とても、1分で読み切れる分量にまとめることはできませんでした。
それだけ、奥が深いし、いってることもわかる。
結局、「自己抑制型」と「欲求充足型」のバランスをとることが大事。
二者択一ではなく、「中庸」、間にこそ、答えがある、ということかな。
ただ、「反抗期」について知らずに子育てするのと、
知った上で、「こういう時期が来るんだ」「あっ! 来たー!」と思って対応するのとでは、
大違いだと思うので、だいぶ引用しました。
どんな育児法をするにせよ、「未来の子ども像」をしっかりと明確にした上で、
「そんな子育てをするためには、どんな関わりが大事か」を、
「今の子どもの現状」もしっかりと把握した上で、
「愛」をベースにしていったら、どんな子育ても間違いではない、と思っています。
何よりも、今ある「幸せ」を大切に、今しかない「今の子ども」との関係性を大切に、
「今」を大切に、日々、過ごしたいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
子どもは反抗して大人になる。そして、人間になる。「反抗」は決して悪いことではない。
子どもの反抗期は、人間になるために、ぜひとも必要な人生の1つのプロセス。
3歳前後の「第一反抗期」に、人間は、それまで未知だった「自我」と初めて遭遇する。
自我が確立されるのは、7~9歳の「中間反抗期」を経過して12歳前後の思春期になってから。それが「第二反抗期」。
「第二反抗期」になると子どもの心の中の「自我」ははっきりと「自分は自分であって他人とは違う」と明確に自己主張を始める。こうして、他人とは異なった1つの個性を持った人間が出来上がる。
大事なことは、それぞれの時期の「子どもの反抗期」の持つ重要な意味を、親や大人たちが正しく理解しておくこと。
<第一反抗期の姿>
子どもは天の邪鬼の性格を強くしていて、親の言いつけや指図に何でも「イヤ!」を連発する。
「顔を洗いなさい」→「イヤだ!」 「歯を磨きなさい」→「イヤだ!」
「もう寝なさい」→「イヤだ!」「じゃあ起きてなさい」→「イヤだ!」
「おもちゃを片付けなさい」→「イヤだ!」
「おやつだから、手を洗ってきなさい」と言うと「はーい」とちゃっかりしたところもある。
親は、「おや、もうこんな時期になったのか」と暖かく受け入れることが大事。
この時期は、「旺盛な好奇心」の芽生える時期でもある。子どもは、「どうして?」という質問をするようになる。親は、「うるさいわね」と言いたくなるところだが、そこをグッと我慢して、まともに対応してあげるのが、親のつとめ。
まともに答えにくい質問には、「さぁ、どうしてだろうね?」と返事をしておけばよい。
「大人でもわからないことがあるんだ」と子どもは納得する。
幼児は、満族のいく答えを望んでいるわけではない。
大事なことは、親が、子どもの反抗を必要以上に恐れないこと。
第一反抗期が見られなかったケース・・・「優しすぎる親」か「厳しすぎる親」
「優しすぎる親」・・・子どもの欲しがるものは何でも買い与える。先取りして何でも与える。
子どもの好むものだけ食べさせる。嫌がるものは一切食べさせない。
子どもを叱らない。子どもの喜ぶ顔だけを見ていようとする。
「厳しすぎる親」・・・ひどく叱る。折檻する。結果、「自我の芽生え」が抑圧されてしまう。
<中間反抗期(口答えの時期)>
「新聞を取ってきて」と言われると、「自分のことぐらい自分でしたらいいじゃないか」とぶつぶつ言いながら、それでも取ってきてくれる。
「してよいこと」「してはいけないこと」「しなければならないこと」をきちんと教える時期。
この時期、親から口答えを厳しく禁止されると、子どもはそれを恨みに思い、心の中で強く反発する。それが、将来の「以上な反抗」の誘引になる危険もある。
子どもの口答えの正当性をしっかりと認めることが大切。
<第二反抗期の姿>・・・子どもの直の確立のための戦い・子どもの独立宣言
自我を確立するためには、子どもは子どもとして、自分を生きなければならない。
親と同じことを考えたり、親と同じことをするのではなく、自分は自分でありたい。
自分の体験を親と共有したくなくなる時期。
親は、子どものプライベートな領域に、勝手に土足で侵入してはいけない。
「自分のことは、誰からも干渉されないようにそっと秘密にしておきたい」と子は考える。
親は、子どもの成長をしっかりと認め、子どもの変化にしっかりと対応する必要がある。
逃避しない。ご機嫌取りをしない。反抗を厳しく抑えつけようとしない。
子どもの反抗にビクビクすることなく、正面から堂々と立ち向かう親の存在が必要。
「上手に反抗させてくれる親」と互角に渡り合うことで、子どもは「大人社会への入場券」を手にすることができる。
子どもの自立を妨げる余計な行為をしないことが何よりも肝心。
「正常な反抗」か「異常な反抗」かを分けるキーポイント
①自分の感情を抑える「自己抑制力」があるか?
