今日二十歳になった。
いよいよ一人酒し放題か!たまらん!
さて、二十歳になったからには抱負が欲しいかな…
なんだろう…
うーん…
てかそもそも生き続ける勇気とか俺にあるんだろうか。
そりゃあ死ぬ勇気なんてはなっから持ち合わせてないけど、抱えてる問題としっかり対峙して生きるような真っ当な生き方をする勇気みたいなもの(?)、そういうのはやっぱり怖くてもてない。
答えがでない。この先どうやって生きるのか…。
選択肢は三つ
一つは、ひたすら逃げる、全ての怖いこと、苦しいことから逃げて余生を過ごす。死んだように生きる。
二つめは、ちゃんと自分の問題に真っ向から立ち向かって、変化を目指して生きる。
三つめは、死ぬ。
普通2を選ぶよね。多分ごく自然に普通の人なら2を選べるんだけど、それを即答できないくらいにまで疲れてしまった。
…あぁ
でも、まじで今、心が訴えてる。
欲しい、欲しいって心が訴えてる。
人とのふれあいと心の安定
一人が好きだって普段から豪語してるけど、本当は、多分、人並みよりも、人と一緒にいたいって思うのが自分だと思う。
ただ、傷つくのが怖いから、人と距離を置いてるだけで
自分の思う人生で一番楽しい瞬間って100%純粋な気持ちでお互いに笑い合うワンシーンだと思うんだ。
けど、この三年間病気になってから、一瞬たりともそうは思えなくなってしまった。
それが何よりも辛いことで、同時に何よりも欲しいものだった。
まじで、それを求めるのが俺の生きる意味な気がする。
純粋に昔から誰かが笑ってる顔をみるのがすげぇ好きだった。
そりゃあ端から見てたカップルがニヒニヒしてたらイラッとするけれど、自分の言葉で誰かが本気で笑ってくれるならそれはとてつもなく、皆が想像つかないだろうってくらいに幸せを感じる。
与えることのできる人は真に魅力ある人だと思う。
自分の存在が人と繋がって、自分もその人も一緒に幸せになれる瞬間、これほど美しくて綺麗でワクワクできることはない。
多分こういうところから来るんだろうな。
なんとなく、誰かを救えたらな、って思うことがある。
困ってる人を助けられたらなって。
程度問題ではあるけれど、絶対に無理な願いなのはわかる。
でも、それでも理想だよね。自分の力で誰かを幸せにしてあげられたらっていうの。
正直な話、目に見えない困っている人を助けたいとは思えない。
そんなに立派にはなれない。
悪い言い方をすれば、目に見えるものだけを救いたいっていうとんでもないエゴ願望。
まあ、そりゃあ世界の端っこで、飢えに苦しんでいる人がいるって聞かされたって、可哀想だなーくらいにしか思わないよね。
そういう人達を救いたいと願って真に活動できる人は、まじで立派だと思う。偉人。
俺はそういう人達にはなれない。
でも、それでも俺の願いが邪だとか、汚いとか思わない。
これはきっと誇りなんだと思う。目に見えてる人だけ、自分とつながってる人だけでも、
双方幸せになって何が悪い!って感じじゃない。
そうか、これは誇りなんだな
知らんかった。
卑下することもない。大切な思いだ。
うん、とても大切だ。
けどもね。思いがあってもね。
もう届かなくなってしまった。
病気になってから、脇見恐怖症になってから、人が見えるのが怖くなってしまってから、二十四時間心のどこか30%くらいを不安とか恐怖みたいな感情が埋めるようになってから、駄目になってしまった。
思いがあっても達成できなくなってしまった。
3年たった今も、一度も、本当に一度も、純粋な気持ちで笑い合えたことはない。
それが、あまりにも苦しい。
苦しすぎる。
誇りがあるのに、できないから傷つくばかりで…、ホントに駄目なヤツだ…。
他人を幸せにするはずが、この三年間人を不幸にするばかりだった。
特に家族を…。心を開いて話さない息子に母親は相当苦心してるみたいだ。
死んだらもっと苦心するだろうし、俺はどうしたら…
あぁ…結局答えがでない…。
誰でもいいから助けてくれないかな。
神様でも仏様でも、悪魔とかはちょっとごめん被りたい。
病気治るなら祈るよ
いつでもいつまででも
キリスト教でもヒンドゥー教でも創価学会でも
心の底から祈るよ
いよいよ一人酒し放題か!たまらん!
