切り詰めに切り詰めてどうにかして生活を繋いでいる生活保護受給者がおられる一方で、ギャンブル依存系受給者がおりますが。
 
意外に思うかもしれませんが、彼らもまた「自分なりに抜け出そう」「どうにかしなくちゃ」と全く思わない訳ではありません。
 
彼らなりに抜け出す努力や、頑張り、工夫をしています。その手段が業界的に織り込み済みの罠にはまっていると申しますか、掌の上で転がされていると言いますか…
 
 
例えば、0円生活をようやく脱した直後は、「何もなかった」生活をしていただけに症状がやや落ち着いていたりします。
 
「今度こそ遣い過ぎないようにしよう」的に一応ちゃんと考えてはいらっしゃるんです。

例えば…
 
この分だけ…と使う分だけしかお金を下さない。

なるべく買わないようにしようと馬券やくじ等も10口分だけにする。
 
 
さて…ところがどっこい、そうはいかない訳です。
 
脳内ではちゃんとエンドルフィンが前回よりより強力な刺激を求めて分泌しまくる。
 
麻薬なんかと一緒です。外したり損したりすれば「あともう少し」となりますし、当たったり儲かったりすれば「もっと」と言う事になります。
 
 
で、それを繰り返す。習慣を断つと言う事は、「それまでの日数分の自分」VS「今日一日分の自分」との戦いですから、基本的に勝てない(笑)。
 
50年やってたら、10年止めたって、再開すれば18250の軍勢vs3650の軍勢ですから、あっという間に飲まれてしまいます。
 
基本、逃げ続けるしかない撤退戦なんですよね。
 
 
ダイエットや禁煙なんかと同じです。距離を置き続ける「新たな習慣」をそこに挟み込むのが基本になります。
 
我慢してどうのこうの、根性でどうのこうの、頑張ってどうのこうのよりも、「見ない」「聞かない」「触らない」の「三ない原則」を叶えるための新習慣導入しかないんじゃないかと思います。
 
 
んだからね。
 
目につくところに競輪場、競馬場、競艇場、パチンコ店、宝クジ売り場があるのに「ダメだ」っていってもそりゃ無理だし。コマーシャルでガンガン流しておいて「ギャンブルはいかんよ」って言ってたってやっぱ無理だし。法的に合法か規制を敷けばいいっていったって土台無理なんですよ。
 
するなって土台がないんですから。運営する側は儲けたいだろうし、経済的に盛り上げたいからカジノとか語ってる訳でしょ。
 
他の公営だろうが遊技場だろうが、そういったものを全部消しでもしない限り、結局、巻き上げ国家と腑抜け国民を作りたい訳だよね。ものの見事にそれを要請し続ける環境は全国各地に全て揃ってます。スタバがない地域がどうのこうの言っていても、そんなトコにでも必ずある。
 
 
と、救いようがない状況を作っておいて「福祉でどうにか面倒見ろ、ボランティアで」と言われて、どうにかできるかって…御冗談でしょ。とか思っちゃう。
 
で、こういう過激なタイトルを付けちゃうと、今後は「共謀罪」だの「テロ等準備罪」だのでヤラレル日が来るのかもね~。

万が一でも解釈基準をAIセンサー付きにして、センサーが反するような拡大解釈した場合には、規制側関係者の獄門規程並びに内閣総打ち首規程とかでも一緒に添付してくれないと、現政権が「大丈夫」って言ったって、何の保証もないのでね~。
 
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