今年も万葉講座「虫麻呂と赤人」(全6回)が終了し、恒例の日帰り現地学習会にも参加する事ができた。
一、 加須市北川辺地区 鷲神社の東歌歌碑
加須市向古河・鷲神社境内 万葉歌碑 青面金剛
14-3555 麻久良我の許我の渡の韓楫の音高しもな寝なへ児ゆゑに
この歌にいう許我の渡は『新編武蔵風土記』(文政11年)に「向古河村と下総国古河城下を結んだ渡良瀬川の渡しで、古くから奥州へ向かう場合に当地で渡河し、向古河は河原宿として栄えた」とあるのによって推定したもの。しかし「許我」には「麻久良我」という地名が付いており、その「麻久良我」は
14-3449 白妙の衣の袖を麻久良我よ海人漕ぎ来見ゆ波立つなゆめ
この歌から「麻久良我」が海辺の地で有るとみられ、「許我」は「麻久良我」の仲の小地名と考えられるところから、今の古河と見ることはできないとする説がある。
加須市向古河の鷲神社の歌碑は、旧北川辺町教委が『新編武蔵風土記』の記事を妥当と認め、昭和35年に渡良瀬川堤防下の鷲神社境内に建立したもの。
二、 藤岡町三毳神社境内の東歌歌碑
14-3424 下野の三毳の山の小楢のかまぐわしろ児ろは誰が笥か持たむ
この歌は巻十四・東歌の相聞の仲の下野国二首中の一種。
碑は三毳山の南面の広場に接続する三毳神社の境内に建つ。
この歌の碑はもう一箇所、三毳山北麓のかたくりの里管理事務所の庭にもある。
かたくりの里管理事務所の庭にある万葉歌碑
三、 金山城跡と県立青年の家入り口の松林(東山公園)の万葉歌碑
金山城跡の歌碑
東山公園の金山万葉歌碑
14-3436 しらとほふ小新田山の守る山のうら枯れせなな常葉にもがも
14―3408新田山嶺には着かなな吾によそり間(はし)なる児らしあやに愛しも
金山城跡の歌碑には3436番歌が、
東山公園の金山万葉歌碑には3436番と3408番の二首が並んで刻まれている。
※ 金山城跡と大光院(太田呑龍様)は別項