船舶の私権公示制度史その1 | とある海事代理士・行政書士の戯言

船舶の私権公示制度史その1

現在、船舶登記制度は船舶登記令によって規定されていますが、今までかなりの変遷を経ています。


登記法(明治19年法律第1号)

船舶登記規則(明治32年勅令第270号)

船舶登記令(平成17年政令第11号)


今回は登記制度が始まる前の船舶の私権公示制度を書いてみたいと思います。


我が国は四方を海に囲まれた海国であるため、船舶は重要な地位を占めます。


明治維新成立後間もなく商船規則(明治3年太政官布告)により船免状(現在の船舶国籍証書)が、船税規則(明治4年太政官布告)により船鑑札が発行され、主に公法的な権利を公示していました。


所有者の記載があるため、多少なりとも私権を公示する役目もあったようです。


しかしながら、これらの制度は船舶を抵当に入れる場合にそれを公示する機能はありません。


そこで、不動産と同じく公証制度が導入されます。船舶売買書入質手続(明治10年太政官布告)です。


これによって、私法的な公示は公証制度によりなされることになりました。


この公証制度というのは、戸長が売買証書等に奥書押印し、戸長役場に奥書割印帳にその要旨を書き、証書と共に割印をするというものでした。


一見すると、悪くない制度とも思えますが、次第に欠点が露呈します。


まずは、奥書割印帳は単に時間的に並べていただけで、検索方法がないことです。


例えば「1月10日○○丸 AからBに売買」「1月11日××丸を担保にCがDから100円借りる」・・・


というように並んでいるだけなので、たまっていくと発見すること自体が困難になってしまうのです。

(現在の登記制度は船舶ごとに作成される物的編成式なのですぐに見つかります)


また、戸長が扱うという点にも問題がありました。


戸長とは、従来の名主が任命された役職で、戸長役場というのは戸長の自宅ということもありました。


そのため、虫食い、鼠に齧られた、雨漏りで濡れた、適当に袋に入れていたので順番がわからない、行方不明、といった現在では信じられない事故が多発したのです。


さらには、筆生(書記官)が書類を偽造するという事件まで多発したため、信頼性が失われていました。


これらの点を踏まえて、新たな制度が模索されていくことになります。