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山口王子跡(白鳥の関)
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 4月11日(木)日の出5:34 日の入り18:27 最高気温15.2℃ 最低気温9.3℃ 曇り

宿7:15〈徒歩〉7:25和歌山駅7:41〈和歌山線6駅〉8:03岩出駅 
〈タクシー〉8:08⇒
この間、運転手さんに、
大阪~高野山へと続く、「日本で一番長い活断層」を目の前にしての説明を受けた。
お隣のハワイから押し寄せた、同じ石なのだとか。
紀ノ川の石も昔はタダで、コンクリート工場が多いとか、
松下幸之助誕生の地だとかを伺っているうち、最初の目的地に着いた。
 
8:28「白鳥の関(山口王子跡;和歌山市湯屋谷118)
 
     わが背子が
     跡ふみもとめ
      追ひゆかば
 
       紀の関守い
        留めてむ
          かも
                万葉集 巻四 548 笠朝臣金村
 
 青い説明板には
この地はかつて、雄の山口の湯屋と言われていました(現在も湯屋谷という地名が有ります)
   ・・中略・・
古代に雄山に置かれていた関所は、白鳥関と呼ばれており、白鳥伝説を残しています。
とある。
 
  謡曲『熊野(ゆや)』は五流にある曲だが、喜多流だけは『湯谷』と表記する。
湯谷が熊野古道に有るとは聞いていたが、
熊野古道と言っても道は多く、ぼんやりとした認識だった。
謡曲より古い時代の伝説を伝えようとした部分が無いか、精査してみたいと思う。
 
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熊野古道と周辺の文化財
 
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伝・小野小町の墓「小町堂」
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 「伝・小野小町の墓」を探すが見つからない。
庭仕事をされていた方に伺うと、心得た様子で
「○○さん家の横を(道は無いンだけど)入って行ったところなんだけど・・」
との情報を得て少し戻るが、やはり不明。
事前にGoogleマップで見覚えていた景色の所で下車して探索に向かった。
赤い標をしたフェンスは施錠されていないので動かし、ブロック塀を跨ぐ形で墓地へ入った。
 不法侵入ごめんなさい 
 
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坂本神社
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住持池

 
 小野小町に振られた深草の少将が身を投げて蛇になったという「住持池」も近いが、
謡曲とは別の伝説として伝わっているらしい。
 
   室家の娘の伝説   http://www.city.iwade.lg.jp/kanko/densetsu.html
 
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ねごろ歴史資料館
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根来寺大塔

 

 9:07「道の駅 ねごろ歴史の丘」
 
「ねごろ歴史資料館」は根来寺のガイダンス施設として大いに役立っている様子が伺える。
お隣の「旧和歌山県議会議事堂は明治31年建設)」は外観のみ見学した。
 
 9:22「根来寺」
  天正13年(1585)秀吉が根来を攻めた時、石川五右衛門が根来寺にいたという。
  最後まで秀吉に抗した五右衛門はついに大塔へ逃げ込んだ。
  回りを隙間なく取り囲まれ、いまにも大塔ごと焼き殺そうと松明の碑が迫る
  と見るや、五右街門は地上30メートルもあろうという上の屋根へ馳け上がり、
  ちょうど垂れていた九輪の大鎖をつかむと、クーザンよろしく森の中へ消えた……と。
   五右衛門の母が住んでいたという屋敷跡には八朔の木が茂り、
  五右衛門が隠れたという山内の洞穴は塞がれてて、もう土地の人でさえめったに知らない。
         ―紀州 民話の旅 根来寺の五右衛門より―
 
 石川五右衛門の母の住まいは何処なのか?
 
   根来寺の歴史   https://negoroji.org/negoroji-rekishi.html
 
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史跡紀伊国分寺跡
 紀伊国分寺古代瓦


 10:10「史跡紀伊国分寺跡」

公園として整備され、「歴史民俗資料館」も見学しがいのある施設なので
例によって嬉しい悲鳴を抑えつつ必死で取材。
 
     史跡紀伊国分寺跡歴史公園 歴史民俗資料館