小雨が降ったり止んだりした薪能が終わった頃は雨も止んでいた。
「愛宕塚古墳」に立ち寄りたかったので、主催者側の方に道をお尋ねしたところ、
この方は大学まで歩かれる方の為の案内がお役目だけれど希望者が無いので同行してくださるとの事。
 
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                                              いろは繁三の墓
 
 イベントのお手伝いに参加されていた学生さんお一人も同行され、
在原業平が竜田から十三峠を越えて枚岡神社に参詣したおりに立ち寄ったという「神立茶屋辻」付近を確認したかったけれど言い出せず、道標を撮影したのみだが仕方が無い。
「神立墓地」の細道を通る。
「いろは繁三」という人の墓があると言われたので速攻で(墓場にお邪魔して)撮影したものの、
どういう方なのか分からない。汗 (誰か教えてぇ~)
 
 
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愛宕塚
 
 「愛宕塚古墳」は6世紀後半、横穴式石室は巨石でつくられ全長16.67m
  玄室が長さ7.16m幅2.5m高さ4.1mの単室構造となり、羨道が幅2m高さ2.3m
現地で読んでいる閑が無かったけれど、教育委員会の文が石に刻まれていた。
 こんな大きな石室に自由に入れるなんて、凄い!! ラブラブ!
と、艸墓古墳(くさはかこふん)〔桜井市〕以来の興奮を覚えた。
懐中電灯の用意が無かったが、内部をデジタルカメラのムービーで撮影したのでかろうじて見えたが
映像では臨場感が今一つ。 
とにかく突き当たりの大石が凄い。石材は何処から来たのか? 知りたい!!
 
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 幸せな事に案内の紳士は八尾市立歴史民俗資料館の館長。(&大阪経済法科大学名誉教授、橋本久様)
シンポジウムで拝見していたけれど、お話する機会が有ろうとは思わなかった。
予習の為に資料館HPから資料を3冊購入していたのでご縁を感じ、
言われるままに「心合寺(しおんじやま)古墳」・「古墳学習館」へとご案内頂く事に成った。
 写真の様なため池らしきものが点在する。地図によると、「向山古墳」の辺りを通過したようだ。
こちら側(神立地区)からは屏風の様にそびえる山脈が険しいけれど奈良からはそれほどでは無いと言われ、
大和側から峠越えをしてみたいと思ってしまった。(できるかな?)
 
 「心合寺山古墳」
墳丘には円筒埴輪、朝顔形埴輪、草摺形埴輪、靫形埴輪、蓋形埴輪、盾形埴輪、家形埴輪、鶏形埴輪、壺形埴輪など、採取された埴輪の配列が復元されていて圧巻。 
 
 「心合寺山古墳学習館」で急いで学んだ事
2001年に発掘調査が行われ、保存目的なので全てを発掘せずに埋め戻してあるのが現在の姿で
白枠が後円部にある長持形の埋蔵物(石棺)の位置を表しているとの事。
出土品は愛鳳鏡、硬玉製勾玉、碧玉製管玉、竪櫛、鉄剣、鉄刀、環頭大刀、針状鉄製品、三角板革綴短甲、三角板草綴衝角付冑など、築造は5世紀前半ごろと推定される。
 『しおんじやま&高安古墳群散策マップ』を頂いた。
スタッフの方達が実際に歩いて作成された「歩く地図」は親切・丁寧で分かりやすい。オススメグッド!
 
 此処で橋本先生とお別れし、タクシーで近鉄・服部川駅へ
学生さんとはここでお別れ・・(お名前を伺うのを忘れてしまい、写真をお届けする事が出来ない。)
 
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                                         2013.10.19  17:28
 
 信貴山口駅からケーブルカーで高安山駅へ。
虎の描かれたかなり個性的な車両で7分弱。車内での案内に
・・聖徳太子が物部守屋を攻めたときにこの山に祈願すると毘沙門天が現れ戦勝の秘法をさずけられたのが
虎の月、虎の日、虎の刻であり、太子が信ずべし、貴ぶべし山といったことに由来する・・と聞こえた。
 それって、『摂州合邦辻』 !?
等と勝手に感激しながら虎に縁の深い信貴山へむかうバスの停留所を見て<何時か行くぞ>と誓いを立て、
夕暮れの高安山展望台で大阪方面の街の灯を見る。
 
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俊徳道
 
 近鉄・信貴山口から河内山本で乗り換え橋本まで行く途中に「俊徳道」駅あり。
下車する時間は無いのでドア付近に立ってホームの駅名表示を記録しただけの事だけれど、
歴史街道を旅している気分に浸る。