は免れないだろう。
しかし、この戦争で若者たちが、
国のためにこれだけのことをやったのだという事実を残すことは、
子孫にとって有意義なことだと思う」
「後世において、我々の子孫が、
先祖はかく戦いき、ということを記憶する限り、
大和民族が滅びることはないであろう」
もちろん、戦争はおかしい・あってはならないことだと思うし、特攻なんて愚の骨頂だとも思います。
何としても生き延びてこそ、できることがある。
そう強く信じています。
でも、こうした言葉に奮起して、
命を投げ捨ててでも、後世の我々に何かを伝えようと思った先人たちの想いがあったのであれば、
その想いを受け継ぎ、自分自身も理想を高く掲げ、
その理想の実現のために、自分にできることをどんな小さなことであっても、心を込めてやっていく。
その意義はものすごく大きいと思っています。
これまで、僕自身、「自分なんて・・・」という想いもあって、言ってきませんでした。
が!
これからは、本気で、全力で、言っていきます!
僕は、墓碑銘に書いてほしい文章はすでに決めています。
「人をとことん諦めなかった男、ここに眠る」
そして、「すべての人が、自分らしく輝ける社会の実現を目指して」、
本気で、全力で、今できることに心を込めて、やっていきます。
人は忘れる。
だからこそ、ここに記したものは繰り返し見直し、常に思い出せるようにしていきます。
元太 さん、本当に、感動の講話を、ありがとうございました!