『東京暮色』(1957)の終盤には、「 名場面 」 と呼ばれる箇所があります。
上野駅で山田五十鈴が、
出発直前の列車から身を乗り出し、長女(原節子)の見送りを待つ場面です。
▼以下のyoutube動画は、上野駅の場面から始まります。
明治大学の校歌が流れています。
大学を卒業して帰郷する学友を見送るために、
応援団が校旗を掲げ、校歌を歌っているのです。
♪おおっ~ 明治~ その名ぞ我らが母校~ おおっ~ 明治~ ♪
小津作品に明治大学が出てくるのは、『東京暮色』だけです。
なぜ、明治大学だったのでしょうか?
大学を卒業し、上野駅から東北本線(奥羽線まわり)で帰郷する大学生。
見送られる3人は、俯(うつむ)いて頭を垂れています。
学生生活が終わる寂しさ、仲間と別れる辛さが、3人の学生には感じられます。
彼らは、秋田出身なのかもしれません。
(奥羽線まわりだし、小津作品には秋田がよく出てくるし)
この頃の明治大学は、東北が似合うような大学だったのでしょうか。
夜間部もあり、短大には男子も入学できました。
『東京暮色』に出てくる有馬稲子と田浦正巳は、短大を卒業している設定です。
これらの理由から、明治大学の校歌が採用されたのだと思います。
それに加え、「 なぜ明治大学なのか 」 には 決定的な理由 があります。
『監督 小津安二郎』(蓮實重彦著、ちくま学芸文庫)には、
『監督 小津安二郎』(蓮實重彦著、ちくま学芸文庫)には、
厚田雄春氏のインタビューが掲載されています。
彼は、小津作品のカメラマンでした。
彼は、小津作品のカメラマンでした。
『監督 小津安二郎』の p 263 の 3行目 に注目です。
私達がキャメラマンになったのは、俗にいう明(めい)、大生(だいせい)というんです、
明治と大正生まれの。
「 明治と大正生まれ 」 で 「 明大生 」。
さらに、p 311 の 4行目。
さらに、p 311 の 4行目。
明大生(めいだいせい)ってよく言いますけど、もう明治、
私も満で七十七歳になりますもんね。
「 明治と大正生まれ 」 で 「 明大生 」という言い方は、
この年代の人の口癖でしょうか。
『東京暮色』のこの場面で、列車に乗っているのは中村伸郎と山田五十鈴です。
中村伸郎は、明治41年(1908年)生まれ。
私も満で七十七歳になりますもんね。
「 明治と大正生まれ 」 で 「 明大生 」という言い方は、
この年代の人の口癖でしょうか。
「 俺たち明大生は…… 」 と小津監督も言っていた?
『東京暮色』のこの場面で、列車に乗っているのは中村伸郎と山田五十鈴です。
中村伸郎は、明治41年(1908年)生まれ。
山田五十鈴は、大正6年(1917年)生まれ。
二人で 「 明大生 」 なのです。
この場面では、昭和生まれの明大応援団が、
明治生まれと大正生まれの 「 明大生 」 を、明大の校歌で見送っていたのです。
小津監督は、明治と大正に別れを告げているのでしょう。
そして、
次回作の 『 彼岸花 』(1958年) からは、昭和色の、明るいカラー作品が続いていきます。
この場面では、昭和生まれの明大応援団が、
明治生まれと大正生まれの 「 明大生 」 を、明大の校歌で見送っていたのです。
小津監督は、明治と大正に別れを告げているのでしょう。
そして、
次回作の 『 彼岸花 』(1958年) からは、昭和色の、明るいカラー作品が続いていきます。