サッカーの世界に入った厨房時代に、世界のトッププレイヤーは西独のカイザー(皇帝)フランツ·ベッケンバウアーとオランダの革命児ヨハン·クライフが双頭だった。

ベッケンバウアー

当時は鉄板セオリーだった特定のマーク者を、最終ラインのデフェンダーでありながら敢えて持たずフリーに動く、リベロという概念を作り出した。デフェンスの底から攻撃の組立も担う、という画期的な戦術が彼の能力によって実現した。彼は屈強ドイツでもフィジカル押しではなく、いつも背筋を伸ばしクレバーでエレガントにプレーした。

当時バイエルン·ミュンヘンは黄金時代で西独代表監督も元BM監督のヘルムート·シェーン、1974年同国開催のW杯、代表選手はBMを軸に当時のライバル=ボルシア・メンヘングラードバッハの2強から主に選考された。

クライフ

フットボールのトップシーンにおいて、登場以前以後でゲームの態様が変わったほどの革命をもたらした天才児。神と言われる伝説的プレイヤー=ペレもマラドーナもメッシも、プレー面での天才だが、クライフはプレーを超えたゲームチェンジャーだった。ポジションを定めぬトータルフットボールをアヤックス監督ミケルスと構築、チャンピオンズカップ3連覇で世界に衝撃を与えた。クライフは痩身長髪、ヴィジュアルも完璧で真の意味でのスーパースターは彼以外いない。


その2人がW杯決勝で対決

クライフは西独のフォクツに徹底的に封じ込められて輝けず、センセーショナルな革命軍オランダは規律とゲルマン魂に1-2で敗れた。危うく優勝仕掛けたオランダは驚くことにW杯初出場だった。


この頃が日本にとって、世界が最も遠かった時代だったと思う。日本はアジアでも弱い方だったのだから。


ベッケンバウアーは統一ドイツ代表監督としてもW杯を制した。旧き良き時代のドイツの象徴といえる闘将が最後に観たのが、対日本2戦連続衝撃の惨敗。

世界の頂点に何度も立った彼は、祖国の凋落に何を思うたか。