ラムセス大王展の続きです。
今回の展示はラムセス朝時代(第19~20王朝)以後の第3中間期、第21~22王朝のタニスの至宝も目玉となっておりまして、私としてはこちらの展示を見たくて今回は行こうと思った経緯がありました。
ちょっとマイナーな王朝なので一応説明をしておこうかと思います。
ラムセス2世の第19王朝から移行した第20王朝は偉大な王にあやかって沢山のラムセス名の王がおり、ラムセス朝時代と呼ばれるのですが新王国時代衰退の時代になってしまいます。
この時代は前1200年のカタストロフと呼ばれる青銅器時代に繁栄した国家が次々に滅亡する危機の時代でもあり、原因は気候変動ではと言われるのですが、エジプトも例外ではなくラムセス3世の時代に海の民という謎の集団の来襲を受けています。
エジプトは撃退に成功したものの異民族の侵入は慢性化し、政治の混乱による王権の衰退や権力を増した神官によりテーベが自治国家のようになった分裂の時代を迎え、ラムセス11世の死後デルタ地帯の下エジプトは第21王朝として独立します。

位置関係はこんな感じ。ラムセス2世時代にはヌビア地方にまで進出していましたがラムセス朝末期にはアスワンまで後退しています。
そして第21王朝の首都となったタニスの遺跡から1939年に完全未盗掘の王墓の発掘と言う大発見がありまして、ファラオ達の棺を含めた金銀製品の副葬品が大量に出土しました。
まずは黄金のマスクで有名なプスセンネス1世の副葬品。
プスセンネス1世 - Wikipedia

巨大な襟飾りやブレスレットの金製品は8kgだったか10kgだったかで全部身に着けると動けないだろうという、衰退の時代の王の副葬品にしては破格の豪華さ。

スカラベの胸当て付きネックレス。


ロゼット文様もエジプトで長く使われるデザインですね。

上段の第18王朝の金製水差しもタニスの出土品。
タニス王墓の特徴として過去の王朝の副葬品を再利用している事があります。
ラムセス朝の末期にテーベの神官により王家の谷の墓を暴く指示の記録が残っておりまして、建前としては墓泥棒が頻発していた王達のミイラの修復と再埋葬いう名目もあったようですが、ラムセス2世のミイラも幾つかの墓を経由した後にデル・エル=バハリの隠し墓に最終的に安置されたようです。
第21王朝はテーベの勢力とも関係があったようで、こうして組織的に持ち出された副葬品の多くはタニスへと運ばれ再利用されたという経緯があるそうです。

プスセンネス1世の後を継いだアメンエムオペトの金箔貼りマスク。
この下にさらにもう少し出来の良いマスクも付けていました。
タニス王墓は湿地の土地柄のため木製品やミイラは腐食してしまい、こちらのマスクも破損していたのを元の形に復元しています。

シェションク2世のハヤブサ頭の銀製棺。私が特に見たかったのがこちら。
シェションク1世の方は旧約聖書にも出てくる王様になりますが、2世の方は何をしたのか良く分からないマイナーな方だったものの棺は素晴らし作りです。
タニスの至宝がまさか国内で見る事ができるとは、もうこれだけでも来た甲斐がありましたね!
今回のラムセス大王展は期間を延長していてくれたので運が良かったです。



横に置いてある4つの入れ物は内臓を収める銀製のカノポス壺。

書籍によっては金銀合金のエレクトラム製と書かれていたりしますが金も混じっているのでしょうかね?
エジプトでは銀が産出しないので金よりも貴重で外部からの持ち込みになり、リュディアのエレクトラムコインなどの金銀精錬法の確立はもう少し後のような気がしますが、ちょっと不勉強で古代エジプトの精錬技術って良く分からないです。

銀の棺の中に入っていた亜麻布を石膏で固めて金貼りした内棺もハヤブサの形。

さらに中のミイラ本体には装飾品や護符と共に黄金のマスクが被せてありました。

この状態の金製マスクは幾つか見つかってるようで、こちらはプスセンネス1世に仕えていたウェンジェバエンジェド将軍のマスク。
という事でラムセス大王展の話でした。

前回の記事の冒頭で書いた「我が名はオジマンディアス…」の一文は19世紀の「オジマンディアス」という詩の一節なのですが、倒れた巨像と王の碑文が刻まれた台座以外は一面砂の広がりでかつて王が成した事柄は何も残っていない、時の無常を謡った詩となります。(オジマンディアスはラムセスのギリシア語読み。)
しかし3000年以上経った後、近代の発掘で砂の中から遺物が発見されミイラさえも残り、ヒエログリフの解読からも沢山の王の成した事柄が現代にまで残っています。
こうして世界中の人々に知られるラムセス2世は、古代エジプト人が願った永遠の生命とまではいかなくとも数多い王の勝利の一つに数えてもいいのではないでしょうか。
ではこんな所で。