第六天神社

 

手水舎の掲額

 

11:40 箱根神社入口バス停下車
11:52 箱根神社第二鳥居
11:59 来宮神社・日吉神社
12:01  箱根神社第三鳥居
12:05  手水舎後方に「源頼朝三度大難を免かるの記」碑

    源頼朝三度大難を免かるの記
源頼朝は治承4年8月石橋山の旗挙げのとき、手兵僅かに三百をもって三千余騎の敵兵と決戦して敗れたが、箱根山中の峻峰深谷の中に逃れつつ数日のあいだ縦横無尽の踏破を続けながらよく敵軍の急追を免れたが、この間箱根権現社を小道地蔵堂と土肥杉山の岩窟での三度の危期を脱して奇跡的な九死一生をえて後、遂に平家を倒して武家政治六百余年の基を築くに至った。
この箱根山中三難の奇跡は日頃信仰の篤かった関東総鎮守の当権現の援助とその神霊の加護によること る大である。ここにその昔日を追想して碑を建てて以て大いに神威を楠揚する。  昭和53年12月吉日
 

 

曽我神社

 

12:13 曽我神社


御祭神
曽我十郎祐成之命 曽我五郎時致之命
例祭日
5月28日(傘焼神事)
由緒
曽我神社は、鎌倉時代、箱根権現の稚児であった曽我五郎時致と、兄十郎祐成の霊を慰めるため「勝名荒神祠」としてお祀りされたのが始まりです。
江戸時代の正保四年(1647)小田原城主稲葉美濃守正則が石造の本殿を造営し、また平成の御代に社殿を改修しました。祥月命日には故実による傘焼の神事や、居合道の奉納等が行われ、今日なお心願成就の守護神として崇敬されている神社です。
 

曽我兄弟800年祭の碑(平成五癸酉年 祥月命日 宮司敬白)


   「兄弟杉」
曽我兄弟は、幼名を兄十郎は一萬、弟五郎は筥王と称しました。安元二年(1176)兄弟が5歳、3歳の時、同族間の所領争いが因で、実父河津三郎祐泰が工藤祐経に討たれるという不幸に遭遇します。
母満江御前は兄弟の身に危険の及ぶことを恐れ、曽我祐信(相模国曽我荘主)と再婚したので、兄弟も曽我姓を名乗り、やがて兄一萬は成人元服して十郎祐成と改めました。
弟筥王は実父の菩堤を弔うべく箱根権現別当の行実僧正の下に預けられ稚児となりましたが、孝心やみがたく権現の森の奥深く、杉の木を相手に秘かに武術に励みました。

 

龍神水

 

12:17~箱根神社・駒形神社・高根神社・九頭竜神社新宮・龍神水・恵比寿社など

 箱根神社と九頭竜神社の書置きの御朱印を頂く。


12:35~12:50 箱根神社宝物殿(撮影可・公表不可)・箱根七福神
 <休憩20分>

 

芦ノ湖と相模湾

 

13:20〈徒歩〉13:45駒ヶ岳ロープウェイ山麓駅
14:00〈ロープウェイ〉14:10山頂駅
箱根・駒ヶ岳頂上(標高1,356m/芦ノ湖は標高723m)

 

白馬伝説の有る馬降石

箱根神社元宮

 

 祭礼前日なので神職が在中、書置きの御朱印を頂く。

 

富士山が見えたびっくり

 

14:40〈ロープウェイ〉14:50山麓駅

 

箱根九頭竜の森 神山通り


15:15  九頭龍の森入口

 

白龍神社:

 

 参道(階段)が雪で埋まっており、公園側後からしか入れない状況を確認。

 

祭礼の時のみ使用される船着き場(祭礼前日)

 

15:32  九頭龍神社本宮・弁財天社

 

九頭龍神社本宮

 

   弁財天社の御由緒

奈良時代、箱根山の霊場”堂ヶ島”に天女が降臨し、その地で近世に至るまでお祀りされていましたが、明治政府の政策や自然災害の影響により鎮座地に変遷がありつつも、昭和30年代この地で祀られるようになったようです。
そして、平成12年に社殿の修復がなされ、現在にいたります。


ご祭神:市杵島姫命(いちきしまひめ の みこと)

例祭日:6月13日

 

箱根神社・九頭龍神社・箱根元宮 | 箱根神社(九頭龍神社)公式ホームページ (hakonejinja.or.jp)

 

 

 

箱根園〈タクシー〉曽我兄弟の墓バス停着 16:17


曽我兄弟の墓

 

 バス道は除雪してあるものの歩道はその分の雪で埋まっていて「墓」の近くに行きつけない。

是では近くに有るはずの「多田満仲の墓」を見つける事も叶わないが、

計画通り六道地蔵前バス停まで車道を歩く。

「石仏群と歴史館」が閉館しているのを確認してバスに乗る。

 


 

 

16:38  六道地蔵バス停
16:57  大平台バス停

 

大平台温泉 阿弥陀堂

 

 

つづく