逆配膳『東京物語』 | 小津安二郎『東京物語』の謎解き

小津安二郎『東京物語』の謎解き

今まで誰も指摘してこなかった、小津作品の「秘密の演出」や「謎」を解明していきます。

『東京物語』(1953)では、

 

志げが 「 逆配膳 」 になっています。

 

 

以下の朝食場面。

 

▼ 「 ごはん茶碗 」 を、「 右手側の端 」 に置きます(志げ)。

                                               ↑かなり端に置きました

▼「 真ん中 」 あたりから  「 汁椀 」 を持ち上げます(志げ)

 

 

▼動画で確認してみます(食事場面から開始)。

 

↑「 ごはん茶碗 」 は極端に右手側、「 汁椀 」 は真ん中の位置ですね(志げ)。

 

 

夫の庫造は普通の配膳です。

      汁椀が 「 右手側 」↑になっています      ごはん茶碗↑が 「 左手側 」 です

 

 

何故、志げだけが 「 逆配膳 」 なのでしょう。

 

 

それは、「 浴衣の袖 」 が食卓に触れるからです。

 

志げは、食卓の上に何度も右手を伸ばします。

 

「 癖 」 になっているのです。

         ↑唐辛子を受け取る             ↑煮豆の小鉢を引き寄せる

 

上の画像で、志げの 「 浴衣の右袖 」 が食卓に触れているのが分かります。

 

もし、汁椀が 「 右手側の位置 」 だと、汁椀は倒れてしまうでしょう。

 

 

だから 「 汁椀は真ん中あたり 」 で、

 

「 ごはん茶碗が右手側 」 になっているのです。

 

変則的な 「 逆配膳 」 です。

 

( 庫造は 「 左手 」 を伸ばすので、「 汁椀は右側 」 の方が好都合です )

 

 

 

志げは、尾道での会食場面でも 「 逆配膳 」 です。

 

「 汁椀は左手側 」、「 ご飯茶碗は真ん中あたり 」 になっています。

↑黒い汁椀が手前(左手側)にあります。      ↑着物の右袖が食卓に触れています。

 

 

実利的な志げは、

 

着物の右袖が 「 汁椀 」 に触れるのを避けるために、

 

 「 和食の作法 」 など無視してしまうのです。

 

 

 

次回は、『お早よう』(1959)の 「 逆配膳 」 です。