②他人の気持ちがわかる「思いやり」があるか?
③規則や法律を守る心構えがあるか? 正当な社会的価値観は身につけているか?
④他人に迷惑をかけないか?
⑤決して暴力を振るわないか?
子どもが親から精神的に独立して<自我を確立>するまでの5~6年続く戦いが「第二反抗期」
「親子密着型」あるいは「親子友達型」の親子関係では、第二反抗期が見られない場合がある。
「言葉による対話よりも、まず行動を見る」
アメリカでの「すぐにキレる子ども」たちの発生要因は、「愛情不足型」、いわゆるアタッチメントの不足。
日本で多い「すぐキレる子ども」たちは、「愛情過剰型」の過保護と過干渉に原因がある。
「自己抑制力」を手にすることが、「人間になるための条件」
脳には「発達の臨界期」がある。10歳までに言葉を聞くことのなかった子どもは、一生涯、まともに言葉を話すことができない。
「脳の発達の<臨界期>は、教育のチャンスといった意味だけではなく、脳を作るべき重要な時期。もしこの機会を逃したら、二度と取り戻せないでしょう。絶対に」マイケル・フェルプス(PETスキャンの発明者の一人)
今の日本では、「子ども中心主義」が育児法の主流になってしまった。
「お乳は欲しがる時に欲しがるだけ飲ますのが良い」
「抱っこもおんぶも添い寝も、望むだけしてあげる」
「子どもを泣かせるのはよくない。泣いたらすぐに対応すること」
「子どもの欲求は完全に満たしてあげる必要がある」
「子どものいいなりになれば、やがて親はその子に泣かされるようになる」(西洋のことわざ)
「自己抑制型」と「欲求充足型」の2つの方法論があり、どちらの方法にも長所も短所もある。どこがよくて、どこがまずいのかを明確にし、その善後策を講じる必要がある。
不当な欲求や過大な欲求は、早い時期に必ず断念させるという凛とした親の態度があって、子どもの自己抑制回路は強固に形成される。これは、3歳までにやるべきこと。
<親たちは、もっと自由にのびのびと> 3歳までの臨界期に必要な数々の感情体験
腹が立てば怒ればよい。そうしたら子どもは、「こんなことをしたら親は怒るんだ」と悟る。
悪いことをしたら叱ればよい。それで子どもは、「これはしてはいけないことなんだ」と知る。
よいことをしたら褒めたらよい。子どもは「親から褒められるからしてもよいことなんだ」と感じ取る。
嬉しかったら喜んだらよい。子どもは「もっと親を喜ばせたい」と思って夢中になる。
無理な欲求をあきらめさせたいなら、無視すればよい。子どもは泣きながら「我慢すること」を覚え、断念する。
<2つの対照的な育児理念>
①自己抑制型(ストイックな)育児法
お乳は時間を決めてきちんと飲ませ、途中で欲しがっても原則として与えない。抱っこもおんぶも添い寝もできるだけしないで、一人で寝かせておく。泣いてもすぐに抱き上げたりしない。悪いことをしたらその場で叱り、善悪の判断をきちんと教え、規則はちゃんと守らせる。
親に依頼心を持たせず、子どもの自立を一番に考える理念。
②欲求充足型(子ども中心の)育児法
お乳は欲しがる時に欲しいだけ与える。抱っこもおんぶも添い寝も子どもが望むだけしてあげる。泣いたら直ぐに対応しないと欲求不満を抱くからよくない。叱るのは、子どもの心を傷つけるのでよくない。親の価値観を押し付けるのはよくないことだ。子どもの意志と人権を尊重して子どもの判断に任せる。
子どもの意志を尊重し、親子の愛情関係の形成を第一に考える理念。
「自己抑制力」があって、キレることがなく、「思いやり」があって優しく、「価値判断」がしっかりしていて、信頼でき、しかもその上「忍耐力」があって、挫折に強い子を育てるためには、どちらの育児理念も一方にだけバイアスがかかる危険性がある。はっきり言えばどちらの要素も必要。子育てに必要なのは、常に両者のバランスをとった子育て感覚。
子どもを泣かせる必要のある場合もある。
欲求充足型の欠点
「泣けば欲求が叶えられる」→「泣いてわがままな欲求を通す」→「自己抑制力低下」
人間形成の成否を握る鍵は、結局、自己抑制力(自制心)があるかないか。
人生の早い時期の家庭教育こそ、それ以後の子育ての成否の鍵を握っている。
そこに「子育ての真髄」がある。
そのためには、欲求充足型の愛情だけでなく、自己抑制型の愛情も適切に使い分けることが必要。
