うう…まずい…2月が終わっ(以下略)
もー忙しくて、月1更新になってしまっております。
どこにも出かけられませんし、仕事ばっかりのフラフラのヘニョヘニョなので腹いせに近代コインを何枚か購入しているのですが、時間が出来ましたら紹介していこうかと思います。
と、その前にローマコインの話。
フィリップス・アラブス帝のアントニニアヌス銀貨です。今回も簡易鑑定スラブとなります。
帝政ローマ フィリップス・アラブス 244-249
アントニニアヌス銀貨
AU Danube Silver Collection
アラブスという呼び名は出身地がアラビアだったことからの名だそうですが、マクシミヌス・トラクス帝と同じようにあまり良い意味で付けられた名前ではないようです。
ゴルディアヌス帝がペルシア遠征中に死亡した後に皇帝になった事は前回も触れましたが、その後ペルシアと講和して遠征を終わらせ、首都ローマへと帰還します。
表面の碑文は”IMP M IVL PHILIPPVS AVG”(インペラトル マルクス ユリウス フィリップス アウグストゥス)こちらが正式な皇帝の即位名ですね。
後ろ盾の無いまま皇帝になったので後継だけは決めておこうと思ったのか、息子を共同皇帝として副帝にしているので息子名で発行したコインもたまに見かけます。まあこの時代の皇帝はマイナーなので積極的に集める人はいないとは思いますが、親子で並べて見るのも面白いかも。
後はこの方はローマ建国1000年祭を主催した事が有名ですね。ロムルスによるローマ建国が紀元前753年なので紀元248年で建国から1000年後という事で3日に渡る建国祭を行いました。フィリップス帝は建国祭の記念コインも発行しているそうです。
ローマの中心地フォロ・ロマーノの遺跡
各国境の防衛線は予断を許さない状況ではありましたが、首都ローマの中心地は歴代の皇帝達の建てた壮麗な建物で埋まり、そこで華やかな祭りを楽しむ人達にとっては国境の現状も遠い地の話だったみたいです。この後の歴史を知ることは無理な話ではありますが危機意識は無かったのかと思っちゃいますね。
裏面はリースを持つ勝利の女神と碑文は”VICTORIA AVG”皇帝の勝利といった感じですかね。
メソポタミア地方は放棄してしまいましたが、ドナウ川一帯のゴート族に対して防衛戦を行いコインにも勝利の宣伝として彫り込んだのですかね。
しかし、戦争後の属州パンノニアに総督として就いていたデキウスが兵士達に皇帝として推挙される事態となり、討伐として迎え撃ったフィリップス帝は戦闘に敗北して死亡。息子も共に殺され、皇帝は記録抹殺刑に処せられてしまいました。
やはり、後ろ盾も無いアラビア出身の皇帝として、属州を放棄してまでペルシア遠征を終わらせた事が後まで尾を引いたのかもしれません。
そして最後になりますが、こちらもコレクション表記があります。
”Danube Silver Collection”ドナウシルバーコレクション?今度も聞いた事も無い名前ですね…。そういう有名コレクションでもあるのでしょうか?
ファルークコレクションとかくらいに有名だと流石に私も知っていますが、外国のコレクション名はさっぱりです。そういえば直近のヘリテージのオークションでパラマウントコレクションのスラブがまとまって出品されていますね。お金無いので入札はしないと思いますけど。
ローマ銀貨は後3枚くらい紹介しようと思いますのでもう少しのお付き合いをお願いします。
ではこんな所で。



