地下鉄東西線・椥辻駅から新十条通りを通り、山科川に掛かる椥辻橋を渡る。
途中、山科区役所前に建つ「山科区誕生記念」の碑と「山科の名所と史跡」の碑を拝見したが
細かくて把握できず、先を急いだ結果
予定していた「坂上田村麻呂之墓」より前に「中臣遺跡」に出会う。
中臣遺跡
昭和44年(1969)、当時の洛東高校1年生が、西野山中臣町で
弥生時代の須恵器土器破片を採集したことがきっかけだったという。
この説明板は西松屋前
坂上田村麻呂公園・坂上田村麻呂之墓
14:29 坂上田村麻呂之墓
山科は京の外という言葉が浮かんだ・・
坂上田村麻呂之墓 <700m> 朝日神社
舞殿の奉納額
折上稲荷神社
ご由緒 | 折上稲荷神社 (origami-inari.jp)
中臣群集墳跡
中臣鎌足が山科に「陶原の館」と呼ばれる邸宅を構えていたといわれているとか。
山科は中臣氏(後の藤原氏)の本拠地で
大津宮や平安京の隣接地として歴史的に重要な役割を果たした地域。
という事にはまだ関心が及んでいなかった。
この地域では、「鎌足の出生は奈良県の橿原」で、没したのは山科という説があるそうで、
鹿嶋の「鎌足神社」については
「鎌足(614・推古22年~669・天智天皇8年)は出生当時、父親(中臣氏)が鹿島神宮に派遣されていた」
という説との繋がりを考えたいと思う。
鎌足神社境内地 - 鹿嶋市ホームページ (city.kashima.ibaraki.jp)
花山稲荷神社
三条小鍛冶 | 三条小鍛治宗近旧跡 花山稲荷神社 (kwazan-inari.jp)
社殿奉納額
平安時代、三条小鍛冶宗近(刀鍛冶師)が参篭参詣し、
ついに稲荷大明神の御神助を得、当地の埴土で鞴(フイゴ)を作り、
名刀「小狐丸」を見事に鍛え上げ、それを聞いた諸国の刀鍛冶、金物師達が
競って参詣し、技の向上を祈願したと云われているとのこと。
稲荷―中臣―鍛冶師の関係が益々気になる・・。
花山神社参道鳥居
15:55ひがし都交通タクシータクシー16:04椥辻駅
地図上にあったタクシー会社は見つからなかったけれど、
お巡りさんや郵便配達の方のおかげでタクシー乗り場から無事に椥辻駅へ行きつくことができた。
今回の旅の目的はこれで終了。
次でお仕舞・・