今日2月14日は祖父の命日。
八年前のあの日も福井は雪が降ってた。

祖父は最期までお洒落だった。
乱れ髪は、闘病の最後で初めて見たくらいだった。
いつも髪を七三に分けて、上着の内ポケットにはくしをしのばせる祖父だった。
同じネクタイは二日続けて締めない祖父だった。
靴はいつもぴかぴかに磨いてた祖父だった。
酒の好きな祖父だった。

祖父の何が偉いって、それは言い出したらきりがない。

先に亡くなった姉さん女房の祖母と知り合った時、日本はまさに戦争への道を歩き出していた頃。
祖母の連れ子(叔父)をわが子のように育て、あの時代に大学まで卒業させた。
自分の商売を継がせたかったに違いないのに、叔父の生家のお寺に住職として送り出す。
商売で稼いだ金を毎月のように叔父に仕送りし、貧乏寺を再興するスポンサーとなる。

実子である母に婿養子(父)を迎え入れたのが、昭和37年。
大学を卒業しようとする父を横浜に訪ねたのが、卒業式の一週間前という。
「兄さん(父のこと)、卒業したら中々東京には来れないだろうから、
これで思い存分遊んできなさい。
結婚式の一週間前に福井に帰ってくれればいいから」
と言って、5万円を父に渡したらしい。
当時の大卒初任給が二万円に満たない時代に五万円。
父はそのお金を一円も使えなかったそうだ。

父が結婚して新婚旅行から帰ったその夜、土産を広げる父を呼んで祖父はこう言った。
「わしは今日で引退する。明日からは兄さんが万事采配を取ってよろしく頼む」
そして、会社の実印、銀行印、小切手帳を父に渡した。
実の親子でも先月まで学生だった息子にそれはできない。
まして、職人気質の商売。
渡した祖父も受けた父も凡人にできることではない。

おじいちゃん子だった俺は、子供の頃いつも祖父の足元にまとわりついてた。
多くの職人にいつも声をけてたな。
「○○、飯食ったか?」
それが口癖だった。

躾には厳しかったけど、従業員想いだった。
毎年年末の28日には、必ず朝から祖母と臼で餅をついてみんなに配ってた。
大晦日に仕事を終えて帰る従業員に、すき焼き用の肉を1キロずつ渡しながら、
「ありがとう、正月はゆっくりしなさい」とねぎらってた。

今日はバレンタインデーで世の男は浮かれる日かもしれないけど、
俺にとっては自分のルーツを考える大切な日。
次に生まれ変わっても、祖父の孫で生まれたい。