Twitterでさいたまスーパーアリーナで元先生や塾の講師の皆さんが
ボランティアで勉強を教えてらっしゃるとしり、阪神・淡路大震災の際に
息子が通っていた幼稚園が解放されたことを思い出した。
その幼稚園は阪急岡本駅の北側にあり、東灘区の中では
被害が少ない地域にあったものの、震災後1週間しないうちに
幼稚園を再開された。
「来れる人は来てください」と連絡が入り驚いた記憶がある。
お弁当や給食は準備ができないので昼食は「カップ麺を
持たせてください」とのこと。
余震におびえ、倒壊した家屋を見て神経質になっていた
子供たちには朗報であった。
息子を送って行って、さらに驚いたことには、
小学生も受け入れてらしたことだ。
地域の小学校は倒壊は免れたものの震災後の混乱と
避難場所として提供されていた関係で、再開のめどが立っていなかった。
園長先生を始め、先生方は全員が被災をされていたが
子供たちのために何が必要かを自分自身がどのような状況に
あろうとも考えてくださっていたのだと思う。
そのような見せかけでないそのような深い愛は、
子供たちにしっかりと伝わっている。
その証拠に、息子の同級生たちは、
小学校~高校まで入学式の後、卒業式の後
連れだってその幼稚園を訪れている。
なんと、成人式の式典に参加後も幼稚園へ集合していた。
時には厳しく注意を受けたことがあっても、
どのような思いで接してもらっているのかを
子供たちはよくわかっている。
当然のことながら、子供だけでなく、大人もわかる。
そして、思いが伝わるのは、あくまで結果であって、
思いを伝えようとして行ってしまうと
その意図が前面に見えてしまい
かえって伝わらなくなるのかもしれない。