白河院ならびに法勝寺跡

 

   白河院ならびに法勝寺跡
白河院はもと藤原良房の別荘で、北家藤原氏によって代々受け継がれてきたが、藤原師実の時、白河天皇に献上され、承保2年(1075)天皇によってこの地に法勝寺が建立された。法勝寺は、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺とともに六勝寺と総称された寺で、東は岡崎道より三百メートル東、西は岡崎道は南は現在の動物園の南、北は冷泉通より五十メートル南に囲まれた広大な寺域を有し、境内には、金堂、講堂、阿弥陀堂などの諸堂が立ち並んでいた。中でも、池の中島の八角九重塔は壮大な高塔であったといわれている。しかし、文治元年(1185)の大地震により九重塔以外の諸堂の大半が倒壊し更に康永元年(1342)の火炎により残る堂舎も消失した。その後覚威和尚によって一部再建されたが衰退の一途を辿り、やがて廃寺となり、その後、大正、昭和を経て今日に至った。
                       (京都市指定名勝案内文より)

 

 令和5年6月18日(日)~22日(木)京都から若狭・越前へと旅に出た。

 9:01新幹線京都駅着

京都駅バス停9:26ー10:00岡崎法勝寺バス停すぐ前の宿「白河院」に荷物を預け、

外から少しだけ庭を覗いた。

 

 

 

 

 

 作者小川治兵衛は、通称「植治」と言い、代々植木を家業とした家柄で七代目。
遠州流造庭法の奥義をきわめ、小川流と呼ばれる独自の造園術を創始した人物で、主な作品としては、

山縣有朋の別邸「無鄰奄」、平安神宮の「神苑」、円山公園、等々有名箇所が多数・・

と、宿のHPにも紹介されているが

庭園を回遊するのは後にして、法性寺の痕跡を求めて敷地の外に回って見たが

そうした発見は無かった。

 

 

 

 

 

                平安神宮              10:25

 

 フリーマーケット開催中の参道を骨董品(?)や古着を眺めながら歩く。ニコニコ

 

 

 平安神宮は明治28年(1895)創建なので私の中では関心度が低かったが

今回は小川治兵衛作の池泉回遊式庭園を目当てに参拝した。

 

 

 庭園案内図は見学料を支払う神苑入口には無く、外拝殿に置いてある。

 

 

 

 

 

取水はここから?

 

[公式]平安神宮 | 明治を代表する日本庭園「平安神宮神苑」 (heianjingu.or.jp)

 

 

 

つづく