令和6年5月観世会定期能
観世恭秀師(82)の『藤戸―蹉跎之伝(さたのでん)ー』を拝見する為に観世能楽堂へ。
今年の恭秀師の舞台が今のところこの一番だけという事で、
複数の知り合いと拝見出来た事は嬉しい限り。
『賀茂』
比較的拝見する機会の少ない脇能なので拝見した。
ワキ方・則久英志氏(60)が室明神神職としての涼やかな佇まいで脇能らしさを保っていた事と、
間狂言・善竹大二郎氏(43)の賀茂明神末社の神の福々しさ以外
見るべきところは見いだせなかった。
『杜若』
<物着>でモタツクばかりか、
その後見二人が何やら声を発して上手くできない事を舞台上で知らせてくれるのには呆れた。
ようよう出来上がった後シテのデップリとした姿に辟易し、観る気が失せた。
金春定期能に続き、
「観世会よ、おまえもか・・」という結果に時世を視る思いがした。
<休憩>時、あまりに不埒な舞台を見させられた為に心がザワついて
友人達の前で「さあ 学芸会は終了💛 いよいよ本番よ」
などとヤクザな暴言を吐いてしまったが・・アタシノセイジャアリマセン。
『藤戸―蹉跎之伝ー』
『藤戸』は19回目の鑑賞だが、
観世恭秀師の舞台は、今まで観た舞台の全てを上書きし、
新たな示唆を与えてくださる。
前シテは漁師の母。
一曲全体として観るクセが付いていると、いかに別人であっても
前場は抑え気味の感が有るものだが、
この母は忖度なし。あらん限りの力で盛綱に迫る。
それを受けての間狂言・善竹十郎師(80)は
この母に対する深い思い入れに溢れている。
「ねぇ、貴方は佐々木盛綱の家来でしょう? 大丈夫なの?」と、心の中で声掛けした程だが
盛綱の前に戻った時にはしっかりとした家人ブリ・・流石です。
後シテは殺された漁師本人の幽霊。
痩男の面に黒頭・漁師の出で立ち。
仕舞や舞囃子でも数多く拝見しているが
そのどれよりもあっさりとした印象に、ふと思う。
母親には手厚い保護が与えられ、
「一七日の殺生禁制、管弦講」によってこの漁師が成仏できたのなら
既に恨みは晴れているともとれる・・。
それに気づけたのはキリで棹を手放す仕草から・・。(あぁ・・)
後場全体が卑賤の哀れを醸し出す仕方話で品が良く、
ドロドロとした恨みがましさは感じられない。
小書きによる詳細な動きは絶品・・・・
恭秀師の個人の会が終了となり、
次の演能予定は来年3月の国立普及公演とのことだけれど、
ご本人がこれだけ充実しておられるのだからもう少し拝見したいと
多くのファンが切望している次第。