アタッチメント形成は、次の段階の適切な「しつけ」のための道具。それを理解せずに、ただアタッチメントだけで自己完結しているから「子ども中心の子育て法」が極めて深刻な事態を招いている。
過保護は親の自己満足。育てる子どもをわがままにする。
愛情も、おもちゃや物品も、金銭も、ほんのちょっと少なめに与えるのがコツ。
腹が立っても相手と喧嘩しようと思うな。自分が立派になって相手を見返すようにしてやれ。
人間の新生児が他の動物と違っている大きな特徴。脳の大きさ。
脳の重量が体重の1割以上を占めているのは、人間以外には見当たらない。
大きな新生児の脳には、これまでの長い長い進化の過程で獲得した遺伝子情報が蓄えられているだけでなく、将来ユニークな知能を育み、人類未踏の領域の高度な知識の発見といった、無限の可能性へ向けて旅立つ要素も持っている。
子育てとは、本来、こうした無限の可能性を秘めた子どもを相手にしての、未来の世界、つまり、未知の領域への挑戦であり、大変に魅惑的な創造性豊かな仕事。
それだけに、子育てへの父親の積極的な参加がぜひとも必要になる。
もし、母親と同じ役割をする父親なら、その存在価値はない。
それぞれ違った父親の個性と母親の個性が共に存在してこそ、子どもは、「男性の気持ちや役割」も「女性の気持ちや役割」もどちらもきちんと理解できるようになった。それが、子どもたちにとって、対人関係(コミュニケーション)の重要な第一歩だった。
地球環境を守り、有限の地球資源を温存し、再生産可能な範囲のエネルギーを消費し、人間を排除しないで互いの共存を図るための新しい価値観の創造が、これからの子どもたちに託されている。
この困難な未来に挑戦する子どもたちには叡智が必要。他人を思いやる心、挫折に屈しない勇気、どんな苦難にも立ち向かう根気が必要。子どもたちの眼窩前頭域が脆弱であっていいはずがない。
それだけ、奥が深いし、いってることもわかる。
結局、「自己抑制型」と「欲求充足型」のバランスをとることが大事。
二者択一ではなく、「中庸」、間にこそ、答えがある、ということかな。
ただ、「反抗期」について知らずに子育てするのと、
知った上で、「こういう時期が来るんだ」「あっ! 来たー!」と思って対応するのとでは、
大違いだと思うので、だいぶ引用しました。
どんな育児法をするにせよ、「未来の子ども像」をしっかりと明確にした上で、
「そんな子育てをするためには、どんな関わりが大事か」を、
「今の子どもの現状」もしっかりと把握した上で、
「愛」をベースにしていったら、どんな子育ても間違いではない、と思っています。
何よりも、今ある「幸せ」を大切に、今しかない「今の子ども」との関係性を大切に、
「今」を大切に、日々、過ごしたいものです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
子どもは反抗して大人になる。そして、人間になる。「反抗」は決して悪いことではない。
子どもの反抗期は、人間になるために、ぜひとも必要な人生の1つのプロセス。
3歳前後の「第一反抗期」に、人間は、それまで未知だった「自我」と初めて遭遇する。
自我が確立されるのは、7~9歳の「中間反抗期」を経過して12歳前後の思春期になってから。それが「第二反抗期」。
「第二反抗期」になると子どもの心の中の「自我」ははっきりと「自分は自分であって他人とは違う」と明確に自己主張を始める。こうして、他人とは異なった1つの個性を持った人間が出来上がる。
大事なことは、それぞれの時期の「子どもの反抗期」の持つ重要な意味を、親や大人たちが正しく理解しておくこと。
<第一反抗期の姿>
子どもは天の邪鬼の性格を強くしていて、親の言いつけや指図に何でも「イヤ!」を連発する。
「顔を洗いなさい」→「イヤだ!」 「歯を磨きなさい」→「イヤだ!」
「もう寝なさい」→「イヤだ!」「じゃあ起きてなさい」→「イヤだ!」
「おもちゃを片付けなさい」→「イヤだ!」
「おやつだから、手を洗ってきなさい」と言うと「はーい」とちゃっかりしたところもある。
親は、「おや、もうこんな時期になったのか」と暖かく受け入れることが大事。
この時期は、「旺盛な好奇心」の芽生える時期でもある。子どもは、「どうして?」という質問をするようになる。親は、「うるさいわね」と言いたくなるところだが、そこをグッと我慢して、まともに対応してあげるのが、親のつとめ。
