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嵐山史跡の博物館 シンポジウム「戦国時代は関東から始まった」
 
   15世紀後半から16世紀前半における関東の情勢を明らかにし、全国に先んじて関東が戦乱の世に入っていった理由などについて討論を行いました。当日は、埼玉県内だけではなく、東京都・神奈川県・千葉県など
関東全県 および静岡県などから492人のが参加があった・・  (博物館HPの記事より)
 当日博物館館長による「開会あいさつ・趣旨説明」の中で、680名の申し込みがあり、140の方が落選と伺った。
 
   基調講演 「享徳の乱と太田道灌」 山田邦明氏(愛知大学教授)
 享徳4年(1455)から始まる関東の内乱(享徳の乱)の主要登場人物達(古河公方・上杉(山内・扇谷)・
長尾・太田・その他)を大会社の本支店長等に置き換えた事情説明は身近な印象で説明が理解しやすく、
その解説は「年表の見方」も学べた様な気になった。まとめとしての言葉は
  ・どの家も滅びていない
  ・中世の人は簡単に人を滅ぼしたりしない。戦死者は少ない。
  ・いつも喧嘩をするが、生かしておく。
  ・戦乱の時代⇒普段は暇? 決戦の後、5~8年休む。
 年表に対応した関係地図と系図を見ながらの解説に「中世のドラマ」を観る様な面白さを実感した。

   報告1 「15世紀後半の下野大名と国衆」 江田郁夫氏(栃木県立博物館)
 享徳の乱が「京都を中心とする応仁・文明の乱」にも匹敵すべきものとの評価を受けてからの
地域の視野からの再検討がテーマで、特に下野国の事情が勢力分布図、系図とともに説明された。
これも地元ならではの合理的な解説と思って拝聴、フィールドワークヘ出たくなった。

   報告2 「戦国時代の河越城とその周辺~「かわらけ」から考える戦国時代~」
                           田中信氏(川越市立博物館)
 <「かわらけ」が古代から中世への転換期に出現し、中世的な社会の終焉とともにその役割終えて行く、
「中世」という時代を象徴する土器食器のこと。・・・>
 古代の土器同様に類型調査された「かわらけ」の分類と分布の変遷を説明された。

   報告3 「戦国時代の岩付城とその周辺」 青木文彦氏(さいたま市教育委員会)
 「鎌倉大草子」や「自耕斎詩軸 并序」の全文を資料として岩槻城成立の「問題」などをお話しされたが、
結果、享徳の乱以前の太田氏の事は不明らしい。
 
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   討 論 パネリスト 山田邦明氏・江田郁夫氏・田中 信氏・青木文彦氏
      コーディネーター 長塚 孝氏(馬の博物館)・渡 政和(嵐山史跡の博物館)
 会場にいらした先生のご発言も有り、「享徳の乱」の大切さがよく分かり興味が深まった。
せっかくの資料なので、よく読んで近場から現地学習をはじめたい。
 
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嵐山史跡の博物館は菅谷館跡・二ノ郭の土塁上に建つ
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 この日は博物館の開館時間が30分延長されたのでシンポジウム終了後に見学可能になった。
 
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稲荷塚古墳
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 東武鉄道東上本線・武蔵嵐山駅からシンポジウム会場へ行く途中に見かけた「庚申塔」。
塚も古墳らしく見えるので奥へと入ってみたら「稲荷塚古墳」という古墳だった。びっくり