温泉寺
4月14日(日)日の出5:30 日の入り18:30 最高気温18.5℃ 最低気温5.1℃ 曇り
早朝の露天風呂を楽しんだ後、下を流れる日高川で石採集。
着替えてから「温泉寺」を探訪した。
早朝の露天風呂を楽しんだ後、下を流れる日高川で石採集。
着替えてから「温泉寺」を探訪した。
温泉寺
本尊は瑠璃光薬師如来 弘仁年間弘法大師が
難蛇龍王の夢のお告げによって泉源を得たので
草庵を結んで自作の薬師如来像を安置した後
宝永二年明算という僧が頑固なはれものを
この湯でなおしたことで
竜王社薬師堂を再建し温泉寺と名付けたといわれている、
龍神村
![イメージ 3](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/2b/68/j/o0600045014583862470.jpg?caw=800)
弁慶像
龍神温泉9:34〈バス〉10:51JR紀伊田辺駅。
田辺市観光センター〈駅前〉近くには「弁慶像」「気道創始者植芝盛平翁生誕の地碑」がある。
弁慶誕生の地
源平時代その勇武機略を以て活躍した快傑武蔵坊弁慶は熊野の別当
湛増の子としてこの田辺の地に生まれた市内には弁慶井戸、産湯の窯、
弁慶松、腰掛石等が遺っている
弁慶衣川に死して既に七百八十二年今ここに弁慶を顕彰するため
橘堅次郎氏の篤志により高岡市の彫刻家米治一氏に依頼し昭和
四十六年九月この像を建てた
湛増の子としてこの田辺の地に生まれた市内には弁慶井戸、産湯の窯、
弁慶松、腰掛石等が遺っている
弁慶衣川に死して既に七百八十二年今ここに弁慶を顕彰するため
橘堅次郎氏の篤志により高岡市の彫刻家米治一氏に依頼し昭和
四十六年九月この像を建てた
田 辺 市
田辺市観光協会
―像後ろの碑文を写す―
田辺市観光協会
―像後ろの碑文を写す―
![イメージ 4](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/a2/62/j/o0600045014583862474.jpg?caw=800)
弁慶産湯の井戸
![イメージ 5](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/f7/b7/j/o0450060014583862479.jpg?caw=800)
第六代 弁慶松
⇒11:25法輪寺⇒11:27豊川稲荷⇒11:33弁慶産湯の井戸⇒11:34弁慶松へと、浜に向かって歩く。
隣接する扇ヶ浜公園は工事中でフェンスに囲まれていた。
![イメージ 6](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/34/6d/j/o0600045014583862484.jpg?caw=800)
南方熊楠邸
![イメージ 7](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/b8/b3/j/o0600045014583862489.jpg?caw=800)
⇒11:50南方熊楠顕彰館・南方熊楠邸見学。
![イメージ 8](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/78/5e/j/o0600045014583862495.jpg?caw=800)
八坂神社
![イメージ 9](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/78/be/j/o0600045014583862500.jpg?caw=800)
弁慶腰掛石
⇒12:10八坂神社
弁慶の腰掛石
この岩の窪みは弁慶が子供の頃腰掛けた跡と云われ、
生まれた子が男の子であれば、弁慶の様に立派な子に育つ様にとの
願いを込め、この岩に座らせた。
この岩の窪みは弁慶が子供の頃腰掛けた跡と云われ、
生まれた子が男の子であれば、弁慶の様に立派な子に育つ様にとの
願いを込め、この岩に座らせた。
![イメージ 10](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/88/ca/j/o0600045014583862511.jpg?caw=800)
海蔵寺
![イメージ 11](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/33/60/j/o0731045414583862516.jpg?caw=800)
⇒12:10海蔵寺
観音堂は確認したけれども外から参拝して、先を急ぐ。
観音堂は確認したけれども外から参拝して、先を急ぐ。
![イメージ 12](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/2a/6f/j/o0600045014583862520.jpg?caw=800)
闘鶏神社
![イメージ 13](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/05/4c/j/o0600045014583862526.jpg?caw=800)
弁慶社
![イメージ 14](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/5c/4a/j/o0800044114583862530.jpg?caw=800)
⇒12:10闘鶏神社(世界遺産)⇒紀伊田辺駅
ここへきて、改めて熊野と弁慶の関係、熊野と源氏の関係を考えさせられ、
卯月の旅⑧熊野三山・補陀洛山寺
を思い出していた。
![イメージ 15](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/eb/c6/j/o0600045014583862536.jpg?caw=800)
番所山不動尊
![イメージ 16](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/a0/35/j/o0345058414583862542.jpg?caw=800)
![イメージ 17](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/ec/60/j/o0450060014583862548.jpg?caw=800)
南方熊楠 世界一統
紀伊田辺駅13:10 13:28白浜駅14:00〈バス〉14:16臨海バス停〈徒歩;534m〉14:28南方熊楠記念館
記念館の有る番所山の入り口で、海に面した崖に彫りぬかれた番所山不動尊へ。
番所山公園・南方熊楠記念館 http://www.minakatakumagusu-kinenkan.jp/around/park
南方熊楠記念館の売りは屋上からの展望との事だが、
HPに有る以上の写真は撮れなかったので割愛。
南方熊楠程の研究者が、神社合祀反対運動に力を注いでいたと知った時から興味があった。
今回その運動の資料も拝見して、恐れながら共感した。
入り口には彼の生家で作られているお酒と系図も展示されている。
{世界一統}は龍神温泉で頂いた。
![イメージ 18](https://stat.ameba.jp/user_images/20190911/00/oedonoharu/20/89/j/o0563042214583862551.jpg?caw=800)
海岸で石を拾う。
⇒臨海バス停15:21〈バス〉15:25白浜バスセンター⇒白良浜海岸
バスを降り、とにかく白良浜へ。
バスを降り、とにかく白良浜へ。
砂の白さとキメの細かさを確認し、西行歌碑を見てから宿へ入る。
つづく