まともに答えにくい質問には、「さぁ、どうしてだろうね?」と返事をしておけばよい。
「大人でもわからないことがあるんだ」と子どもは納得する。
幼児は、満族のいく答えを望んでいるわけではない。
大事なことは、親が、子どもの反抗を必要以上に恐れないこと。
第一反抗期が見られなかったケース・・・「優しすぎる親」か「厳しすぎる親」
「優しすぎる親」・・・子どもの欲しがるものは何でも買い与える。先取りして何でも与える。
子どもの好むものだけ食べさせる。嫌がるものは一切食べさせない。
子どもを叱らない。子どもの喜ぶ顔だけを見ていようとする。
「厳しすぎる親」・・・ひどく叱る。折檻する。結果、「自我の芽生え」が抑圧されてしまう。
<中間反抗期(口答えの時期)>
「新聞を取ってきて」と言われると、「自分のことぐらい自分でしたらいいじゃないか」とぶつぶつ言いながら、それでも取ってきてくれる。
「してよいこと」「してはいけないこと」「しなければならないこと」をきちんと教える時期。
この時期、親から口答えを厳しく禁止されると、子どもはそれを恨みに思い、心の中で強く反発する。それが、将来の「以上な反抗」の誘引になる危険もある。
子どもの口答えの正当性をしっかりと認めることが大切。
<第二反抗期の姿>・・・子どもの直の確立のための戦い・子どもの独立宣言
自我を確立するためには、子どもは子どもとして、自分を生きなければならない。
親と同じことを考えたり、親と同じことをするのではなく、自分は自分でありたい。
自分の体験を親と共有したくなくなる時期。
親は、子どものプライベートな領域に、勝手に土足で侵入してはいけない。
「自分のことは、誰からも干渉されないようにそっと秘密にしておきたい」と子は考える。
親は、子どもの成長をしっかりと認め、子どもの変化にしっかりと対応する必要がある。
逃避しない。ご機嫌取りをしない。反抗を厳しく抑えつけようとしない。
子どもの反抗にビクビクすることなく、正面から堂々と立ち向かう親の存在が必要。
「上手に反抗させてくれる親」と互角に渡り合うことで、子どもは「大人社会への入場券」を手にすることができる。
子どもの自立を妨げる余計な行為をしないことが何よりも肝心。
「正常な反抗」か「異常な反抗」かを分けるキーポイント
①自分の感情を抑える「自己抑制力」があるか?
②他人の気持ちがわかる「思いやり」があるか?
③規則や法律を守る心構えがあるか? 正当な社会的価値観は身につけているか?
④他人に迷惑をかけないか?
⑤決して暴力を振るわないか?
子どもが親から精神的に独立して<自我を確立>するまでの5~6年続く戦いが「第二反抗期」
「親子密着型」あるいは「親子友達型」の親子関係では、第二反抗期が見られない場合がある。
「言葉による対話よりも、まず行動を見る」
アメリカでの「すぐにキレる子ども」たちの発生要因は、「愛情不足型」、いわゆるアタッチメントの不足。
日本で多い「すぐキレる子ども」たちは、「愛情過剰型」の過保護と過干渉に原因がある。
「自己抑制力」を手にすることが、「人間になるための条件」
脳には「発達の臨界期」がある。10歳までに言葉を聞くことのなかった子どもは、一生涯、まともに言葉を話すことができない。
「脳の発達の<臨界期>は、教育のチャンスといった意味だけではなく、脳を作るべき重要な時期。もしこの機会を逃したら、二度と取り戻せないでしょう。絶対に」マイケル・フェルプス(PETスキャンの発明者の一人)
今の日本では、「子ども中心主義」が育児法の主流になってしまった。
「お乳は欲しがる時に欲しがるだけ飲ますのが良い」
「抱っこもおんぶも添い寝も、望むだけしてあげる」
「子どもを泣かせるのはよくない。泣いたらすぐに対応すること」
「子どもの欲求は完全に満たしてあげる必要がある」
「子どものいいなりになれば、やがて親はその子に泣かされるようになる」(西洋のことわざ)
「自己抑制型」と「欲求充足型」の2つの方法論があり、どちらの方法にも長所も短所もある。どこがよくて、どこがまずいのかを明確にし、その善後策を講じる必要がある。
不当な欲求や過大な欲求は、早い時期に必ず断念させるという凛とした親の態度があって、子どもの自己抑制回路は強固に形成される。これは、3歳までにやるべきこと。
