「情けは人の為ならず」

随分と前に物議を醸しましたが、この意味は「情けを人にかけておくことは、巡り巡って自分に返ってきますよ」であるのは…知っていらっしゃる事と存じます。

若年層はいざ知らず、生産年齢の大半以上が「情けを掛けることはその人の為にならない」などというとんでもない間違った認識のまま知識が固定されてしまった事が、「思いやり」の希薄化にもつながっているのではなかろうか。

情けを掛ける、というと「掛けられては終い」と思ってしまうほど、この国は自分の常識化が進み、退化してしまったのだろうか。


コマーシャルから流れてくる「世界は誰かの仕事で出来ている」というコピーは「社会側からの視点」でどれほど見てくれている人がいるのでしょう。

金があっても社会が存在しなければ全く何の役にも立たない。動物社会においてお金が無価値であるように、自分本位の究極の状態は人間としての生活の放棄であろう。

その程度の事は知っておかなければ、次世代はさらに歪んでしまう。


とんでもない運転手の暴言が先日聞こえてきたのです。

宅配業者の車両が、法定速度で走っていた。その後ろを走っていた彼はすでにその時点で舌打ちをしていた。…と、そこで配達先だったのだろう。宅配業者の車はハザードをたいて路肩に止めようとした。

次の瞬間、彼は言った。「宅配が!公道をちんたら走って迷惑かけんじゃねぇよ!」


彼は、宅配の厄介になった事がないのだろうか。例えなかったとしても、社会物流の恩恵にあずかることなく生存しているとでも思っているのだろうか。車を運転する年齢にもなって、そんな事すら思いめぐらす事も出来ないような人が免許を頂いて運転している…そうか。だから先日のような事件が起こるのだ。

自分が社会によって活かされている事を知らないのかもしれない。

我々は迷惑を掛けて生まれいずることが出来、迷惑を掛けて頂くことでようやく生きていけるのに。そして死んでなおも迷惑を掛けていくのが我々であるのに。


もしかしたら、今の社会はそれほどまでに小さく細くなった視界からしか世の中を見ることが出来なくなった「自称大人」が蔓延し始めているのかもしれない。そう思うとゾッとせずにはいられないのです。



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