こんばんは、大島です。


この日本国には“お裾分け文化”がございました。もはや死語やも知れません。


現在、良いことあらば、すなわち“自慢”と解釈される、ひがんだところがございます。


それは“お裾分け”がなくなったからとわたしは考えます。


さらに言うなれば、“幸せのお裾分け”がかき消されたのです。


かき消されたのは“幸せ”の概念です。冠婚、出産ついて回るのは、引き出物や紅白まんじゅう、なかには“ほっこりした気持ちをちょうだいした!”と麗らかさをお裾分けなさる方もいらっしゃいました。


結婚・出産は、出費の要因か、はたまた女の墓場と物申すか。

結果孤独死や老人ホームを姥捨山とするものが増えるならば失笑するほかありません。


私はことさらマスコミ産業がこれを勝手解釈した悪童と考えます。


あくまでも他社の利益のお裾分けで成り立っているマスコミ産業が、広告欲しさに恫喝する姿を疑うほかありません。


さらには、その園地に、日本基督教団や共産党、教職員(日教組)との資金関係が同志社国際高校修学旅行生徒殺害事件で明るみになりました。


もはやマスコミから吉報など僅かなもので、そんなマスコミ産業の広告母体も吉報に興味もないかもしれませんね。


私は、日本文化否定と、長い不景気に日本人は混乱し、多国籍や左翼団体にうまく利用されたものだと嘆きます。


紡いできた系譜より、愚痴をこぼせば賛同くださり、退廃の見え透いた自由に場当たり的に突き進む。みんな悪童(クソガキ)に成り果てて残念です。