<親たちは、もっと自由にのびのびと> 3歳までの臨界期に必要な数々の感情体験
腹が立てば怒ればよい。そうしたら子どもは、「こんなことをしたら親は怒るんだ」と悟る。
悪いことをしたら叱ればよい。それで子どもは、「これはしてはいけないことなんだ」と知る。
よいことをしたら褒めたらよい。子どもは「親から褒められるからしてもよいことなんだ」と感じ取る。
嬉しかったら喜んだらよい。子どもは「もっと親を喜ばせたい」と思って夢中になる。
無理な欲求をあきらめさせたいなら、無視すればよい。子どもは泣きながら「我慢すること」を覚え、断念する。
<2つの対照的な育児理念>
①自己抑制型(ストイックな)育児法
お乳は時間を決めてきちんと飲ませ、途中で欲しがっても原則として与えない。抱っこもおんぶも添い寝もできるだけしないで、一人で寝かせておく。泣いてもすぐに抱き上げたりしない。悪いことをしたらその場で叱り、善悪の判断をきちんと教え、規則はちゃんと守らせる。
親に依頼心を持たせず、子どもの自立を一番に考える理念。
②欲求充足型(子ども中心の)育児法
お乳は欲しがる時に欲しいだけ与える。抱っこもおんぶも添い寝も子どもが望むだけしてあげる。泣いたら直ぐに対応しないと欲求不満を抱くからよくない。叱るのは、子どもの心を傷つけるのでよくない。親の価値観を押し付けるのはよくないことだ。子どもの意志と人権を尊重して子どもの判断に任せる。
子どもの意志を尊重し、親子の愛情関係の形成を第一に考える理念。
「自己抑制力」があって、キレることがなく、「思いやり」があって優しく、「価値判断」がしっかりしていて、信頼でき、しかもその上「忍耐力」があって、挫折に強い子を育てるためには、どちらの育児理念も一方にだけバイアスがかかる危険性がある。はっきり言えばどちらの要素も必要。子育てに必要なのは、常に両者のバランスをとった子育て感覚。
子どもを泣かせる必要のある場合もある。
欲求充足型の欠点
「泣けば欲求が叶えられる」→「泣いてわがままな欲求を通す」→「自己抑制力低下」
人間形成の成否を握る鍵は、結局、自己抑制力(自制心)があるかないか。
人生の早い時期の家庭教育こそ、それ以後の子育ての成否の鍵を握っている。
そこに「子育ての真髄」がある。
そのためには、欲求充足型の愛情だけでなく、自己抑制型の愛情も適切に使い分けることが必要。
アタッチメント形成は、次の段階の適切な「しつけ」のための道具。それを理解せずに、ただアタッチメントだけで自己完結しているから「子ども中心の子育て法」が極めて深刻な事態を招いている。
過保護は親の自己満足。育てる子どもをわがままにする。
愛情も、おもちゃや物品も、金銭も、ほんのちょっと少なめに与えるのがコツ。
腹が立っても相手と喧嘩しようと思うな。自分が立派になって相手を見返すようにしてやれ。
人間の新生児が他の動物と違っている大きな特徴。脳の大きさ。
脳の重量が体重の1割以上を占めているのは、人間以外には見当たらない。
大きな新生児の脳には、これまでの長い長い進化の過程で獲得した遺伝子情報が蓄えられているだけでなく、将来ユニークな知能を育み、人類未踏の領域の高度な知識の発見といった、無限の可能性へ向けて旅立つ要素も持っている。
子育てとは、本来、こうした無限の可能性を秘めた子どもを相手にしての、未来の世界、つまり、未知の領域への挑戦であり、大変に魅惑的な創造性豊かな仕事。
それだけに、子育てへの父親の積極的な参加がぜひとも必要になる。
もし、母親と同じ役割をする父親なら、その存在価値はない。
それぞれ違った父親の個性と母親の個性が共に存在してこそ、子どもは、「男性の気持ちや役割」も「女性の気持ちや役割」もどちらもきちんと理解できるようになった。それが、子どもたちにとって、対人関係(コミュニケーション)の重要な第一歩だった。
地球環境を守り、有限の地球資源を温存し、再生産可能な範囲のエネルギーを消費し、人間を排除しないで互いの共存を図るための新しい価値観の創造が、これからの子どもたちに託されている。
この困難な未来に挑戦する子どもたちには叡智が必要。他人を思いやる心、挫折に屈しない勇気、どんな苦難にも立ち向かう根気が必要。子どもたちの眼窩前頭域が脆弱であっていいはずがない。