最近日記としての記事ではなく
半ば“つぶやき”や“心の叫び”に
なっていたので
今日はちゃんと文章を書こうかと。











読者に問いたい。

















離婚日記や過去の日記を通し
私の人生観や人柄、思考などを
書き記してきたつもりではある。



それを踏まえて問いたい。



“思い”と“想い”は
なにがちがうのだろうか?






私の今までの解釈では
“思い”は自身の心の内にある
いわば気持ちであり
“想い”とは他者を気遣う心
だと認識をしていた。






近年人はよく
“想い”が強ければ強いほど
“重い”と口にする。



では逆に“軽い想い”とは
いったいどんなものなのか。



人生は人それぞれであり
価値観も違えは考え方も異なる。

生きる意味さえも。






よって他者に対する想いや
他者から想われる事柄が
重荷であると感じることも
もちろんあるだろう。



しかし
恋愛や友情、家族に恋人、友人
その相手に対し全てが同じ
“想い”であるわけがないと
近頃考えこむ機会があった。













私の“想い”はただ重荷でしかなかった。






読者に問いたい。






“想い”とは
伝えるべきことでも
知るべきものでもないものか。



また、それならば
“思い”と“想い”は
何がちがうのだろうか。












追伸

“一生懸命”と“一所懸命”
この違いを、ある恩人に説いたことがある。

私は“一生懸命”な人でありたい。

そう彼女に答えた。

一所に対し懸命になる人ではなく
一生を費やすほど懸命になれる人
『火事から我が子を救いだした母の話』

そんな人になりたかったから。