ビザンツコインの最後は最盛期のマケドニア朝の金貨。
ビザンツ帝国 1028-1034年 ロマノス3世
ノミスマ ヒスタメノン金貨
NGC Ch AU Strike5/5 Surface3/5 light marks
表面はキリストの座像。
宝飾品にでもされていたのか爪の跡が付いてしまっていますが見た目はまあまあかと。
アヤソフィアのキリストのモザイク画
これより以前には偶像破壊の時代があり、キリストの図柄を使う事などとてもできない時勢だったのですが、この時代になると堂々と表面に打ち出されビザンツがキリスト教国家として完成した象徴のようでもありますね。
金貨の呼び名もローマ時代のソリドゥスからノミスマに変わりまして、中世時代に広く使われた金貨として中世のドルと呼ばれたのは有名な話ですね。
とはいったものの、ロマノス3世の治世はマケドニア朝の衰退の始まりでもあり、ちょっと軍事的な才能が無いのに頑張ったり、公共事業でお金使い過ぎたり、悪い奥さんと結婚したりといい所無しの残念な統治だったようです。
中世のドルと言えるのもこの時代辺りまでで、この後は改鋳による品位の低下で交易のレートが西方の金貨とは逆転してしまいます。
裏面は皇帝と聖母。
色々残念な方のコインですが図柄はビザンツの美術的にも完成度は高いと思うのですよね。
ちなみにヒスタメノンと言うのはマケドニア朝の時代にノミスマよりわずかに軽いテタルテロンと呼ばれる金貨が作られ、従来重量の方はヒスタメノンと呼ばれたそうです。ソリドゥスからはずいぶん幅広になりまして、この後のカップ型コインを予感させる作りです。
そういえばここまで書いてきて、はたと気が付いたのですがNGC鑑定によるAncientsていつまでが古代の対象に入るのでしょうかね?
ビザンツは1453年の滅亡までAncientsのままですが、同じ時代の中世ヨーロッパは普通のNGC鑑定スラブになっています。一般的にはビザンツ滅亡後辺りで歴史は近世になるのですが中世は一体何処に…。
さて中世ビザンツ帝国の最盛期はマケドニア朝と呼ばれるバシレイオス1世から始まる王朝とされます。
1025年頃のビザンツ帝国
前回のユスティニアヌス帝の死後、領土は次々と縮小し、遂には首都コンスタンティノープルも度々包囲されるという危機の時代を迎えます。
古代ローマが3世紀の危機を経て専制君主的な国家へと変容したように、ビザンツも危機の時代を経て領土の統治がローマ時代の属州制から軍事担当管によって軍管区を治めるテマ制へと変わったり、公用語もラテン語からギリシア語へと変化しております。
軍管区ごとに兵力を融通するというのは力を持った地方からの反乱という危険も後に出て来るのですが、優秀な皇帝の元では上手く行ったようでビザンツも領土の再拡張に成功して最盛期を迎える事となります。
文明の十字路に置かれたコンスタンティノープルも東西の交易で賑わい、ヨーロッパ最大の都市として繁栄します。
以前にビザンツ関係の本で読んだ繁栄を象徴するような金貨の話で、西方のヨーロッパから来た使者がコンスタンティノープルで皇帝が給料である金貨の袋を長い時間を掛けて次々と手渡していくという儀式の見学をした記述がありまして、今回のような金貨が沢山詰まっていたのかなと思ったものでした。
しかし、この後のロマノス3世の死後、政治的な混乱やトルコやブルガリアといった勢力の攻勢が始まり、コムネノス朝で一時的な立ち直りはしたものの、遂には十字軍による占領とビザンツは再び苦難の時代が訪れます。
衰退の時代のコインというのはなかなか手が出難くてカップ型コインの入手はどうしようかと思っておりまして、ローマから始めたビザンツコインもここでひとまず終わりにしたいと思います。
古代ローマは歴史的にも人気の時代でコイン収集も興味のある方が多いと思うのですが、後期帝政からその後のビザンツ時代のコインはなかなか知識的にも手が出難い分野かなと紹介してみました。
私も読んだ本の受け売り的に書いてしまった部分もありますが、今後興味が向いた方の参考になればなと思います。
ではこんな所で。