すでに70歳を越えているポール・マッカートニーが来日し、コンサートをひらいた。
斯界屈指のメロデイメーカーであり、かつてはジョン・レノンと共にビートルズの二大巨頭なのであった。
世界中の若者文化を変えたとも言えるビートルズだが、当然、金はもう要らないというくらいに入り、世界中に彼らの事を知らない人はいないというほどの知名度の中で彼らは虚しさを感じ始め、人生とは何かを真剣に考え始めた。
マリファナなどの薬物を使用し、インド思想に共鳴して、瞑想の導師にも付いたりした。
だが、それも確かなものには感じられず、何もかも疑いつつ、グループとして疲れてしまいながらもそれを映画に撮ったりした。
同じビートルズメンバーのジョージ・ハリスンは容易に神の存在を認め、そのままヒンズー教にはまっていった、ある意味幸わせ者である。
だが、人は神の存在を疑い得るし、仮りに神の存在を認識したとしてもその認識さえ間違っているのかも知れないのだから、この世に確かなものなど何もないとも言える。
すべてを否定するジョン・レノンの苦悩は続いた。
一方、何もかも疑ってかかる思考を続けながら、これ以上考えても仕方がない、という絶望的地点にまで至ったポール・マッカートニーは、神という言葉は使わずとも、大いなる存在が『在る』ことを認めちゃう立場に立った。
『無い』かも知れないが、『在る』かも知れない。
じゃあ、『在る』と思っといた方が幸せじゃんか。
その存在は我々の面倒をみてくれており、この世のすべてはその存在の分身であり、すべてが善きものなのだ。
宇宙はその存在に向かって収斂されてゆく。
わたしたち自身もだ。
だったら今、何をじたばたする必要がある?
フツーに生きていればそれでいいのだ。
すべての方向性はその存在に向かっており、尚かつ面倒をみて頂いているらしいのであれば、ただ流れに身を任せればいいのだ。
こう考えたポールの音楽は解散後、まるっきり今までの思想性も重々しさもなくなり、彼のナチュラリズムを反映したシンプルな軽いものとなって行き、楽しみながらコンサートを行うようになって行った。
これが気に入らないのが出口なしの中で苦悩するジョン・レノンで、自分の歌の中で「一体お前は何をやってんだ。」とそんなポールを批判した。
するとポールも自分の歌の中でジョンに応酬して「あんたはバカなの?」と、苦悩の無意味さを説いた。
しかし、「考えるな。」と言われても「考えちゃう」ジョンの音楽作品はいよいよ思想丸出しの傾向を帯びて行った。
ジョン・レノンは40歳で凶弾に倒れたが、もう少し長生きしていれば悟りをひらいてしまったかも知れない。
一方、大いなる存在を信頼して深刻になることをやめちゃったポール・マッカートニーはサトリなどは無理で、ただ単に融通無碍に生きている。
どちらがいいとか悪いとかではないが、彼らが真剣にいろんな事を考えていたことだけは確かである。
一方、何も考えていないのが、板東英二という御仁だ。
確定申告のイメージキャラクターを務めていたくせして、7,500万円の申告洩れを国税局に指摘されたという三文喜劇でもって笑わせてくれた。
1年近く芸能活動を休んだ後、記者会見をひらいて「植毛をしていた。」などと意外な事実も公開し、結局のところ原因は「税に無知でした。」と述べた。
税に無知な人を納税のキャラクターに起用したのは一体誰なんだ?
記者から「みそぎは終わったと思っているのか?」と問われ、「そんな事は毛頭思っていません。」とリアルタイム駄洒落のような答えをしていた。
もうこの上、きっちりとみそぎを済ませて行くためには、植毛した毛を一日10本抜いて行く「脱税」ならぬ「脱毛」しか手はないぜって。
野球時代の甲子園では奪三振の大記録を打ち立てたんだから、とことんダツにこだわっちゃえ。
それで、やってる内に余計な毛まで全部抜いちゃって、すっきりぼうず頭になんかなっちゃったら「みそぎ終了記者会見」に集まった記者や芸能関係者も「見事、みそぎ切った!」とか認めてくれて、しかし当の本人は最後に腹いせでみのもんたみたいに「バカヤロッ!」とか怒鳴っちゃうんだから。
あとはカツラのメーカーからお声がかかるのを待っといて、カツラをかぶりながら「植毛よりも便利です♪」とか「ハゲに無知でした♪」とかやっちゃえば、無事にC M 復帰出来るぜって。
ついでに現衆議院議員の辻元清美が過去に、公費流用のかどで辞職したものの「へこたれへん。」とか本を出したのを見習って、「どんぶり勘定わが人生♪。」とかすぐに本を出しちゃえば、売れること間違いなしで、今後は政治家への転身をはかって、得意のおしゃべりで「脱原発は野球の精神に通じる!」とかわけ分かんないこと言いなさいっての。