さて、二十歳になったからには抱負が欲しいかな…
なんだろう…
うーん…
てかそもそも生き続ける勇気とか俺にあるんだろうか。
そりゃあ死ぬ勇気なんてはなっから持ち合わせてないけど、抱えてる問題としっかり対峙して生きるような真っ当な生き方をする勇気みたいなもの(?)、そういうのはやっぱり怖くてもてない。
答えがでない。この先どうやって生きるのか…。
選択肢は三つ
一つは、ひたすら逃げる、全ての怖いこと、苦しいことから逃げて余生を過ごす。死んだように生きる。
二つめは、ちゃんと自分の問題に真っ向から立ち向かって、変化を目指して生きる。
三つめは、死ぬ。
普通2を選ぶよね。多分ごく自然に普通の人なら2を選べるんだけど、それを即答できないくらいにまで疲れてしまった。
…あぁ
でも、まじで今、心が訴えてる。
欲しい、欲しいって心が訴えてる。
人とのふれあいと心の安定
一人が好きだって普段から豪語してるけど、本当は、多分、人並みよりも、人と一緒にいたいって思うのが自分だと思う。
ただ、傷つくのが怖いから、人と距離を置いてるだけで
自分の思う人生で一番楽しい瞬間って100%純粋な気持ちでお互いに笑い合うワンシーンだと思うんだ。
けど、この三年間病気になってから、一瞬たりともそうは思えなくなってしまった。
それが何よりも辛いことで、同時に何よりも欲しいものだった。
まじで、それを求めるのが俺の生きる意味な気がする。
純粋に昔から誰かが笑ってる顔をみるのがすげぇ好きだった。
そりゃあ端から見てたカップルがニヒニヒしてたらイラッとするけれど、自分の言葉で誰かが本気で笑ってくれるならそれはとてつもなく、皆が想像つかないだろうってくらいに幸せを感じる。
与えることのできる人は真に魅力ある人だと思う。
自分の存在が人と繋がって、自分もその人も一緒に幸せになれる瞬間、これほど美しくて綺麗でワクワクできることはない。
多分こういうところから来るんだろうな。
なんとなく、誰かを救えたらな、って思うことがある。
困ってる人を助けられたらなって。
程度問題ではあるけれど、絶対に無理な願いなのはわかる。
でも、それでも理想だよね。自分の力で誰かを幸せにしてあげられたらっていうの。
正直な話、目に見えない困っている人を助けたいとは思えない。
そんなに立派にはなれない。
悪い言い方をすれば、目に見えるものだけを救いたいっていうとんでもないエゴ願望。
まあ、そりゃあ世界の端っこで、飢えに苦しんでいる人がいるって聞かされたって、可哀想だなーくらいにしか思わないよね。
そういう人達を救いたいと願って真に活動できる人は、まじで立派だと思う。偉人。
俺はそういう人達にはなれない。
でも、それでも俺の願いが邪だとか、汚いとか思わない。
これはきっと誇りなんだと思う。目に見えてる人だけ、自分とつながってる人だけでも、
双方幸せになって何が悪い!って感じじゃない。
そうか、これは誇りなんだな
知らんかった。
卑下することもない。大切な思いだ。
うん、とても大切だ。
けどもね。思いがあってもね。
もう届かなくなってしまった。
病気になってから、脇見恐怖症になってから、人が見えるのが怖くなってしまってから、二十四時間心のどこか30%くらいを不安とか恐怖みたいな感情が埋めるようになってから、駄目になってしまった。
思いがあっても達成できなくなってしまった。
3年たった今も、一度も、本当に一度も、純粋な気持ちで笑い合えたことはない。
それが、あまりにも苦しい。
苦しすぎる。
誇りがあるのに、できないから傷つくばかりで…、ホントに駄目なヤツだ…。
他人を幸せにするはずが、この三年間人を不幸にするばかりだった。
特に家族を…。心を開いて話さない息子に母親は相当苦心してるみたいだ。
死んだらもっと苦心するだろうし、俺はどうしたら…
あぁ…結局答えがでない…。
誰でもいいから助けてくれないかな。
神様でも仏様でも、悪魔とかはちょっとごめん被りたい。
病気治るなら祈るよ
いつでもいつまででも
キリスト教でもヒンドゥー教でも創価学会でも
心の底から祈るよ