ベルツリー第2期功労者について
今回は珍しく練習会ではない内容でお届けします。第2期を振り返るのは少し早いですが、おそらくこのタイミングがターニングポイントになると思いましたので書き綴っておきます。
思い返した時に今のこの事を思い出せる様に書いておきます。
ベルツリーは2016年10月に発足しました。
色んな事があって2022年5月末にて第1期として一旦解散しました。
そして改めて2022年6月より第2期としてリスタートした次第です。
第1期から改めて戻ってきてくれたメンバーはおよそ60人程いてました。そこからの船出となりましたがベルツリーの象徴みたいな2人は関東に行ってしまい、、10人程は信じていたにも関わらず結局辞めてしまう形となり、今だから言えますが正直、完全閉鎖はうっすら見えていました。
自分の中では半年間のリスタートで第2期プレオープンという形でチームを走らせてダメであったら完全閉鎖に進める方向で思ってました。
もちろんその半年間はあらゆる手を使って全力を注ぎ込んで再生させる!そんな思いはあったのですが。。
6月に最初の練習会をやって、、7月・8月・9月と時は進んでいきチームの雰囲気としてはどうしても盛り上がらない。人も集まらない。最初に書いた10人程は不穏な動きをしている。もうそんな状態でしたので、きっとこのままみっともなく、みすぼらしく沈んで行くんだろうなぁと、、何となく思ってました。何をどうやっても上手くいかなくて、、毎年恒例の10月合宿も開催するつもりはなかったのですが、どうしてもやりたいという人がいてたので一応開催の判断をしましたが直前になってその当の本人(先程の10人の1人)は「行かないですよー」なんて笑いながら平気で言うてくる始末でした。
もう予約等も全部準備も進めてたので中止にするわけにもいかずやむを得ず開催の判断にしたのですが。。
まぁそんな感じでベルツリーはあの頃ほぼ死に体やったと思います。一応生きてるけどほぼ死んでるみたいな感じでしたね。今思えばめちゃくちゃしんどかったし、もう誰に頼っていいのかサッパリわからずメンタルは結構限界やったかなーと思いますね。
そんなドン底の状態でしたので9月の連休を使って信頼のおけるメンバーで、メンタルのリフレッシュとコレからのベルツリーについて作戦会議の意味も込めて静岡に旅行に行きました。
ですがメンタルが潰れすぎてて作戦会議どころか、一緒に行ったメンバーに朝まで怒鳴り散らすという八つ当たりまでやってしまいました。
あの時はもう本当にメンタルが大変でめちゃくちゃ迷惑かけました。せっかくの旅行だったのに申し訳なく思ってます。
そんな旅行の帰りの車の中で表題の彼女から初めて参加希望の問い合わせをもらいました。
何となく返事をして翌週に早速参加してもらいました。プレーはお世辞にも上手とは言えないレベルでしたが、翌週の練習会にも参加したいという事、このまま続ける為にラケット、シューズを購入したという事。ありそうでなかなかないパターンで結構ビックリした記憶あります。そして2回目の練習会を迎えた時、ダメ元で翌週に行く合宿を誘ってみました。
そしたらその返事がまさかの参加OK。むしろ行っていいんですか?の食い気味での一発回答で私としてはもちろん喜んで参加OKにしました。
『もしかしたらこの子はベルツリーを救う人になるんじゃないか』
この時に直感的そう思いました。
合宿に参加してもらうにあたって彼女に1つ賭けてみる事がありました。数年やめてた、あのスベリ企画(前回はたったの5人でした笑)のバス旅行を彼女に提案してみようと考えました。
もし、それで彼女からもし参加OKが出たら実現させようと決めて合宿に臨みました。もはや合宿のメインはコレ以外なかったくらいです。
私から直接誘うのは少し重たいかと思って歳の近い人に声をかけてくる様に伝えて結果を待ってましたら、合宿バーベキューの途中に彼女からの参加OKをもらえました。
もう私の中ではこの瞬間『この子が必ずこの瀕死のベルツリーを救う!』
確信に変わったのを覚えてます。
今からのチーム作りは彼女に全振りで仕上げていく。そうすれば必ずこのチームはもう一度復活すると、、ものすごい希望に満ち溢れて合宿を終えました。
そこからは私の読み通り彼女の快進撃が始まります。
合宿を皮切りに、、忘年会までの約2ヶ月の間も何度か飲み会に参加してくれて忘年会はもちろん参加で、、その年の最後の週の飲み会にも参加でした。
