北さんハイエース 天ぷら油で走る! | 《ODSS》エコツアーと登山で岐阜を元気にする!

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岐阜県を中心に登山やエコツアーで地域を元気にして行こう!と熱い情熱をもって、集まった仲間たちの日記です。


《ODSS》エコツアーで岐阜を元気にする!

これはちょっと前のお話です。

3月19日に被災地入りして以来、全国から届いた支援物資を来る日も来る日も被災者の皆様のもとへ運びました。
長期に渡る作業でだんだんと集中力がなくなってきた頃、『森林文化アカデミー 』のナバさんと学生さんたちが、「北さんハイエース」に乗って「僕を救出に」(笑)来てくれました。

学生さんたちは居残って、ナバさんと僕の2人が28日に帰るという段取り。
通常、登米のRQ本部には支援者の方々が寄付してくれたガソリンと軽油が、メンバーの為にドラム缶で用意されていました。
しかし僕達が帰る頃は補給が途絶え、燃料が残り少なくなっていました。
そして岐阜に帰る僕達には新たなミッションが・・・。


牡鹿半島の先端にある鮎川という町の役場の方から、緊急で支援物資を使って届けて欲しいという依頼が来た。
自衛隊からの物資も届いていないらしい。

登米から往復だとかなりの距離で、1日がかりの行程になってしまう。
でも僕達が岐阜への帰りがけに物資を落として行けば片道で済むので貴重な燃料を節約できる。

というわけで、3月28日午後。「北さんハイエース」に物資を満載し、ナバさんと僕の2人で出発。
ハイエースはディーゼルなので燃料は軽油。
登米の貴重な燃料には手を付けず、いざという時の為に灯油入りのポリタン一つだけ積み込む。

石巻に入り、燃料が半分に減ったのでスタンドを探したが、どこも売り切れの張り紙が。
唯一開いているスタンドには「緊急車両のみ給油します。一般車には給油しません」と書いてあった。
今までも緊急車両だけに給油しますというスタンドはあったが、警察署発行の緊急車両ステッカーを見せると給油してくれたので、今回も行けるだろうとそのスタンドに入って行くと、ここは救急車等の元々の緊急車両のみで、警察署発行のステッカーのある臨時の緊急車両には給油出来ないと突っぱねられた。

仕方ないので、まだ軽油がタンクに半分残っているうちに、積んでいた灯油を入れることにした。
ディーゼルはさすがに灯油だけでは動かないけれど、灯油と軽油を混ぜた場合はじゅうぶん燃料として使える。
灯油+軽油で快調に走る北さんハイエース。
しかし牡鹿半島の先端に行って帰って来るにはまだ燃料が足りない。
牡鹿半島の町という町は地震と津波で壊滅しているだろうからこの先スタンドがあるはずは無いし。
さあ絶対絶命のピンチ!
しかしこの支援物資を待っている人々がいる以上諦める訳にはいかない。

僕には一つの望みがあった。あそこに行けば…。
被災地入りして2日目に山形の天童のモンベル倉庫から石巻の避難所に物資を運んだ時、最後に寄った場所。石巻専修大学近くに設けられたボランティア基地。ここには神戸の震災の時からの繋がりで集まった色々な団体の人々が一つの大きな組織を作って、被害の酷い石巻の支援に当たっていた。
日本財団、ピースボート、メイクヘブン…。
この前は、ここに大量の物資と燃料を提供したのだった。
岐阜から運んで来た灯油ドラム缶200リッターも寄付した。
今度は僕たちが助けてもらう番だ。

石巻専修大学を目指す。
前回会った、四万十川でカヌーツアーをやっている『四万十塾 』の「とーるさん」がいた。
背が高いから「とーる」なのか、それとも名前が「とーる」なのかはよくわからない。
早速、軽油を分けてもらえないか交渉。
「軽油は無いけど、VDFならありますよ」とのこと。
VDF(BDF)とは、ベジタブル・ディーゼル・フューエル (バイオ・ディーゼル・フューエル)の事で、要は天ぷら油から作った軽油のこと。
カヌーを屋根に積んだとーるさんのハイエースの後に付いて石巻専修大学の構内に入って行くと、VDFの入ったドラム缶がずらりと並んでいた。
ポリタンに分けてもらう。
「あのぅ、お代は?」と尋ねると「お代だなんて何言ってるんですか。お互い頑張りましょう!」と言いながらとーるさんは拳を突き出した。その拳に僕も拳を当て「頑張りましょう!」
とーるさんは爽やかな男だった。

さて、VDF。色は全くの天ぷら油。黄色い。しかもドロっとしていてなんか粘度が高そう。
大丈夫なのかな?
なんでも、性能、使用方法等、軽油と何ら変わるところはないとのこと。

取り敢えず、牡鹿半島目指して出発。
至るところ道が寸断されていて、どんどん迂回させられる。
通行止めの所に立っている警備員の方も自分の受け持っている場所が通行止めという事実しかわかってなくて、鮎川に行く為の迂回ルートは知る由も無かった。自衛隊を捕まえて聞いてもわからないという。
唯一開いていた半島の東海岸の道を行くと、女川原発の正面玄関に出てしまい終点。
あれ?途中で分岐があったはず、と思い戻るとゲートが閉まっていて、通行止めの表示。
迂回ルートは示されていない。
鮎川まで行く道は全く無いということか!

しかしこの物資を待っている人々がいる。諦める訳にはいかないのだ。
ここで僕のガーミンGPSが本領発揮。
東海岸から西海岸に抜ける細いルートを発見。
何とか西海岸に出て瓦礫の中を進む。海岸部は完全に壊滅状態。
日も暮れかかり、灯りも全く無い、死んだ町を走るのは不気味この上ない。

真っ暗な瓦礫の中に、おそらく自家発電だと思われる明るい光を発見。
避難所になっている鮎川の町役場だった。
支援物資を無事手渡す事が出来た。

帰りがけ、いよいよ燃料がやばくなって来た。
VDFは最後の手段と思っていたけど、燃料タンクが完全に空になってから入れたのでは、あのドロっとした粘度ではどこかが詰まるかもしれない。
むしろタンクに燃料の残っているうちに入れた方が、希釈されていいのではないか?とナバさんと色々話し合った。
迷った末に、入れることにした。
するとどうだろう、とーるさんから言われた通り、全く何の支障もなく快調に走る「北さんハイエース」

その後、日本海側に出て、開いていたスタンドで本物の軽油を入れる事が出来た。
あとは徹夜で走って岐阜に帰って来たのだった。


ナバさん、お疲れ様でした。それと僕の救出をありがとうございました。


それにしても、どんな燃料でも走るディーゼルは災害に強いということが身に染みてわかりました。
次に車を買うとしたら、絶対ディーゼルだな。 ('-^*)/



byたっつあん