そこから2023年に入り、、
新年会
金沢旅行
サークル内の大会①
もつ鍋会
バーベキュー
ラフティング旅行
サークル内の大会②
他チームさんとの練習試合
合宿
ボーリング大会
忘年会
年を跨ぎ、、2024年
新年会
四国旅行
ちゃんこ鍋会
バーベキュー
焼肉会
もうとどまることのない怒涛の勢いでベルツリーデビュー以来、全て一度も欠かすことなく連続でイベントに参加でした。
これだけの人は今後二度と現れる事はないでしょう。
やはり自分の目は間違ってなかった。あの時、このチームは彼女に全振りしていく。この判断が全てでした。あの瀕死で死に体だったベルツリーは彼女のおかげでもう完璧に息を吹き返して以前よりも活気付いてきたかもしれません。
まさかあのスベリ企画の旅行があれだけ盛り上がって、、その後の企画、イベント、全部大当たり。。こんな事になるとは彼女が来る前までは夢にも思いませんでした。
私にテニスをさせる所までの気持ちにさせたのも凄まじいです。よもや私がテニスをもう一度するとは全く思ってもなかったですからね。
この新しいチームで彼女となら何も余計な事を考えず楽しくテニス出来るんじゃないか。そんな風に思えましたので6年ぶりに大会にも出場しました。私には彼女が女神に見えてました。
消滅寸前のチームが奇跡の蘇りといったところでしょうか。
そんなレジェンド彼女はこれからテニス以外のプライベートを強化していくという事なので、これからの参加頻度は下がります。正直不安でいっぱいのとやっぱり寂しい思いです。でも彼女に頼りっぱなしでこの先永遠に続けていくわけにはいきません。彼女には彼女の大切な人生があります。もう十分にチームを復活まで導いてくれました。ベルツリーとしては第1期のMVP女性同様、国宝級レジェンドです。表向きは私が前面に出て目立ってしまいますが、間違いなくこの2人がいてたおかげで今のチームがあります。
そういう人達がいてたこそ私が運営する気になりました。
1期のMVP女性の時は、、この人の為にやろう
今回の2期MVP女性は、、この人がいてたら出来る
そんな思いで運営してました。2人に対して少し思う事は違いますが共通してる部分は2人がいてなかったら私は運営を続けてなかったという事。そのモチベーションにはなれなかったという事。
すなわちベルツリーはなくなってるという事です。それだけは間違いないです。
そしてここからが大切です。2人にここまでのチームにしてもらったので、今後どういう風に舵切りをするか、、2人がいてない以上今まで通りには一切出来ないのはわかってます。
ココからが自分の本当の力が試されるかなーと思います。第1期、第2期と大変な功労者2人に繋いで繋いでもらって助けられたチームです。
コレだけ彼女達に繋いでもらったチームを干からびさせるわけにはいかないとは思っています。いよいよようやく自分がしっかりする順番だと思います。少なくとも後1年半、節目のベルツリー10周年を迎える為に彼女達なしでもなんとかして今のチームを繋げなきゃいけないとは感じてます。
恥ずかしながら正直、、危機感感じてます。
物理的にも人数的にも。。特に人数に関しては非常に危機感あります。今は何とか初参加してくれる人が幸い多いのでまだギリギリチームを保っています。ベルツリーとしては非常に緊迫した状態です。2人がいてない以上、絶対的に人数を増やさないとこの先の未来はありません。2人がいない分をカバーする為にとにかく拡大路線に大きく舵を切ります。だからといって誰でも良いというわけにもいきません。
去年同時期から見て僅かに23%増です。
練習に参加してくれてる人数から見るとメンバーインになったのはおよそ30%程度でしょうかね。
その中で一緒に出来る人を発見します。
そうしないとこのままではゆっくり時間をかけてジリ貧にまっしぐらです。
8年半やってきたとはいえ、残りの1年半はとてつもなく長いです。1年半って言葉にすると簡単に聞こえるかもわかりませんが、とんでもなく長い時間で難しいという事は自分が1番よくわかってるつもりです。このままでは絶対ダメだと思ってます。新しいやり方、新しい方法、新しいメンバー、新しいスターを何とか見つけてどうにかこの先も続けていけるチームを目指していきたいと思います。
関西中の全方位からソフトテニス休眠人を掘り起こす。
そんな思いでベルツリーを進めていきたいと思います。